2023/12/06日記

今日は少しだけ早く帰る日。帰り際、「あー、寒くなってきたらニット帽被りたいなー」とぼんやり考える。家に帰って「これこれ」とニット帽を取り出した時、そういえばもう寒いんだと気づく。この前まで夏だったのに、毎日無我夢中で生きていたら今日だった。一日は長いのに一年は早い。

ニット帽を出したついでに部屋の掃除をした。

掃除をしている時、まずは水回りから!と動き始めた時に、床の髪の毛が気になってそっちに必死になったり、そうしているうちにスマホを失くしたり、そしてふと「あ、あのネックレスも失くしてた!」と家中の箱をひっくり返して部屋がさらに汚くなったりで、散々だった。 
あまりにも散らかりすぎて、前述のニット帽にも埃が絡まった。
ふと我に返り、「またやっちゃったな〜」とメソメソ。

カップラーメンのお湯を入れた後に、シンクに溜まっている食器が気になって洗い始め、気づいた時にはぶよんぶよんに伸びていた麺を食べたこともある。このエピソードは、自分自身に衝撃を受けすぎて前にも書いた気がする。

わたしの思考のとっ散らかり方と謎の行動力(衝動性とも言う……)は良い方向に働けば素晴らしい成果を生む(しかし、興味があることしかできない……)が、基本的にはほとんどの要領を悪くする。
も少しだけでも器用に生きて、寿命を確保したい。

去年のことが、1ヶ月後にはもう一昨年になっているのが怖い。これ毎年言ってる。今年の年越しも幼なじみと過ごすことになったが、お互いの今後の進路上、今回がもう最後だと思う。まだ確定とは言えないが、わたしの人生も次のフェーズに入る予定である。

さて、掃除もどうにかひと段落したので、昨日からずっと喪失感たっぷりの心に、とりあえずお米と漬け物を与える。訃報を見たときも、わたしはお米を炊いていた。
わたし以外の人が死んでも、わたしの生活は続く。誰かの生が終わる傍でお米を炊く。
こんなことで自分は自分、人は人、というのを実感させられながら、この喪失感の分わたしに穴が開いてほしいと思うほど、わたしは彼に心を重ねていたのだった。

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