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RIGHT MOMENT/FUMIYA TANAKA

3月14日の夜に渋谷のContactで行われた「CHAOS」へ遊びに行くことになったのはその日の夕方で、急に決まった。数週間前に亡くなったAndrew Weatherallの追悼を友人としていたら自然とそういう流れになった。酔った勢いのようで、必然だった。始発までの短い時間しか居られなかったけれど、記念にその日のポスターまで貰って帰ったりして、なんだか二十代の頃みたいで楽しかった。それ以来どこにも遊びに行けないまま半年が過ぎて、今年の夏は家で『Right Moment』をずっと聴いていた。『Right Moment』は昨年末にドイツのPerlonから発売されたFumiya Tanakaのアルバムで、「CHAOS」は田中フミヤのパーティーのこと、そして私がいちばん好きなDJのパーティーだということも記しておきたい。このアルバムを何度も繰り返しながら、この夏はダンス・ミュージックを家で聴く必要性を感じたりした。

『Right Moment』をはじめて聴いたときに、フミヤさんのDJそのものだ、「CHAOS」だ、と思った。田中フミヤの魅力は本人の作品よりもDJを聴かなければ伝わらないと長年のあいだ信じて疑わなかったのに、もしかしたらこのアルバムを聴けば充分に伝わるのでは、とあっさり覆されてしまった。テクノやハウスのDJは途切れることなく曲を繋げながら長い時間をかけてゆっくりと展開をしていき、フロアと見えないコミュニケーションを取りながらそこでしか味わえない特別な空間を作り上げていくもので、使われるトラックはつまりパーツなのだけれど、その長い夜の中で何度か湧き上がるコアな時間の質感をそのまま曲に落とし込んだような、正真正銘カオスな音が圧縮されて蘇ってきて、あまりの良さにだいぶ痺れた。暗すぎるフロアで鳴っているような抑揚をつけたリズムや、ドラマチックに展開していく音のひとつひとつに胸躍らされる。多分フミヤさんはグルーヴの本質となる軸みたいなものを捉えることができているのだと思う。それくらいダンス・ミュージックのツボを押さえた、濃厚で万能な曲ばかりが詰まっている。
かつてのとれまレコードを知っている人なら「Live Like Music」のじわじわと力強く高揚していく音に反応せずにはいられないだろうし、フロアキラーな「Right Moment」は家で聴いても完璧だと思うし、「Welcome To Chaos」なんてタイトルを見ただけでグッとくるし、「Forever Friends」は延々と聴いていられるくらい好きだ。他の曲も、もちろんいい。

オフィシャルのSoundcloudで公開されている最近のDJ MIXもどれを聴いても安定の素晴らしさで、そこで使われている『Right Moment』の曲は流れの中でパズルのピースのようにぴったりと然るべき場所に収まりつつ、別の曲と融合して見事に先の景色を変えてゆくからすごい。最近の調子の良さがここでもよくわかる(と同時に、フミヤさんはいつだって良かったような気もするけれど)。

好きが高じて私は昔、フミヤさんの作品のレビューを何度か担当したことがあって、テクノだけではなくもっと自由に音楽活動を行うために別名義を使って活動の棲み分けをしていたカラフトについて『テクノ・バイヤーズ・ガイド』という本の中で、

"速度を変えても同じ道路を走り続ける田中フミヤに対して、カラフトはきっとイメージなんて無いまま、気になるものを選び、旬なものを取り入れ、飽きるまで追求し、リスナーと共に歳をとり、失敗もして、そうしてゆらゆらと変化してゆくだろう”

と書いている。

20年近く経ってこの言葉を読み返してみると、むしろ追求し、変化していったのは田中フミヤ名義のほうで、別人格であったはずのカラフトはいつの間にか本体に吸収されてひとつになり、あいだを埋めるように新たな広い道を作っていたことが今になってわかる。パンクからはじまり、プログレッシヴ・ハウス、ハード・ミニマル、ニュー・ジャズ、テック・ハウス……と様々な音楽スタイルの変化を続けていく工程で一旦削ぎ落としたものを緩急つけながらまた足していき、芯の部分がより強化されていったことで現在のようなハウス中心の柔軟性の高いスタイルに辿り着いたのかもしれない。それってやっぱりフミヤさんのDJそのものを表しているじゃないか。変化とは何かを無くすことではなくて、積み重ねていく過程のことだと教えてもらったような気がする。だから私は『Right Moment』にこんなにグッときているのだと思うし、ピークを迎えた場面に居合わせることができたのが本当に嬉しくて、今さらながら少し書いておきたくなった。

ピークと表現してしまったけれど基本ロングセットなDJのことだから、これからもこの状態を保ち続けいくはずだと、そう願っている。だってそうだよ、あの日の「CHAOS」も朝になっても全然まったく終わる気配がなくて、きっと私が帰った後もずっと続いていた。多分いつまでも続いていた。

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