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特徴に向こうにある何かを愛したい


詩人になることが夢のアマチュアポエマーなので今日は愛について語ります。

人が誰かを好きになったり、愛したりする時、その理由は何なのか。
私は人にそれを聞くのが結構好きです。恋とか愛だとかいう感情に理由を求めるなんてナンセンスだ、という議論は一旦置いてください。

人は人の、どんな個性を取り上げて好きになるのだろうと。
自分と似た傾向のある人を好きになることもあれば、全然違う個性を持つ人を好きになったりするじゃないですか。それが面白い。

でもその「個性」っていうのが厄介なんですよねえ。何を以って個性とするのか、という。

例えば、私が割と異性からモテるとするじゃないですか。例えばの話ですけど。
モテる理由ってのは人それぞれで、私の場合だと「愛嬌がある」とか「よく笑う」とか「サービス精神旺盛」とかですかね。モテるとすれば、ですけど。

でも今あげた理由でモテてるのって、私がモテているわけではなくて「私みたいな女」がモテてるだけだなあって思うんですよ。同じ個性を持つ他の誰かでもいいってことじゃないですか。
最近、なんだかそれがひどく薄っぺらく感じてしまてならないです。


確かに「愛嬌がある」とかっていうのはわかりやすく表に出てきている個性ではあるんですけど、それってあくまで表面的な、最早個性というか特徴であってその人の本質じゃないと思うんですよ。

同じ「愛嬌がある」って特徴でも、その原因みたいなものがあるはずじゃないですか。その人の価値観とか意識とか。

例えばそれは「天真爛漫で人懐っこい性格」だからかもしれないし、「そうすることで好かれることを知っているからそう振舞っている」かもしれない。はたまた「目の前にいる人に対しての礼儀」として他人に対して意識的に愛想よくしているのかもしれない。

どんな理由でその人の特徴が出来上がったかはそれぞれ違う。
それによってその特徴をどう捉えるかも違ってくる。そしてその捉え方にもその人の本質が見えてくる。そういう魂のやりとりを、私はしたいんですよ。
ただ、それは本人でさえ自覚していないことの方が多いから、それを見出せと他人に求めるのは乱暴過ぎるとも思うんですけどね。

しかも、わかり易い特徴もその人の個性の一部であることには違いない。
そして私が本質だと思うものも、またもっと深い、過去の経験とか環境に起因しているとも言える。どこまでをその人の個性として認識するかに正解なんてないんですよね。

でも、愛するなら、愛されるなら、「特徴の向こうにある何か」であってほしいと思ってしまいます。

お酒を飲むとこんな話ばかりをしていて「そんな細かいこと考えてるから彼氏できないんじゃない?」といつも父に言われるんですけど、自我が生まれるのが人より遅かったので、遅れてきた中二病だと思って許してほしいです。