ちょい疲れた。

ちょい疲れた。
怪談イベントの情報収集でXを見てる時間が多いのがだ、年明けから色々あって、中々しんどい。何でしんどいのか考えてみたら
…何と言うか…こう…「狭い」んだな。

SNSは基本「お気持ち表明」の場でもあるので、個人の発信はそれはいいのだが、
意識してるのか無意識かは分からんが、「お気持ち表明」の中にある種の思惑・信条・思想を少しだけ混ぜ込んで、
「他者を思うように動かそう」という意図が透けて見える、ちょい不快。

「ニュース」という形で流れ来る情報も、偏りが激しいような気もする
(これは私のフォロー・フォロワーの偏りにもよるのだろう)

ちょっと考えよう…
仮に「100人が被災した震災」があったとして
最初のニュースは、もちろん「100人が被災した震災」である。
ここで50人助かった時、今のニュースはどう報じるか、
おそらく「震災で被災したうち50人が、まだ助けを待っている」であろう。
これが70人助かった時、90人助かった時、どう報じるか、
「震災で被災したうち**人が、まだ助けを待っている」ではないか?
もちろん「困っている人の為に声をあげる」のは良いことだが、
そればかり見てると、全体を見る目が無くなり、視野が狭くなる。何より気分が落ち込んでくる。

いわゆる専門家の中の1人が「おかしい?」と言っただけで、そこを取り上げて「どうなってんだ!!」的な記事も多い。
そこに、理屈の無い、変な批判も混じる
「対応が遅い!速くなんとかしろ!」「かわいそうじゃないか!」
事故や災害は場所・時期・人口…様々な要素が複雑に絡む。
「同じ場所で同じ時間に同じ規模の事が起きた場合」でもないのに
何を基準に「遅い」って言ってるのか良く分からん。ただ言いたいだけに見える。
例えるなら、
『コロナで発熱中の人が交通事故で右足骨折、大量出血』みたいな状況で、
止血・輸血をしてる医師に
「足折れてる!なんてかわいそう!何とかしてあげて!」とか
「はやく解熱剤を!」とか言って、結果「この医師はクソ!!」
みたいなのが溢れてる。

現状分かってる被害の【全体像】がこれで
「今交通がこんな感じ…」「物資が…」「救助が…」
「ここはここまでいってる」「ここはこのくらいが遅れてる」
みたいな俯瞰的なニュースが欲しい。
一部だけを切り取っての感情論と批判したいだけみたいなのが多すぎる。

ただでさえ暗いニュースばかりの年明けに
玉石混交の情報に大量に流れ、
正しい情報や批判が、個人的な思想・信条を紛れ込ませた記事とごった煮になって、誹謗中傷なども混ざり溢れかえって、怒声と反論の応酬ばかりで、見ていて中々しんどい。

『全体を見渡して、現状の進み具合を分析した上で、評価すべきところはキチンと評価し、問題点についてはしっかり考えながら、
被害にあったの個人個人の状況をどう良くしていったらいいか。今後同じ問題が起きないようにどうしたらいいか』
そんな建設的な人間としての【知】が見えづらい。

少し外に出よう。本を読もう。映画を見よう。美味しいものを食べよう。
そして状況が落ち着いたら、金沢あたりに一人旅に出かけよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?