Fare Thee Well

彼はキスと文章が上手くて、英語を話せる文学部の男の子。
彼の冷ややかさと、狂気を秘めたところが好きだった。

代々木公園でキノコ食べて、バッドトリップをしたあなたは明け方に突然わたしのアパートのチャイムを鳴らした。リュックも携帯もなくしたあなたはボールペンで書き込んだ英文だらけのジャケットを着て、ももちゃんしか助けてくれる人が思いつかなかった、そう言った。

あなたが書いた小説や話す言葉を隣で頬杖ついて聞くのが好きだった。

わたしを腕の中に抱いて甘い言葉を囁きながらあなたは愛していた女の子のことをずっと考えてた。

あなたは目を離すとどこかに消えていってしまいそうで、私はずっと祈るような気持ちだった。


I hope that you won't slip away in the night
I hope that you're happy with me in your life
hope that you won't slip away

あなたが突然、夜の静寂に消えていきませんように。
あなたが、私といることで幸せでありますように。


夜明け前の青暗い部屋、行き場のない私たちは仰向けになって手を繋いだ。

「ももちゃんといるとこの部屋、逃避行みたいな雰囲気が漂うな。ももちゃんとここで寝るのが一番好きだよ」

あのアパートはひずみのように感じた。部屋にいるのにどこへだって行けるの。

夜が終わって欲しくなかった。毎回の別れは永遠で不確かだった。

朝になるとひんやりとよそよそしい空気の中で支度をして仕事に行った。

2人でいても私はいつもひとりで、あなたはあの子のことを考えていた。

何人女を抱いても、虚しいだけだ。あなたはそう言った。

わたしは、この人と死にたいと思った。この人と生きたいでなく死にたいと思うのは初めてだった。


いつしか窓を叩いていた木枯らしが春の香りを運ぶようになった。

私たちが会う夜は次第に増えて、私たちは週のほとんどを一緒に過ごした。

週末は近場の商店街まで出かけて、河川敷で鬼ごっこをした。
花屋でバジルやアロエを買って、アパートの小さい庭で育てた。
100円のシャボン玉を部屋の中で飛ばした。
窓から差す夕日に照る泡を、ぼんやりと天井まで見送った。

あなたはいつしか死にたいと言わなくなった。
「お前は俺にはもったいないような人だよ、本当に幸せ。」



夏の盛り、死にたいと言わなくなったあなたは、突然夜の静寂に消えた。



Fare thee well! and if for ever,
Still for ever, fare thee well.

どうか、ご無事で。これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。


あなたはいつからそう決めていたんだろうか。

別辞すら灰になって永遠の沈黙に帰る。

燃え盛る火はついたまま、たった一人の消せる人を失ってしまった。

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