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憎しみを込めて

去年の暮れからバイオリンを習い始めた。
腕前はしずかちゃんレベル。

音程が取りづらかったり運指が複雑だったり、自信がない部分は無意識に音が小さくなるようで、先生にしょっちゅう注意を受けている。

「まだまだ音が小さいね。もっと憎しみを込めるような感じで弾いてみて」

憎しみ?
でも先生、この曲、滝廉太郎の『花』じゃありませんでしたっけ。
はるのうららのすみだがわ、なのに、憎しみですか。

「いいから」
あ、はい。

ばりっばりっ。
バイオリンの音色というにはあまりに破壊的な音がする。
うららかな隅田川にも花にもまるで似つかわしくない。

「いいから、もっと」
はい。ばりばり。

音色が優雅じゃないばかりか、弦と弓の摩擦が強くてとても弾きづらい。これはあれだ、綱引きで劣勢になっているときの、靴底が砂とこすれあう感覚に近い。

ばりばり。

弾きながら、憎しみってなんだろうと考える。
最近イライラさせられたことを思い出して指先に力を入れた。
なにが「今日泊めて\(^o^)/」だよ、あの男め。

ばりばり。弾き終える。

ながめを何にたとうべき。

憎しみの凝縮された隅田川のながめはさぞ殺伐としているに違いない……と思いきや、意外にも清々しく聴こえたので驚いた。

先生は言う。

「曲をマスターして音の強弱をコントロールできるようになるまでは、とにかく音をしっかり出すことを意識しましょう。バリバリした音でも良いんです。自信がないと音が小さくなるから、意識的に音を出すようにしないと、小さい音でごまかす癖がつきます。」

つまりは、あえて不快なほど大きな音を出そうと意識したことによって、音階や弓の角度が正確になっていたのだ。ばりっと輪郭の強い音はごまかしがきかない。そんな音を出すために一音ずつ迷いなく鳴らすことになり、堂々とした響きになっていた。

なるほど。不快な大きな音は、それ以外の荒い部分を際立たせる効果をもっていたらしい。どの箇所が弾けていないのか把握しやすくすれば上達が早くなるということなのだろう。

物事をはっきりさせることは摩擦を生むことでもある。ちょうどバイオリンの弦と弓がこすれるのと同じだ。綱引きには引き分けがない。

だから、なんとなく音を出してそれっぽく演奏することは難しくない。
「それっぽくなった!」といって、そのレベルで満足することは容易い。
憎しみをそれと認識する前に受け流すことが難しくないのと同じように。
付き合うかどうかの話の前に体の関係になることが難しくないのと同じように。


憎しみを込めてバイオリンを構えたとき、音と同時に自分の抱える憎しみもはっきりしてくる。ざらつくけど、ごまかしたくはない。演奏にも生活にも自覚的でありたい。

憎しみを込めて。

あの男め。
つぎに会ったら、しずかちゃんリサイタルの刑だからな、覚悟しろよ。
もう会わないけど。

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