見出し画像

【自分語り】「好き閾値」について

こんにちは。すづけです。ちょっと前になりますが、みなさんあきやさんのこちらの記事読まれました?

私はあきやさんの1個下なのですが、あきやさんがコンクールに向けて服作ってる頃にはコスプレ衣装をちくちくと作っていたのでなんだかすごく懐かしい気持ちになりました☺️

私はその頃、作品というのは出せば見てもらえるものだと思っていて……というかそんなことを考えたこともなかったです。

もちろんコスプレは趣味だから好き勝手に作っていいし、やらないといけないことなんて何もないんですが、私のいい感じ!の閾値は低いことはわかっています。それなりにはなるんだが詰めが甘いって子供の頃から耳タコで言われてきましたが、全てに対して「嫌い・悪い・やりたくない」と「好き・よい・めざすところ」の2つに分けた時に「好き・よい・めざすところ」エリアがめっちゃ広い。というかこっちに「悪くない」が入ってんですよね。だから「これでいっか!」のボーダーが低めになる。これは人生において全てそうで、大体のもの美味しいし、大体のものかわいいし、わりと幸福寄りに暮らしています。でもこれ洗練はされにくいし、物を作る上ではめっちゃ悪いと思う。だって物を作ることは少しの「よくない」を敏感にみつけて、「よい」を伸ばして、改善を続ける遊びだから。

あと上で書いた「悪くない」は「よく知らない」とほぼ同義な気がしてます。よく知らないもの知らないままに嫌うことあんまりなくて、それは私の性格の良さ(自分で言うスタイル)につながっていくと思うけど、ぱっと見で好き嫌いをジャッジして、今よりもっと狭いエリアの「好き」を集めることが上達の鍵になるなということはわかります。

この世の全てを知ることはできないので、好きエリアの精度を上げるには
・(よく知らんけど)好き、(よく知らんけど)嫌いって分ける
・よく知らないものを嫌い側に置く
あたりかなと思いつつ、どっちも……ウーン……
よく知らないものに次の好きの種はあるので、よく知らないものを嫌い側に置きたくないですね……「好き」が先細りしてっちゃう気がする。好きの先細りが洗練なのか?とも思ったのですが、知ってて削ぎ落とすことと、知ることが減ることは全然違いますね。
あと(よく知らんけど)は本当に好きなのか?本当に嫌いなのか?ってよく知らないならジャッジできなくない?とも思いますし……ウーン
しかし世の全てを知ることはできないので、みんな(よく知らんけどとりあえず)好き、(よく知らんけどとりあえず)嫌い、って分けていってるのかなあ。

大学が美術系でパソコンとか使う系だったのでわりと卒業後はAdobeと友達になってデザイナー方面に行く人が多く、私も例に漏れずwebデザイナーという名前の職業につきます。が、デザイナーという職業の人、「美」に対してめちゃくちゃ厳しい人が多くて、それは暮らしていく上で全部でした。やはり仕事にできるぐらいわかる人は一瞬で「嫌い・悪い・やりたくない」と「好き・よい・めざすところ」のどっちに振り分けるかができてる感じで、しかも好きボーダーが厳しめ。もちろんわかったことをやるやらないは別なのですが、こちらもわかっててあえて選ぶのと、わからなくて選んでるのは全然違いますよね。

みんなこだわりというか、自分の芯が一本通っていて、その高めのOKラインをクリアしたものだけを持っているんだなとわかって、ああ私はだめだわ、と思いました。
これはデザイナーできない自分なんてダメだ、というやつではなくデザイナーって職業向いてないな、なんですが、まあ実感としてしみじみとわかったわけです。もちろん普段からやらなくても仕事でできればいいじゃんなのもわかるんですけど、普段から無意識でやってる人には絶対敵わなくないですか?こなす数が違いますもんね。

あとコンセプトに置いている画家も自分の中をつきつめて作品を作っていく上で「嫌い・悪い・やりたくない」と「好き・よい・めざすところ」のジャッジを厳しくやっていかないといけない職業で、これはできないな……と思ったのですが、未練があったので入れています。
未練を断ち切って別のコンセプト職業になるか、それともコンセプトに引っ張られてリアルの方が変わっていくのかはわかりませんが、自問自答ファッションをやっていく上で「嫌い・悪い・やりたくない」と「好き・よい・めざすところ」のジャッジをたくさんすると思うので、もう少し素早く軸がブレないようにしたいなあと思います。

ひとまずはそんな感じです。それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?