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VoiceBox2022 フランケンシュタイン防備録

2年前、死ぬほど後ろ髪引かれながら換金したフランケンシュタインがこの度、キャストも新たに上演されるという事で参加してまいりました。
会場が遠いのでひとまず前売りで昼の部のみ購入、余りの素晴らしさに同行者共々夜の部当券購入してのマチソワ参加。
結論から言うと、当券買ったの大正解で、夜の部見逃したら一生……とまでは言わんが、向こう数年は後悔するとこでした、ほんと、残って良かった。
と言うわけで、昼夜通して大満足だったので久々の忘備録。
初noteなので読みにくくてもご容赦ください。

最初にお断りしておきますが、こちらあくまで筆者の防備録ですし、個人の感想です。
そして筆者は声優佐藤拓也のオタであり、彼の芝居を目当てに観劇させて頂いております。
が、あくまでも防備録なので、必ずしも推しに甘い感想じゃ無いかもしれません、あしからずご了承下さい。

開演時間ちょうどにオルガンのBGM。
流石のクラシカルな世界観の中、ひとり登壇する小野さん。
適当に目星をつけて置いてある椅子の一つに腰掛けると、続いて登壇された平川さんにジェスチャーで「ここは自分の席だ」と訴えられて座席交代。
3人目に推しが先に座って4人目にはっ倒される形で後方中央、一段高い上座に座る座長。
途端鳴り響くサイレン。
小野さんだけが驚いて立ち上がるも、他の4人は平然と芝居を始めようとして……
と、なんも前情報入れてなくて、古典的な、王道のフランケンシュタイン想像してたわたしにはちょっと意外な、コミカルテイストで強引に幕が上がり、舞台は現代…より少し未来?の日本? AI技術が中々進歩している世界。
オペを終えた若い医師が、侵入者に手渡された『フランケンシュタイン』と言うタイトルの本を開く事で、物語が動き始める。

本に描かれていたのは科学が今ほど進化してない時代、イギリスから北極を目指す洋上。
北極に大地があると信じて船を走らせる研究者が、氷に閉ざされた海の上で出会ったのは、かつて自然科学の道を志した、ヴィクターフランケンシュタインだった。
命をかけて自らの仮説を立証したい、と野心に燃える研究者に、ヴィクターは自らの過去の過ちを語る。

ここで場面は再び、多分ちょっと未来の日本。
相棒であるAIメアリ曰く、ヴィクターフランケンシュタイン、と言う名前がセキュリティコードに引っかかったとの事。疑問を感じながらも、医師が読み進める物語には、信じ難い出来事が描かれていた。すなわち、ヴィクターが大学生の頃、研究の名のもとに盗んだ死体を繋ぎ合わせて、怪物を創り出したことが。

ここで三度、多分ちょっと未来の日本。
セキュリティコードを突破した事実を問題視され、上司から初期化を宣言される医師。
実は医師自身も人型の人工知能だったのだ。
抵抗虚しく初期化される医師。しかし、冒頭の侵入者に本と一緒に渡されたアイテムを使う事で、間一髪、初期化を免れ、なんとかメアリを説得して物語を読み続ける。

世間から忌み嫌われ、彷徨い歩くうちに貧しくも温かな家族に出会い、言葉を理解した怪物が、接触を試みたその家族からも拒絶され、絶望の中で自らを創り出したヴィクターを憎み、復讐を誓い、ヴィクターの弟を殺して使用人に罪を着せたこと。
その上で自らの孤独を埋めるために、仲間…伴侶となる怪物をもう一体創れと脅し、脅迫に屈したヴィクターが2体目の怪物を完成させる直前、その愚行を指摘し、止めようとしてくれた幼馴染まで殺されてしまったこと。
再び完成した2体目が動き出した瞬間、過ちを悔いて彼女を殺したヴィクターに絶望を募らせた怪物が、ヴィクターの家族と婚約者を殺し、逃亡を続けていること。
そしてヴィクターがその怪物を殺すため、彼の痕跡を追い続けていること。
野心に身を任せ、踏みとどまれず神の領域を侵したヴィクターが、全てを語り終えて、今なら戻れる、と研究者を諭すところで本の中の物語は終幕となる。

読了した若い医師がメアリと感想を語り合いながら、人間と怪物の共生について、ひいては人間とAIの共生について言及したその瞬間、再び現れた上司から、メアリの強制停止を告げられ、更には医師自身も処分されてしまう。
予備は幾らでもある、とばかりに起動する新たな相棒AIキャンディ。
そしてマスターとなる新たな人型AI医師が、キャンディから次のオペ患について申し送りを受ける中、他に注意すべきこととして伝えられた前任AIからの伝言は、フランケンシュタインと言う名前だった。
もしかすると彼らの進化は、既に人間の思惑を超えているのかもしれない……

って言う、古典の大王道ファンタジーを、見事に現代から、未来にも通用しそうなSF作品に着地させるあらすじ。
重厚なシリアスと、軽快なコメディが入り乱れ、複雑に絡み合ってなお、混乱する事なくするりと受け入れられるのは、シナリオの妙と演出の絶妙。そして演者の力量の為せる技、だろう。
終わってみれば圧巻、だった。 マチネ終わりに、ソワレの当券買おうと決意する程度には。

2年前は千葉翔と小野D以外はマチソワでキャス変予定だったのだけれど、今回はマチソワでキャス変無、ただし役変はあるとの事で、ひとまずマチネだけの参加予定だったので、まずマチネの感想から語りたいところなのだけれど、その前にマチソワを通して『朗読劇面白いなぁ』と今回、改めて感じた事から書き留めておきたい。
会場に着いて入り口で豪華な二つ折りのフライヤーを貰っちゃった時点で大概驚いた(金持ちかよ!って笑)んだけど、中見て唖然としたのは登場人物の多さ。
演者5人に対して、役名何個あんのこれ、え、大丈夫?マジで?意味分からなくならん?
だって最多兼ね役の羽多野さんでマチネだけで同時に8役。これを見事に演じ分ける。何度場面転換しても、過去と未来や物語と現実を往来しても、一瞬で誰だかわかるんだもの、いやマジ声優怖。
台詞量的に兼ね役が難しいヴィクターと怪物でさえ5役兼ねてる。マジ怖い。
しかも昼夜で役を入れ替えた結果、最大13の役を演じ分けてる訳で、そりゃ小野D大喜びで自慢するわけだし、誇るわけだわよ。
ブロードウェイミュージカルから宝塚、ジャニーズ、2.5次元まで、かれこれ30年以上、所謂舞台芸術と言われるジャンルを愛してやまない私だけれど、だからこそ、小野Dのキャスト挨拶の「声優にしか出来ない」と言う部分の説得力が凄まじかった。
確かにこれは声優でなければ、朗読劇でなければ再現できない世界。
どんなに速替えの技術が進化しても、生身の人間が同時にこれだけ演じ分けられる瞬間を目の当たりにできる現場は、朗読劇以外無いだろうから。

と、言うわけでこれだけの登場人物が織りなす物語を90分にまとめる構成力についてはシナリオと演出に感服するしか無い訳だけど、幕が上がってしまえばあとは板の上の演者の力量勝負……と、言うわけで、マチネの感想から。
マチネの配役、メインどころの若手医師が小野さん、ヴィクターが平川さん、怪物が三宅さん。サイドとしてはAIメアリが羽多野さん、医師の上司やヴィクターの親友などなどが左藤さんと言った布陣。
まずは羽多野さん。可愛らしくもデジタルなテイストの強いAIで当日の初演で物語の世界観を観客に印象づける役目をしっかりと果たしてらっしゃった。
あの羽多野さんの第一声で「これは古典劇じゃありません」って明確に意思表示された気がしたので、演出もあるのかもしれないけどその辺の采配やっぱり上手だなぁ、って感じ。
全体的に羽多野さんが兼ねられた役はどれも、愛され好青年キャラな印象で、ストーリー展開上に幾つか作られた遊びどころで小野Dの無茶ぶりに堂々と応える姿もまた、堂に入っていて、アドリブ力の高さにも感心しきりだった。
対する若手医師役の小野さんもAIだって事は、冒頭、侵入者が本を残していく件で示唆されてるんだけど、あくまでも人間、と言うか如何にも現代人な風情なのが親近感沸くし、感情移入しやすかった。
その感情移入しやすさ、言い換えると、描かれる世界への没入感は、場面が古典的なフランケンシュタインの物語世界に移っても健在で、お陰で違和感なく全ての場面を受け入れることが出来て、端的に言って昼の部はとても分かりやすかったと思う。
平川さんが演じられたヴィクターは、純粋で、知的好奇心旺盛な少年時代の面影そのままに、野心と衝動のまま突き進み、禁忌を犯してこの世に在ってはならない生命を創造し、取り返しのつかない喪失を経て今尚、憎しみを原動力と言いながら、後悔と贖罪を抱えた、如何にも主人公然とした役作りがされていて、それもまた、「分かりやすい」印象に繋がってた気がする。
そのヴィクターの対局に居る怪物役の三宅さんがまた、どストレートのとても分かりやすい『怪物』像を作り上げてらして、如何にも怪物らしい、音としての「声」は勿論なんだけど、人の手によって理不尽に生み出された、その瞬間から「怪物」だった訳じゃ無い筈の「彼」が、人々から「怪物」と認識されることによって文字通り「怪物」に成長していく様、その経時的な変化みたいなものが、勿論説明台詞なんて一個も無いのに、ものすごく分かりやすく語られていて、お陰で本の中の、物語の世界が一旦幕引きとなった後に続く、現代(或いは近未来)と思しき世界との境界線がものすごく曖昧になって、見終わったときのスッキリとした後味に繋がったんじゃないかしら。
そんなマチネでの私の推し場面は小野Dのお戯れコーナーでの羽多野さんの長野弁の愛の告白と、ラストシーンでAIのキャンディが起動した瞬間の、三宅さんの豹変っぷり。
その瞬間、全身鳥肌でうわー、やばい、天才。大天才。すっき!!!!!!!!!!!ってなった。
兎に角私としては昼の部の完成度が完璧に近く高すぎて、逆に、役変すると宣言されているソワレに俄然、興味がわいたので、この配役が演出家の意図なのか小野Dの意図なのかは分からないけど(個人的には小野Dの策略であって欲しい笑)、まんまとハメられた感が拭えない。

まぁ、ハマっちゃったもんは仕方ないので開場と同時にソワレの当券購入。
この時点で役変の内容は不明、キャストの着座位置も不明なので、出来るだけ全体を見渡せるように1F最後方、PA席付近のサイドシートを選ぶ。
基本、PA席付近で拾いにくい音って無い筈なので。
ここのスタッフ連中が残念なことに、劇中の私語が多くて、そのボリュームが思った以上に大きくてちょっと引く位だったんだけど、それは後日小野Dにお手紙でもお届けする(だって朗読劇の現場で私語を喋るスタッフ、て致命的じゃない?「言葉」と「声」を聞く現場に於いて雑音でしか無い)として、気を取り直してソワレの感想。

ソワレの配役はマチネの平川さんと羽多野さん、三宅さんと佐藤さんが入れ替わった布陣。
即ち、後半の山場は羽多野ヴィクターvs怪物佐藤の会話劇的なサムシング。なにそれ美味しい。
会場入りして直ぐに夜の部のフライヤー(昼夜公演でキャスト表差し替えたフライヤ準備してんの、豪華っちゃ豪華だけど、見方を変えると「断じてネタバレはしてやらんぞ」と言う気概を感じて余計に好き)でそこんとこ確認したオタは私だけじゃ無い筈……ってか、マチソワ参加なら全員そうした事でしょう。
個人的に推しに昼の羽多野さんの役やって欲しかったところある(概ねお遊びコーナーで東北弁で愛を語って欲しかったと言うただ一点で)けど、マチネであんだけ完璧な怪物見せられた推しがどんな芝居するのか期待半分、心配半分の親心……楽しみな事に変わり無いじゃないですか。

そんなソワレの第一声は平川さんのAIメアリ。これが、現場でチューニングがてら何パタンも披露出来ちゃうくらい幅広くて、AIてこういうもの、って言う固定観念に縛られない、遊び心とベテランの余裕が初っぱなから心憎い。
てか、この時点で「昼の部との差分を見せつけなければならないのだ」と言う板の上で繰り広げられる駆け引きをひしひしと感じてもう最高。まだど頭なのに、こんなに楽しくてどうすんの。
って、多分、小野Dとシンクロしてたと思う。
羽多野さんのメアリも愛らしかったけど、平川さんのメアリもまた非常に愛らしくて、導入として最適だった。
そんな平川さんへ、小野Dからの無茶ぶりは、新潟弁の愛の告白とジャパネットのものまね。
滅茶苦茶ハイクオリティにヘッドセットマイクの集音力をPRする平川さん最高でした、あんな一発芸をお持ちとは。
シャットダウンされる間際のAIの声とか、兼ねられた全ての役を通じて細かなお芝居で物語の世界観をぐぐ、と引き締めてらした平川さん、流石です。
そんな平川さんと交代でヴィクターを演じた羽多野さんが、これまた七色の声音を使い分けてらして、船の上で過去を語るヴィクターと、回想の中で実際に生きているヴィクターの演じ分けが時間の経過を如実に物語っていて、その巧みさには勿論感心したのだけれど、個人的に羽多野さん凄い、夜の部のヴィクターが羽多野さんで良かった、と思ったのはヴィクターとしての最後のシーンなのでそれはちょっと怪物佐藤を語ってから今一度振り返らせて欲しい。
何はともあれ羽多野さんとても生き生きされていて、御自身が滅茶苦茶あの空間を楽しんでらした様に思います。
で! 我らが怪物佐藤ですよ。
マチネの三宅クリーチャー、古典のフランケンシュタインを知ってる人間としては理想通りというか、想像通りというか、「これぞまさに」って言う、想定内ではあるけれど、だからこそ、間違いなく安心感しかない怪物像で、フランケンシュタインのクリーチャーとしては完璧だったと思うので、これとの差分をどう演じるか、ってほんとにほんとにプレッシャーだったし、滅茶苦茶頭フル回転させたと思うのね。
勿論、演出はされてるし、事前の稽古と当日のリハーサルである程度の方向性は演者間で相談済として、当日、本番の板の上で「現時点での佐藤拓也に出来る解釈・表現」を限界までフル稼働してたな、ってのが一番の印象で、お疲れ様でした、ってのが素直な感想。わたしの推しに対する第一声。
他のファンの子が何をどう感じるかはさておき、わたしが夜の部で佐藤さんが演じた怪物から感じたのは彼の悲哀だった。昼の部で三宅さんが、全部……怒りや孤独、不安と絶望、悲しみも憎しみも、全部完璧に演じてらしたので、その表現を準えることなく、オリジナルにやりようなんてどこにあんの?って思いながら見てたんだけど、無機質な息づかいからの第一声からこっち、時間の経過と共に、感情を覚え、言葉を覚え、ヴィクターと再会して自身の感情を表現する、その過程に積み上げられる感情に怒りとか孤独とか不安とかより以上に強く、強烈に哀しみを感じて、誤解を恐れずに言うなら、なんか見てて怪物が可哀想になっちゃって……そこから、最後の最後、感情が振り切れた瞬間にがらり、と声音を変えて佐藤拓也的キメ声、世間的に言うところの所謂「イケボ」に変わるんだけど、さとたくオタなら良く見かけるソレなんだけど、その瞬間、怪物の心の中に降り積もった哀しみの閾値が振り切れて「心が死んだ」感じがして、見てるこっちまで絶望のどん底に引きずり込まれた感じ。
そうきたか、っていうか、いやそう来ると思ってたけど、って言うか、いやでもそうきたか、って言うか、そういうとこだよ、って言えば良いのか……現場で一瞬目を覆い、内心呻るしかなかった。
そもそもマチネではどちらかというと平川さんが演じたヴィクターや小野さんの若手医師に感情移入してたし、故にストーリーに集中もできた。
でもその分、自分の心の動きとしては割と平坦だった気がするんだけど、ソワレ、終わってみれば推しの芝居にがっつり心もってかれたの、正直くっそ悔しかったな。
と言うのも、推しの芝居が……私的にはとても未熟だったから。
勿論、頭で考えてることはすっごい分かるし、やりたいこと、やろうとしてることも分かるんだけど、技術がまだまだ追いついてないですね、ってのが正直な感想で、何しろ一番頂けなかったのが台詞の聞き取りにくさ。三宅さんとの差分を意識して別の角度から怪物らしい「音(声)」を表現する方向性として、確かに間違えては無かったと思うんだけど、いかんせん滑舌が悪過ぎて、あれじゃマチネ見てない人には、何言ってるか分からないとこあったと思う。
三宅さんの芝居が、声を外向きに張り上げる事で、爆発する怒りのエネルギーみたいなものをより強く感じたのと対照的に、佐藤さんはマイナスの感情を内向きに降り積もらせた結果の抑えた芝居、くぐもった声、故に強く印象に残った怪物の哀しみ。その代償として、台詞が音として伝わりにくくなっちゃってた気がして、そこは多分、テクニックでなんとか出来る範囲の事なんだけど、経験値不足感が否めなかったんだよね。
正直、先輩たちに比べて大分見劣りしたし、ぶっちゃけ、羽多野さんとの間にさえ、経験値的な溝が見えた気がした。「めっちゃ頑張れ」って思ったし、伸びしろがあると思えるからこそ愛おしいのだけれども。

それはともかく、ここで羽多野さんですよ。
前述の、羽多野ヴィクターの最後の台詞。最後のトーン。
会話している相手は、北極を目指す研究者の平川さんなんだけど、そこの芝居がめちゃくちゃ良くって。怪物佐藤の「豹変」をうけきっての、見事な深み。
カテコのキャストトークで小野Dも触れてたけど、私が羽多野ヴィクターから最後に感じたのは、怪物をこの世に生み出してしまった後悔、贖罪、だけじゃ無くて、怪物佐藤本人に対する贖罪と言うか、慈愛めいた感情と、それを踏まえた上での決意……確固たる信念みたいなものだったのね。
これはもう、明らかに、平川ヴィクターからは感じなかった感覚だし、教科書通り、理想のフランケンシュタイン像だったマチネの芝居から生まれる感覚とは明確に別の感想で、ものすごく尾を引く、独特の後味だった。

マチネ見終えた瞬間の、あのスッキリとした、「そうそう、こうでなくちゃね」「あー面白かった」って言う後味どこ行ったの? って我ながらカテコ中、鼻で笑っちゃってた訳だけど、マチソワ通してホントにホントにホントに素晴らしかったVoiceBox。
何はともあれ「声優って凄い仕事だ」と誇らしげに最後に声高に宣言する小野Dの矜持に心から感動して感服して、先輩たちの背中から、また沢山吸収して、役者として益々輝きを増していくのだろう推しに、期待せずには居られない一日になりました。
ほんとに、ほんとに、夜まで居残って良かった。
先にマチネを見れて良かった。
あと羽多野さんほんとにほんとに有り難う。
怪物・佐藤拓也の創造主が羽多野渉で本当に良かった。

最後に小野D始めとする役者陣、客席を含め、あの空間を共に作り上げた同士の皆さんへの惜しみない拍手、とても素敵でしたね。

改めて皆様お疲れ様でした。