Life Story 16:幼少時代の原体験
その後も何度かグループカウンセリングに参加した。
少しずつではあるが、自分の感情にアクセスできるようになってきた。
他の参加者の話にも、自分事のように痛みを感じるようになってきた。
母に対して、たびたび強烈な怒りを感じることを告白した。
私は両親が離婚して以来、母一人、子一人で育った。
私は母と話すと、毎回決まって怒りを覚え、怒鳴りつけてしまう。それでも母はいつも全く気にしていない様子で受け流し、それを見て余計に怒りが湧いてくる。
なぜこんな感情が湧いてくるのか、ずっと不思議でしょうがなかった。
今まで母からひどい扱いを受けたわけでもないし、怒られたこともないし、女手一つで一生懸命育ててくれた。なのに、こんな親不孝な自分にいつも自己嫌悪を感じていた。
母に対する原体験(マロンの思い出)
母に対する原体験として、5歳の頃に飼っていた雑種犬のことを思い出した。名前を「マロン」と言った。初めて飼った犬が嬉しくて、いつもそばを離れなかった。
我が家に来てからまだ数日のある日、一人でマロンを散歩に連れて行った。まだ首輪やリードがなかったから、道の危ないところはバケツに入れて運んでいたが、急にバケツから道に飛び出した。
マロンは私の目の前で、車に轢かれて死んだ。
大きなショックを受けた私は、ぐったりして冷たくなったマロンを抱きかかえ、泣き叫びながら家に帰った。
母は顔色を変えることもなく、私にこう言った。
「あなたはよく道に飛び出すから、交通事故の怖さをマロンが教えてくれたんだね。これでもう交通事故に合わないからマロンに感謝しようね。」
このときの母の言葉が、後々まで残る大きな傷を残したのだと思う。
きっと母は、この出来事を教訓にすることで、ポジティブな事実に変えられると思って言ったのだろう。悲しむことに意味はないと励まそうとしたのであって、悪意がなかったことは分かっている。
グループカウンセリングでそのことを吐き出した時、私は泣いていた。
私はずっと母に共感してほしかったんだと分かった。
でも母はいつも自分の言いたいことを言うだけで、気持ちを分かろうとしてくれたことはなかった。
ネガティブな感情は受け流されてるだけだ。決して受け止めてはくれない。その度に何度も傷ついてきた。
いつしか私は辛い気持ちを感じることをやめた。
そして母や社会に心の壁を作り、他人に辛い気持ちを見せることをやめた。
何十年も続いてきた母への怒りの正体は、悲しみを感じないようにする防衛本能だった。
怒ってさえいれば、絶望を感じなくて済む。悲しみや絶望を感じないように、怒りで自分自身を誤魔化し続けてきた。
両親が毎日のようにケンカしているときも、心の壁を作り、何も感じないようにする術を覚えた。生きるための大切な処世術だった。
感じないようにする技術はどんどん向上していった。
両親が離婚した時も、父が自殺したと知った時も、悲しい気持ちは全く湧いてこなかった。涙は出ないし、何の感情も湧かなかった。
あの時すでに、悲しみを感じないようにする技術は完成していた。
ただ潜在意識の中に恐怖感だけが刷り込まれていた。
母への怒りのもう一つの正体は、死への防衛本能だった。
「母は父を否定した。だから父は死んだ。」という気持ちがあったのだろう。
母は、私が進もうとする道を否定し、行き先を強制しようとすることが度々あった。そんな時、呪いをかけられたように、自由を奪われる絶望で身体から力が抜けた。
怒りで必死に抵抗し、自分自身を守っていた。
そして惨めな死への恐怖が、自分を突き動かしてきたのだと知った。成功できなければ母の呪いに殺されしまう。死に追いつかれないように、必死で前へ逃げてきた。
➡ Life Story 17:母と同じだ。心の痛みが分からない
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