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考えだすと怖いこと


私はパソコンに向かっている。
部屋には5,6人の人々がいて、めいめいがパソコンに向かって作業をしている。

データを打ち込んでいる間も、私の意識は常に存在する。何かを考え、自分にとって自分を特別な存在であると思っている。
自分の意識は完全に「無」になることはない。20数年間の記憶と感情が蓄積されている。思考も意識も決して中断されることはない。

部屋の他の5,6人の人々の意識や脳も同じ状態にある。
それぞれが独立した意識と思考を持ち、今現在も何かを考えている。彼らも彼ら自身を特別な存在であると思っている。

津波に流される老人の映像を見る。兵士に殺される若者の動画を見る。
少しでも高いところに上ろうとする姿や恐怖に泣き叫ぶ姿を見て可哀想だと思う。
それは動物を見るような感情だと感じる。逃げ惑うモルモットを見ても同様の感情を抱く。


他の人々の思考を想像するときの感覚は自分のペットのうさぎの思考を想像するときのものと似ている。
特別な友人や親戚の人々の意識すら、彼らが自分との繋がりを持たないときには中断されているような感覚を抱く。

実際にそれが大きな間違いであることが、そして自分以外の人々も他者そして自分に対して同様の感覚を抱いているのではないかということが怖い。




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