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好き嫌いを知る

何かを見たり聴いたりして「好きだな」と思ったら、そのどこが好きなのか、なぜ好きなのかを徹底して分析する

そうして自分の「好き」の解像度を上げる。やりたいことが見えてくる。


反対に、「好きじゃない」と感じるものについても分析することが大事だと気づいた。

好きじゃないものは避けるのではなく、むしろ向き合う。

どこが好きじゃないのか、なぜ好きじゃないのかを徹底して分析する。

そうすることで「自分は何をやりたいのか」が
より「客観的に」見えてくる。

自分がやりたいと思っていることがどういうものであるかを客観的に知ることができる。

「好き」の解像度を上げるための有効な「もう一つのルート」だ。

とある、たくさんの作品が並ぶ大きな展示を見て回って、それをやった。
たくさんの作品を見てまわりながら、気になる作品は好き嫌いとその理由をメモしていった。

好きなものリスト と 好きじゃないものリスト ができた。

最初は抵抗があった。
人の作品を「好きじゃない、よくない」と思うことにかなりの抵抗があった。
そう思ってしまうのは自分が未熟だから、表現というのはどれも尊いものなのだから、そんなこと思ってはいけない、という意識があった。
でもそれはあくまで「個人的な好き嫌い」を考えているだけなのだから、正直になったほうがいい。
そしてそれは誰にも言わない、自分の中だけでのことだ。

好きなものだけを見ているのでは自分を見失うのかもしれない。

好き嫌いに敏感でありたい。


ある授業の課題で、自分で「全く好きじゃない」作品を作ってしまった。

自分こんなじゃないのに。こんなの大っ嫌いなのに。

テーマも自由で何を作ってもよかったのに、講評に間に合わせるためにとにかく「やれること」だけを考えた。
そしたら全く自分らしくもない、全く好きでもないものを作ることになってしまって、終始制作が辛かった。
出来上がったものも見たくなかったし、人に見せて「これが私の作品です」だなんて、絶対に嫌だった。
「あなたは、こういうのが好きなのね」と思われるなんて絶対に嫌だ。


講評では、最初に自分ではどう思っているかを先生の前で話す。

「こういうのは本当は好きじゃないんですけど、」
「自分の好みとは真逆なんですけど、」ということをやたら強調して喋って、訳のわからない講評になってしまった。

こんなことは二度としたくないと思った。

好きじゃないものは作らない。
自分が本当に「好い」と思ったものしか作らない。

と、紙に書いて机に貼った。

自分の字だけじゃ効力が弱いかもしれないから、パソコンで打ってプリントアウトしたやつも貼った。

「やれること」「得意なこと」に、どうしても走りたくなるものなのかもしれない。
そのほうが楽だからだ。

でも、そんなふうには絶対になりたくない。

「好きなこと」をやるには勉強が必要だと痛感する。

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