ネガティブ批評をしなくなった話

ボードゲームサークル千発百中のすづきです。
【敗者の権利】というゲームを製作し、ゲムマ2022春で販売しました。

ボードゲーム歴は約10年。
ずっと遊ぶ側としてボードゲームに関わってきましたが、今回(個人での)製作側として半年を過ごしました。
もの凄い経験をしたなぁとしみじみ思います。

で、やってみて気付いたことや、考えが変わったこともたくさんあって、その中の1つに表題の

ボドゲのネガティブ批評をしなくなった

があるので、書いてみようと思います。基本的には『同人ゲームへの』という枕言葉が付きますが、どう捉えてくださっても構わないです。

ちなみに私自身はライトなリプレイ派です。
→新作は追わない
→未プレイゲームをやりたい欲もそれほど無い
→買ったゲームは5回くらいはやりたい
→でもやり込みたくは無い
それでもありがたい友人のおかげで1000以上のタイトルは遊んでます。

ボードゲーム始めて2年くらいはなんでも楽しい時期があって、たぶん3年くらいから合う合わないが出てきて、今となっては選り好みがかなり激しい。
なので、買ったゲームや、やらせてもらったゲームが合わなかったことも多くありますし、どの部分が合わなかったかも言語化できます。(できないものもある)

調べてはいませんが、ゲーム製作する前はそういうことも発信していたかもしれません。
評価っていいところも悪いところもちゃんと見ることがいいことだと思っていたし、その人の好みの傾向を知ることは、今後のゲーム選びの参考になるから、有益な情報だと思っています。
その考え自体は今も変わってません。

ですが、今回ゲーム製作をしてみて、ネガティブな批評が及ぼす影響を知ることとなり、ちょっとこれはもうできないなと思いました。
ただ、嘘を言うつもりは無いので、合わなかったら、

「私には合わなかった」

のみの表現にしようと思います。
今となっては、そもそもネガティブな意見が有益であるなら、DMでもして聞けばいいじゃん。有益な情報を得たいなら『めんどくさい』という労力を費やせば?とさえ思う。

前置きが長くなりましたが、ではなぜそう思うようになったかという本題に移ります。

1.作者へのダメージその①
これはおそらく予想通りのやつです。批判されれば傷つく。シンプル。
作る以上、想定はしてましたが、思ってた以上に応えます。幸いなことに自分の観測範囲での敗者の権利の評価は、【ポジティブ8〜9、ネガティブ1〜2】くらいの割合だったので、この割合が違っていたらさらにキツいのか、むしろ諦めがつくのかは分からない。でも最初は誰でもキツいでしょう。
最初じゃなくてもキツいもんはキツいと思うけど、それでも続けているのだから、いろいろな方法で乗り越えてきて、さらに言えばその経験が活きているケースだってあるでしょう。

あれこれ言われるのが嫌なら世に出さずに身内だけでやればいい。世に出してお金まで取ってるなら評価されるのは当然。という意見もあるでしょう。ド正論です。否定するつもりもない。
出す方がどういう目的で出すかだけであり、予想できることを分かってやってることなので、言われて嫌なことではありますが、今回はこれ以上書くことはしないです。

2.買った人へのダメージ
「面白そうだから買った!」
「このゲームでみんなと遊びたい!」

ゲームを買った人はこんなことを思ったりするんでしょう。私もそう。
ところがネガティブ批評で自分の感性や判断力を否定され、みんなに出そうと思ったゲームが出しづらくなる。
誰に何を言われても、自分がいいと思ったものを信じればいいんだ。
なんて、いったいどれほどの人が思ってるだろう。思えるだろう。
そもそもネガティブ批評をする人は自分を守る術(「あくまで“僕は”そう思う」等)や、反撃を撃ち落とすだけの口撃力、経験からくる説得力がある。と思う。
普通にモノ買うだけの人はそういう点で弱い人が多いのではないだろうか。強い言葉、説得力のある言葉には萎縮したり、流されたりする。
その情報を入れて実際に遊んでみると、「あぁここの部分ね、確かに」となり、「そこは確かにそうだけど、他の部分は結構面白いぞ」ってなる人がどれくらいいるか。そもそも実際に遊んでみるかまでいかないほど、世の中にはたくさんのゲームがある。遊んでもらえないゲームは悲しい。

3.作者へのダメージその②
上記2.と似てますが、これは
せっかく買ってくれたゲームがこんな評価されて申し訳ない
という感情。これはどれくらいの割合でいるかは分かりませんが、少なくとも私は感じた。そしてこれは全然想定してなかった感情。作ったから分かった気持ちでした。
自分が言われる分にはいいんですけどね。買ってくださる人にはホント感謝の気持ちしかなくて、楽しんで欲しいと思うわけです。
『頼むから買ってくださった人の耳には届かないで欲しい。少なくともフラットな状態で1回遊んでからにして!』
と思いました。都合の良い話ですけど。
でもこれは完璧なゲーム作るしか防ぎようが無い。つまり無理。

4.作者へのダメージその③
ゲムマに1回出して終わり!っていうことじゃなければ、再生産とか、次回作とかの『次』があります。
その『次』の計算ができなくなる。どれくらい作ればいいか。
慣れてくれば、しっかり現実を見ることができる目だとか、クラウドファンディングなどのいくつかの手段も選択できるかもしれませんが、私には難しかった。もしかしたらこの時点でやめようと判断する方もいるかもしれません。気持ちの面もあるし、【生産量を下げる→コストアップ→それでは出せない→生産見送り】ということもあるので、望む声はあるけど、ごめんなさいをするという選択。
これもやはり製作してみて知ったこと。

だから?
まぁ結論ですね。私はネガティブな批評をやめました。ネガティブな批評に対してネガティブな評価をするという矛盾みたいな話ですが、製作を経験してからというもの、ネガティブな批評を見ると、
大勢の社員がいる前で気に入らないことをした部下を怒鳴りつけてるパワハラ上司
にしか見えなくなった。これは自分のゲームだけじゃなく、他のゲームに対してもそう感じるようになってしまった。
「そういうことも大事なことでしょ?」
という言葉もこの人が喋ってるように脳内再生される。
ネガティブ批評なんて、そもそも何気ない一言だと思うので、言ったことすら忘れてる気がする。私が過去に合わないゲームをどう言ったか思い出せないのもそれを裏付ける。(記憶力が無いだけかもしれない)
つまり言う方と言われる方の感情の釣り合いが取れてないんですよね。

じゃあ世の中がどうなることを望むか?

それは知ったこっちゃない。人にどう思われようと私は私の考えを述べただけ。皮肉にもネガティブ批評する人と同じマインドです。
自分の知り合い、友人にもネガティブな批評をする人がいる。今さらやめてほしいとは思わない。
私の中でそういう人と認識しているので、【隣の部署のパワハラ上司】に見えるようになっちゃったけど、そのままでいてくれて構わない。

仮にネガティブな批評がこれで減ったとして、緩くつまらない同人ゲームが氾濫したとしても、私はむしろそこから独特なゲームが生まれそうだと思うし、嫌なら関わらなければいいだけ。
10年間ゲーマーさんやってて、今回だけ製作し、今後製作する予定は無い私だから気付けたこと、言えることかなと思いました。
文章って怖いですから、これ読んでどう捉えられるか分かりません。まぁそれも仕方ない。

同人ゲーマーさんを応援してます。

長々とすみません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?