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「東京への憧れ」だけで上京してくるやつらへ。

東京に対しての異常な憧れを持つ人がそこそこいる。東京に行けばなにか変わるかもしれない。こんな漠然とした考えだけで、東京に来るのはあまりに危険である。

皆さんの中にはこんな経験はないだろうか。「テレビやネットで話題になっているお店にいったものの期待外れだった。」「長蛇の列になっているお店に並んではいったものの特においしくなかった」
漠然と憧れだけで東京にきたら、きっとこれと同じ感情が生まれると思う。田舎の人間は、ネットやテレビなどのメディアにより「空想の中での東京」像がどんどんでかくなり、期待がたかぶってしまうのだ。東京に行けば魔法が使えるわけでもない。極端なこと言えば、他の街より人が多くて、建物が多いだけだ。

しかし、東京にきて、やりたいことが明確で、情熱がある人にとっては、この「人が多い」ことが、「魔法」となり得ると思う。

人が多い。

仮に、A君が田舎育ちでお笑い芸人を目指すとする。A君の町の人口が5000人いるうちの、お笑い芸人を目指す人が5人いるところ、東京は人口1380万人ほどおり、そのなかで吉本お笑い養成所NSC東京に入学するのはおよそ500人くらいいるらしい。東京の吉本だけでこれなので、東京全体でみれば、お笑い芸人になりたい人は1000人を越えるかと思われる。A君の町の中のお笑い芸人になりたい5人のうちで1番面白くても、東京にいくと1000人居るうちの、800番目くらいになるだろう。いくらA君の村で経験値積んでも、限界はある。そこで、人が集まるところにいくという考えになる。

自分よりも面白いやつをみて、もっと面白くなりたい、もっと反骨精神を持ちたい、という向上心から「お笑い芸人になりたい人が多い街」にうつり住むのだ。それがたまたま、東京であったり、大阪であったり、福岡だったりするだけの話である。

東京に行ったら、魔法がかかって、急に面白くなるなんてことは絶対にない。

人が集まるから、建物が建つ。

人が多く集まると、次はどうなるかというと、その多く集まった人達のニーズを満たすために、環境が整ってくるのだ。建物が建ち、そこに人々のニーズを満たすサービスをする会社もしくは個人が入居する。東京というのは元から建物がボコボコたっていて、そこに人が集まって居るわけではなく、人が集まるから、建物がボコボコ建ちだすのだ。人がいないのに建物を建てる意味なんてない。

需要と供給が循環する。

お笑い芸人になりたい人、
という需要に対して、
お笑い養成所、
という供給がある。
けれども、そのお笑い芸人を必要とする人がいなければ、お笑い芸人になったところで、飯を食うことができず、野垂れ死ぬ。しかし、人が多い東京であれば、一定数お笑い好きの人がおり、劇場に足を運ぶ。

お笑いを見て、ストレスを解消したい人、
という需要に対し、
お笑い芸人
という供給があるのだ。
これは、お笑い芸人に限らず、あらゆることでも同じ事が言えるとおもう。

しかし、ここ最近のインターネットの発達から、田舎にいたとしても、あらゆる人と繋がることができる環境になりつつある。まずは田舎でできる限りのことをやり、それでもその田舎でやりたいことができないのであれば、そのやりたいことはどこでできるのか、を考え、その答えが東京となったのであれば、東京に行けばいいと思う。「東京」という答えありきで考え出すと、結果として東京に上京した時に、「ただ憧れだけで東京に行った人」になってしまうので、注意した方が良い。

おまけ…建物が建ったら、人が集まった。

しかしながら、どんな街も元々、人がいるわけではない。なにかきっかけがなければ、急に人が集まりだすことはない。つまり、一番最初は開拓者がいるのだと思う。この事例として私がパッと思いつくのは「清澄白河」である。2015年にブルーボトルコーヒーが日本初出店の地として清澄白河が選ばれたのである。それ以降珈琲屋やそれ以外でも面白い店舗が清澄白河に出店しだしたのである。

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