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空間の捉え方と自分の作法

モノの見方とイコールかもなとふと思う
自分の場合はそこに何が「在るか」が
肝になっているように思う

だから
モノの延長で「空間の容積」を減らそうとか
「空間を演出」するとか
「空間を彩る」とかは「みてない」

庭を例にすると最後の最後に置く
つばき一輪のそのひとつに感動するから
その過程より「つばき一輪の存在感」を
得たいと思う

建築好きなのでそれは別に
ミクロにみてるわけじゃない

要はポンと置いた時の「空間感」
「空間」は「空虚」であることがよしとする
「おさまり」とか
「余白の美」ってやつを見てるんだと思う

自分の作品との関係で言えば
空間をどうしたいか?なら…
「空間を支配する」支配したいと思ってると思う
「存在感」

なるほど🧐そうか…だったら、
空間の大小とか作品の大小とか
逆に気にすることはないのか
そか、別に自分を曲げるとこもないのか

どうしても目の前で見たものに対して
考えるときに、目の前でみた作法に
ただ「当て嵌めて」考えているし
「当て嵌めて」なげかけられるから
モヤっとしたり、曲げたりしなくちゃ
いけなくなることに気がついた

見たことのない自分(の作品)なら
見たことのない作法でどうやるのかを
考え出せば良いのか

場を素直に受け止めて
どう在ればかっこいいのか考えればよいのか
ふつーに

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