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グッドパッチ社&土屋さんとの思い出(2012〜2020年)


=【プロローグ】=



「僕が土屋さんの出逢ったキッカケは『ITパパ会』という飲み会です」


1ヶ月半ぶり電車に乗った。
コロナ禍により3月中旬からテレワークで自宅に引きこもっていたからだ。
緊急事態宣言の真っ只中、朝の渋谷行き地下鉄半蔵門線はガラガラで、奇妙にしんとしていた。

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渋谷駅につくと、桜丘オフィスには向かわずに、ハチ公前広場やスクランブル交差点の閑散とした様子を見に行ったりなんかして。
(上京したての若者のように。ふと90年代を思い出しながら)

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この日は普段のTシャツ短パン姿ではなく、ジャケット&シャツ&革靴だった。
渋谷駅前の歩道橋。慣れない革靴で汚れた階段を駆け上がる。辛い。
5月に入ったばかりだけど汗ばむ陽気。マスクをしながら階段を駆け上がり息を切らすとクソ暑い。今夏の外回りはマジでキツイぞこれ。


「ITパパ会があったのは、2011年だか2012年あたりですかね。確か、渋谷のワタミだったと思います。人数は15人前後でした」

誰も出社していないグッドパッチ社オフィス@渋谷桜丘の会議室。
ZOOM越し以外で人と会話するのは久しぶりでした。

卸したてと思われる清潔感漂う純白マスクをした審査官の方は、珍獣を見つめるような瞳で「何とも言えない微笑」を僕に向けていました。


=【秋葉原の桜田ビル】=


ITパパ会(※1)の詳細は注記に後述するとして、僕が土屋さんと会ったのはアエリア社のCFOとしてベンチャー業界向けに「体外活動」をし始めた頃でした。アエリアファイナンスっていう投資子会社作ったり、学生起業家支援ファンドとかを作ってた頃ですね。(※2)

渋谷の居酒屋で男だらけの飲み会終宴の帰り道。
土屋さんは当時江戸川区に住んでいたので、江東区な僕と帰りの電車が一緒になりました。
飲み会中は近くの席じゃなかったので話しておらず、「初めまして」的な感じだったと思います。

年齢は僕より10個下なので、当時、26、7歳ぐらいでしょうか。
色白でややふっくらとしていて、表情が柔らかいけれど目が切れ長で眼光がやや鋭い。
そして、若いのに低音ボイスが響いている。渋い、渋すぎる。年下なのにやけに貫禄を感じる。


「シロクマの気ぐるみを着た昭和の名優」


みたいな第一印象でした。

半蔵門線で会話した内容はほとんど忘れてしまったのですが、とても真面目な会話だったと思います。


「僕は起業したてでして、経営とか全然分からないので教えて下さい。タイミングきたら相談させてください」(土屋)

「オフィスは秋葉原なんですね、今度一度遊びに行きますよ」(須田)


2012年6月26日10時に初めて秋葉原のグッドパッチオフィスを訪問することに。

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秋葉原って聞いてたけど駅から結構遠くて、御徒町や末広町から行ったほうが早かった感ある。
蔵前橋通り沿いにある「桜田ビル」
隣接したオフィスビルと比べると、築年数は古くビルの外壁は汚れており、大地震が来たら真っ先に倒れそうだこれ。(東日本大震災があったのは1年前)
ビルの1階には玉袋筋太郎さんが太客かもな街の中華料理屋。
エレベーターに乗ると鶏ガラの匂い。何か頭皮の油もベタついてきたのは気のせいだろうか。

オフィスに入るとほんのりと徹夜した若い男性の香り。
トイレと洗面台の目の前に小さなテーブルが置かれていて、そこが一応の接客スペースみたいだ。
オフィス部分との間仕切りはなく、話す内容はみんなに丸聞こえ。(でも当時オフィスには3人ぐらいだったかな)

僕はこんな雑居ビル&ややオイニー感なオフィスに、逆に「とても強い親近感」を抱きました。

「アエリアもこんなもんだったな。スタートアップたるもの、あるべき姿や」と。(※3)

土屋さんとの初回面談はざっと会社の近況みたいなものを聞いて、何かふんわりとしたアドバイスをした程度の会話でした。

「これから、秋葉原に来るときはいつでも寄ってくださいよ。ここの空いてるスペース使っていいので」(土屋)

土屋さんは優しく軽い気持ちで言ってくれたのだが、この言葉が「縁」となり、僕はちょくちょく秋葉原桜田ビル(※4)に立ち寄ることになりました。(今で言うと、渋谷新大宗ビルの「べるお小部屋」にピットイン的な関係)

そんなこんなが半年ほど続いた2012年11月15日。
珍しく土屋さんからメッセが来ました。

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ちなみにその後、僕はグッドパッチ社のアドバイザー→監査役と関係を作っていくのだけれど、土屋さんからメッセが来ることはとてもとても少ない。僕自身、社会人経験で20年ぐらい「ベンチャー企業社長」と仕事で関わってるけれど、「最も連絡や相談が少ない社長」と言っても過言ではない。よほどの危機感があったと思われる。


そして、当時の打ち合わせメモを見返すとこんな感じ。


ーーー
・共同通信受注
→47ニュースの運営、リニューアル
→来年3月までに6人の常駐案件
→リソースがあればもっととれる

・組織
→正社員4人、アルバイト3人

・課題
→人集め(ウォンテッドリー、findjob、ジョブセンス)
→自社プロダクトなど、新しいものにも投資したい
→1月までに移転したい(秋葉原近辺で)
ーーー

安定的な売上がついてきて、これから会社としての体裁を整えなくてはというステージ。
そこから「月イチの報告会」を対面壁打ち形式でやる形で、僕のアドバイザー業?(※5)がスタートしました。


=【壁打ち会議とLike a Silicon Valley】=


当時、土屋さんと会話していく中で、僕が密かに評価していたものに彼が書いていたブログがありました。

「Like a Silicon Valley」というブログ。

今で言ったら「シリコンバレーによろしく」みたいなもんでしょうか(あ、これももう古いか…w)。

若い起業家や予備軍の方々はぜひ一読してみて欲しいですね。
起業家や経営者が「ブログで文章をアウトプットする」ということの重要性を再認識しますねこれ。

読み返してみると2012年5月に現地でUBERとか体験してる!(すげー)
Ustreamで配信!とか懐かしい言葉w
そして結婚して子供出来たタイミングだったのに、サンフランシスコに行ってるのね。絶対に真似できん…w
当時からグローバルな視点をもっていた土屋さんは、その後、現取締役のボリス(2013年入社)を現地CEOにしてドイツ子会社を早々に立ち上げてるからスゴい(2015年)。

一方、僕自身は超ドメスティックな人間だった(今もですが)ので、単純に「意識高くて凄いなー!」とアホな大学生みたいに心の底から感心していました。(前職ソフトバンク時代はほとんど日本橋箱崎のビルから出たことがないし、当時アエリア社では北米西海岸に子会社があったものの、CFOのくせに一度も訪問せず連結決算していて、まさにアホな大学生並)

そんな僕との月イチ壁打ち会議は主に、

・今、会社に現預金がいくらあるか
・常駐(受託)ビジネスをどのあたりまでやっていくか

というシリコンバレー感のない、GAFA風テクノロジー感のない、超現実的なニッポンの秋葉原雑居ビルにありがちな内容でした。

ただ「受託ビジネスをどこまでやるか」というのは、当時からネット業界界隈では奥ゆかしいテーマでした。
「いつまでも受託やっててもスケールしない」っていうあったり前田の一般論。
僕自身はどちらかというと「受託をバカにしてはいけない」という少数派でした。

僕が当時CFOをしていたアエリアという会社はコミュニティ事業でスタートしたものの、全く儲からずコミュニティ事業を楽天に売却し、その後受託ビジネスで何とかつないで、年商4億、営利1億でIPOしていました。
受託でもいいクライアントにいい仕事をしてれば、ちゃんと利益は出るんですよ。(まあ、ハードワークしてましたけど…)

自社の話だけではバイアスかかってて説得力もないので、当時でいうとゲーム会社の「レベルファイブ社とソニー・コンピュータエンタテインメント社」や「ソフトバンク孫さんとシャープ佐々木さん」の事例を出して、

「大手優良企業の良いプロジェクトで、一回り年上の方に育ててもらう事例は間違いなくある。ベンチャー界隈のエンジェルではなく、大企業の中にも仕事を与えてくれるエンジェルもいる。継続受託は価値が高いのでなるべく伸ばしましょう」

などとアドバイスしていました。

そんな壁打ちをこなしていた当時の桜田ビルオフィス写真が土屋さんの「Like a Silicon Valley」にもしっかり残っていました。

(お、まさかのちょうど僕が映っているww そして僕と対面している後ろ姿の男は一体誰だ!(クイズです※6))

それにしても「文章をアウトプットする」という文化は、本当に、本当に、グッドパッチ社の素晴らしいカルチャーの一つです。当時「memopatch」という名でスタートし、今はグッドパッチブログに進化。



=【運気トークと資金調達】=


事業が拡大するにつれて、課題は採用や組織に移っていきます。

いつの時代もスタートアップにとって「採用」は大変です。
他のベンチャー企業でも社長自身が採用業務にリソースをとられて苦戦したりしていました。

「そんな大変なら、もう俺がやった方が早いかもな」と思い、僕は自分の個人会社(有限会社スダックス)で採用媒体に出稿して、採用代行をボランティアでやってみたりしました。300人ぐらい面接して、グッドパッチに貢献できたのは、デザイナーインターン1名ぐらいでした。(※7)

当時一緒お遊びでプロダクトを作っていたIBMエンジニアの今井くんに「IBMなんて辞めちゃえよ、ベンチャーの方がいいよ」って声をかけて、グッドパッチで内定出したのにメルカリに採られてしまったのもこの頃だったか。今となってはいい思い出だなぁ。


また土屋さんと対話していく中で、僕との共通点もいくつか発見しました。それは、

「いやー、運がいいっすね」
「引いてきましたよ!自分の引きが怖いぐらいですw」

という運気トークであるw

ちょうど人材採用に難航していたころに、急に良いエンジニアからのエントリが続いた、なんてときです。

僕自身は新卒採用のときにも「運はあるか?→はい!」と元気よく答えて松下幸之助メソッド面談を切り抜けてきたタイプだったのですが、そういえば、何で土屋さんもこういうトークをするんだろうか?麻雀とかやるのかな?土屋さんとはホントあんまり仕事以外の雑談をしなかったので、今度聞いてみたいと思う。

人が増えると当然オフィスは手狭になっていきます。
そんなタイミングでオフィスの引越を検討することになり、僕経由だか土屋さん直か忘れましたが、安定のクリアビジョンさんにオフィスを探してもらうことに。(その後何度もありがとうございます)

僕も「運気ビル研究家なアドバイザー」として内見にいって岩本町駅すぐ近くの物件に「即OK」を出したのもいい思い出です。


「運」を話題にすることともう一つ共通点がありました。
それは、高校時代「ハンドボール部」だったということです。(※8)
あ、はい、それだけです。
特にこれに関して土屋さんと話が盛り上がったエピソードとか、ないです。
まあ、自分のマイナーな部分に共通点があると急に親近感湧いて、恋に落ちたりするじゃないですか。それに近いやつです、はい。

そしてコンクリート感のある新オフィスのエアコンがガンガン効いた綺麗な会議室で月イチ会議をしていた2013年の夏。

それまで僕らの会議では「いかにちゃんと経営するか」という観点で、現金みたり、組織みたり、事業をみたりの話題ばかりで、エクイティでの資金調達なんてハナシは一切ありませんでした。土屋さん自身もそういうつもりはなさそうでした。

当時、スタートアップも少し盛り上がっていた頃で、僕自身は「昔と比べると何だか資金調達って簡単に出来ちゃうもんだな〜(チャンスだな)」という印象を持っていました。そんな中、土屋さんと僕が資金調達について初めて話がでます。
当時の僕との会話も「Like a Silicon Valley」に残っていました。


ーーー
須田さんに相談すると「グッドパッチなら投資受けれるんじゃないですかね?」と一言、僕 「え、でもうちまだ受託ビジネスの会社ですけど投資とか受けれますかねー??」須田さん 「グッドパッチだったらいけると思いますけどね。もうそれなりにブランドできてきてるし。とりあえずダメ元でもあたってみますか?VCとか事業会社とか紹介できる所は紹介しますよ。どこがいいですか?VCだったら〇〇とか〇〇とか事業会社系だったら〇〇とかデジタルガレージとかどうですか?」その名前を聞いた時に今までのサンフランシスコで琴さんにお世話になった事、Borisとの会話、その他色々な点と点が繋がるのを感じました。僕 「デジタルガレージを紹介してください!デジタルガレージだけでいいです!」
ーーー


デジタルガレージの石丸さん(当時)とは、弁護士ドットコム、クラウドワークスも一緒に株主&社外役員をやっていて、定期的に会議でお会いしていたので、僕にとってはスムーズなスルーパスでした。

事業計画のエクセルとかも作ってなかったので、まさかの投資家サイドに作成をほぼほぼ手伝ってもらったような記憶があります…。この場を借りて改めて、石丸さん(現アコードベンチャーズ)、猿川さん(現土屋鞄CFO)、その節はありがとうございました!


昨今では金額が小さく感じてしまいますが、1億の資金調達ニュースはネット記事にもなりました。

=【さらば秋葉原、渋谷桜丘へ】=

資金調達も完了し、事業拡大すべく、のちに渋谷(桜丘)に引っ越すことになるのですが、秋葉原時代の思い出はもう一つ。
2013年末の忘年会です。

僕のそれまでの反省点としては、グッドパッチ社においては土屋さんとしかほぼ会話しておらず、現場社員との交流がほぼゼロでした。当時、同じように関与していた弁護士ドットコムでは毎月六本木の「居酒屋 ほの字」での社員飲み会に参加し、やや泥酔しつつも「現場と交流することの重要性」を感じていました。

忘年会シーズン真っ只中。毎日複数の忘年会をハシゴしていて、その日も新宿御苑で他社の忘年会に参加したあと、20時過ぎぐらいに秋葉原グッドパッチ社の忘年会へと合流しました。ちょうど1次会が終わり2次会に突入するタイミングに何とか間に合った。と思ったら、なんと、社長の土屋さんは帰ってしまいましたw

「イマドキの会社って飲み会もサクっと終わっちゃうのね」と昭和生まれな僕がポツんとしていたら、誰が誘ってくれたのか、気づくと見知らぬ若手社員さんらと4人で場末の居酒屋に入りレモンサワーを飲んでましたとさ。

そして無事渋谷(桜丘)のオフィスに引っ越し。
秋葉原の古びた雑居ビルから、とうとうITスタートアップの本拠地「ビットバレー」に乗り込んできた感がある。

デザイン会社らしいオシャレなオフィスのにて、僕と土屋さんの壁打ち会議も進化していく。
資金調達し上場を目指すようになると「取締役会」が必要になり、僕はアドバイザーから監査役となり、デジタルガレージの猿川さんが役員となり3人での会議になりました。月次決算の報告と組織関連の話題と追加の資金調達に向けて議論していました。

土屋さんの運気からくる「引きの強さ」は健在で、素晴らしい投資家の方々に入って頂くことが出来ました。


月イチの株主報告会にはSMBCVCさん、セールスフォースVさん、SBIさん、三井住友海上Cさんも加わり、桜田ビルの汚いテーブルで壁打ちしていた会議体は、オシャレな大会議室での賑やかなものに進化しました。(※9)

資本がらみで僕からのスルーパスだと「FiNC社」の紹介がありました。
2014年8月に土屋さんとFiNC溝口さんの初対面アポ。
さすがの溝口さんは初回アポに40分遅刻してきたみたいですw
ですが、その後良好な関係となってグッドパッチがFiNC社アプリ開発UIUX等の仕事をお手伝いすることに。
そして2015年12月に資本業務提携へ。

2016年〜2018年あたりは、資本増強が進み取締役会、株主報告会などの会議メンバーが増えてにぎやかになる一方で、組織的にガタガタしている事象が多く、「経営と現場の乖離」の問題が顕在化されてきました。

土屋さんとのメッセを見返すと、大変な事象が多い…。(画像添付出来ないレベル)ああ、ベンチャー企業の経営ってマジ大変…。
幹部人材、マネージャークラス人材の退職。
「ベンチャーあるある」と言われれればそれまでですが、ヒトの問題というのは最も答えがなく難しいのです。

ただ、そんなときも土屋さんは苦境から目をそらさず、時には自ら現場に降りて直接対話をしたりしていました。そして、その逃げない姿勢が再び強い「引き」も導いたのだと思います。(神さま、ありがとう)

従前から「経験豊富で年上のメンターが欲しいっす」と土屋さんから再三言われていました。その頃、ちょうどオンラインサロン(※10)とかが立ち上がっていて、僕も内輪向けにメンタリング兼ねて作ってもちろん土屋さんにも入ってもらいました。でも引き続き「年上のメンター欲しいっす」と何度も言われるので

「ああ、俺も実は一回りほど年上なんだけどな。童顔だし単なるガヤ芸人なのかな俺。もっと重厚感のある人がいいんだろうな」

と若干フラれたような気持ちで探していましたがなかなかパスが出来ず。

そんな中、2016年7月、佐田さん(野村證券→ジャフコ→カヤック監査役)が常勤監査役になっていただけると。

いやー、これ以上ない、すごいツモw

(その後、社員総会で佐田さん&カヤック柳澤さんとのゲストトーク実現)


この時期はボロボロでしたが、振り返ると、今となっては執行役員クラスな方々の採用が決まりまくってて、やっぱり「引き」が強い。


事業部を統括できる松岡さん、経営企画の柳沢さん、管理部門の瀬川さん。
滑って転んで暗闇を歩きながらも、何とか新しい風を「引き」続けるチカラがグッドパッチ&土屋さんにはありました。
(後にこの引きはクライス&カンパニーの松尾さんパスだったと聞く。ありがとうございます!!)

(松岡さん:僕と同じ世代だし、同じくゲーム業界経験者)


(柳沢さん=ぺんぺんさんのnoteも無茶苦茶バズった)

(瀬川さん:freee社のメディアに載ってる!知らなかったw)


グッドパッチ組織崩壊の苦境ストーリーについて、詳しくはこちらの土屋さんのnoteにて。(1,000いいね越えで既に界隈では超有名なエントリですけど)

=【現場にもガヤ芸人を】=

社外のアドバイザーや監査役というロールだと、なかなか組織内部の課題についてはソリューションが出せず、ホントすいませんでした。
僕がやれたことは少なくて、以下ぐらいでした。


●2014年〜 斉藤恵太ホットライン

2013年末の秋葉原忘年会で一緒に飲んだメンバーのひとりは斉藤くんだった。他のメンバーはその後退職してしまったので、僕の唯一の知り合い現場社員だった。


その後はFiNCのプロジェクトにアサインされていたので、FiNC社で何度か会って立ち話とかしたような仲。
「僕も現場のこと知らないから、いつでも気軽にメッセ頂戴よ。ホットラインみたいな感じで内部告発ウェルカム!」
と伝えていたので、年に1通ぐらいの頻度だけどメッセのやり取りをしていた。

2014年12月
「昨晩はお疲れさまでした。久しぶりにお話が出来て良かったです。なかなか昨日の席でも言い出しにくかったのですが、ホットラインの約束もありますのでお伝えしておきます。今は社内の雰囲気良くないです(後略)」
2015年1月
「あけましておめでとうございます。新年から暗い話なのですが、このホットラインはもう終わってしまいそうです。(中略)このまま続けていく自信が今はないです。(中略)あえなく陥落です。」
2015年8月
「お久しぶりでございます。ご心配いただきながらご無沙汰しておりまして、大変失礼いたしました。。。いろいろと不穏なお話ばかりしておりましたが、なんとか耐え忍び徐々に盛り返しつつあります。(中略)FiNCのプロジェクトにアサインされて須田さんのお名前を拝見したので。通常の3倍速位のスピードを要求されており(後略)」

暗いネタが多すぎて全文開示できん!w(画像添付できん!)

しかしながら、そんな斉藤くんも今やフルリモートチームでプロジェクトを完結させるという完全に時代の波に乗った「GoodPatch Anywhere」の事業責任者に!


2019年社員総会でMVP!

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2019年8月
「このメッセンジャーはつらい過去が詰まりすぎて上にスクロールできませんwww」

とのこと。


●2016年8月 佐宗純 インタビュー 記事作成(JEEK)

佐宗くんは僕がグッドパッチの受付近辺でウロチョロしてたら声をかけてくれたイケメンな若者でした。
「スダックスさんですよね、存じています」みたいな。
学生時代からベンチャー界隈でインターン(klab株式会社)とかやってて、新卒はNTTコム入ったけど2年で辞めてグッドパッチに入社した、と。
「おおー、そんな意識高い系のベンチャーマインドな若者がグッドパッチにいたんかい!」と思いました。
その場の立ち話で「今、ちょうど学生時代インターン経験してた人にインタビューしてるから今度出てよ」っていって記事化が実現しました。

今となってはReDesigner事業の責任者に。


2019年夏の社員総会で佐宗くんがMVPもらってる絵には、僕も少しもらい泣きしましたw(写真ボヤケててゴメン...)

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●2017年4月 若手との飲み会(佐宗、徐福、はこちゃん、岩田)

佐宗くんがセットしてくれたのかな確か。
現場の若手でイキのいい人達とのこじんまりとした飲み会。
僕のしょーもない手書きノートとかを見せて爆笑されてたような思い出があります。
徐福くんとはこちゃんは笑顔が耐えないカップルだった。(のちに結婚!)

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●2018年4月 柳沢さんと瀬川さんとの飲み会(with 蟹座ガヤ3人衆)

2018年は本当にグッドパッチが変わるチャンスで、正直このタイミングを逃したらまずいと思い、会議でガヤばかりしてる僕が珍しく僕から土屋さんにメッセして飲み会が実現。

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「蟹座ガヤ3人衆」とは、デジタルガレージ(当時)猿川さん、セールスフォース浅田さんと僕。
会議中の発言スタイルやノリが似てるんですよね、西洋占星術ってホント不思議w

その後、2018年7月の経営合宿にも参加して場を荒らす(?)。

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●2018年8月 ReDesigner赤Tシャツ姿の男が区役所で発見される

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Takramに転職されてしまった川崎くんに発見されたようです。
その後一度近所でお茶したけど元気かなぁ?


●2018年10月 徐福くんとはこちゃん結婚式参加
グッドパッチのリンモチさんプロジェクト(モチベーションクラウド)で大活躍していた徐福くんと広報の紅一点はこちゃんの結婚式。


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土屋さんの乾杯トークも冴え渡り、このあとの霜降り明星さんの漫才へとつなげる。

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まだ無名だった霜降り明星さん。この年の年末にM-1チャンプになって一気にスターダムへ。土屋さんの運気、グッドパッチの運気、我々の運気がそうさせたのでないでしょうかw

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と、これぐらいでしょうか。。。あとは最近だとグッドパッチ辞めた元社員とはイベントであったりするんだけどなぁ(苦笑)(※11)


=【引きの強い土屋さんは、まだまだ続くよどこまでも】=


死の谷を越えて人は強くなる。
組織も強くなる。

リーダーとしての土屋さんも大きく成長し、そして得意技の「引き」も続いていく。(神さま、ありがとう再)
ずっと懸念だった管理部門の強化。
かつてCFO候補として現ユーザーベースの千葉さんをみんなで口説きに行ったりしたけど成就しなかったなぁ。
あ、そういえば、CMO候補で現delyの坪田さんも口説き飲みしたけどすべったなぁ。

苦節ウン年。
2018年12月に常勤監査役の佐竹さん、2019年2月にCFO槙島さんがココぞというタイミングでジョイン。
そして2020年。
DGの佐々木さんには引き続き社外役員をやって頂くことになり、さらに、PRTimesの山口社長を新たに社外取締役に。

さらっと書きましたけど、ホント、自分では真似できないですこれw

佐々木さんとは一緒にグッドパッチ社内イベントでクロストークもさせて頂きました。(探したけど社内ブログには記事がなかった。。涙)

山口さんのご紹介はコチラ。


最後に、他に何か土屋さんと思い出のネタはないかと、gmail「土屋」で検索をしてみる。




すると。




なんと。





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ww

土屋さん、デジハリ大学院生時代、2010年アエリア主催のビジネスプランコンテストに応募しとるんかいw
今知ったw
もってますね!w



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「幼児教育アプリで幼児向けのe-ラーニングのリーディングカンパニーを目指す」

協業や受託案件でもいいので、いつかこの大学院生時代の夢も実現したいものですねー!土屋さん!


コロナの影響で東京証券取引所にて鐘を鳴らす機会がありませんでしたが、これも逆に超レア体験(僕も初めて!)ということで土屋さんの引きで「ツイてる」としておきたい!

最後に僕の口癖ですが、「上場してからが本当の会社経営スタートなので、こっから頑張りましょうー!」

(まずは弁護士ドットコム社の背を見て国内上場ユニコーンを通過点に!)


2020年6月30日

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以下注記

(※1 ITパパ会)
IT業界に勤務してますが、最近子供が生まれて大変です、パパ業と仕事って果たして両立できるんでしょうか?みたいな悩みを語り合う飲み会。
30歳前後のパパさんが多かったかな。僕も娘が3歳とかの頃。
確か、20年来の知り合いだった館田さん(元ドコモ・ぐるなび)のお誘いだったような。この飲み会は不思議なご縁があり、土屋さん以外にも今でも仕事つながりのあるフクロウラボ清水さん、レイ・フロンティア田村さんともここで知りあった。


(※2 学生起業家支援ファンド)正式にはアジア学生起業家支援ファンド「I-shin」


アエリアとngi group(現ユナイテッド)で2008年立ち上げる。
丸山さんと雑談しながら作ったファンド
アエリア:僕、佐々木くん(元クラウドワークス)
ngi:金子さん、丸山さん、奥山さん(現ミクシィ)
メタップス、セブンバイツ、イーグルの3社に投資

(※3 アエリアのオフィス)
アエリア社は「東海赤坂ビル」というオンボロな雑居ビルに入居のまま2004年に上場した。
「サウナ」という看板が目印の、路面店みたいなエントランスで、来客の方々が「え?ここってホントに上場企業のオフィス?」とキョトン顔されること頻発。
ちなみにアエリア社は亀戸の6万円台アパート→田端の8万円台アパート→赤坂雑居ビルというボロっぷり。
田端の物件は僕がアエリア社外総務担当としてこなした初仕事かもしれない。

(※4 桜田ビルへの立ち寄り)
当時アエリア子会社のアクワイア社が秋葉原にあったため月イチ往訪してた地域。
打ち合わせスペースでは「農業とうどんとアプリ」というプロジェクトの打ち合わせなどで使わせて頂き、しょーもない無駄話が多く軽く迷惑をかけていたに違いない。グッドパッチ退去後はレイ・フロンティア社が居抜きで入居することになる。


(※5 アドバイザー業?)
アエリア社ではM&A等で子会社化することが多く、全ての会社にPMI担当な社外役員として入っていた経験もあり(10社ぐらい?)、「社長をサポートする」って仕事は何となく出来るかもなって思っていた。
2012年ごろからアエリア社は非常勤役員的な立場になり、徐々に外部のベンチャー手伝いなどもお試ししてみることに。
当時では弁護士ドットコム、クラウドワークス、NDPマーケティング、ワンアールの4社だったと思うので5社目かな多分。


(※6 クイズの答え)

血尿でおなじみのホリウチさん


(※7 有限会社スダックスで採用媒体出稿)
アルバイト求人のジョブセンス(リブセンス運営)に出稿。
当時成功報酬は@3万ぐらいだったか。デザイナーインターンで仲野さん(現フリーランス)を採用
当時のスプレシを見ると、弁コム1名、ハロ2名、アカツキ3名、クラウドワークス1名、NDP1名、3rdkind3名など。techouseにも2名かな。
創業したてのアカツキとかにもボランティアでバイト供給してたわ俺w


(※8 ハンドボール部)
「グッドパッチの社内部活にハンドボール部作りましょうよ!」と言って土屋さんスルーされたことがあります。ちなみにフーモア芝辻さんもハンドボール部出身で共感し、近いタイミングで同じような関わり方をしています(株主&社外役員)。


(※9 株主の方々との交流)
セールスフォース浅田さんとはここで初めまして。
ガヤありがとうございました。クラウドサインの方よろしくおねがいしますね!(実は僕がこっそりプッシュしたので)


SMBC服部さんとはオープンロジに続き2社目だった。道や駅でもよくすれ違う。


昔グッドパッチ株主飲み会をvoicy収録して配信したら、服部さんがNGだして引っ込めたのありましたね。服部さん転職してるし、2017年7月収録で時効ってことで誰にもバレないようにこっそり復活させよっかな。そういえば、voicyでもcrewwのイベントで土屋さんとフーモア芝辻さんと登壇した回がありました。


ちなみに定例の株主報告会では、僕は「お局風のガヤ芸人力」を活かすべく常に土屋さんの隣を定位置としていた。

(※10 オンラインサロン)

あれって2012年ごろでしたかね?シナプスの田村さん(略してタムケン)が立ち上げたサービス。タムケンさんとは前述の学生起業家支援ファンドi-shinのビジコンに応募してきた起業家。当時今をときめく梅木サロンとも仲良かったので、「須田さんもやりましょうよ」と言われノリでsudax salonってのやってた。ググったらなるみんのnaverまとめがw

個人的には情弱からカネとってコミュニティ運営とか気持ち悪かったので、基本無料にして単なる内輪クローズドなfacebookグループにw(外からは変なやつが入ってこないように月2,000円とかにして→当時では高い)今見たらメンバー70人ぐらい。結構真面目にいいことは書いてたはず!サロンの先駆者だったなー、ガメツクやってたら今頃インフルエンサーだったかもなぁw(絶対に向いてないけど)


(※11 辞めた社員と)

先日wemakeのイベントでばったりグッドパッチ元社員3名(小川くん、大蔵くん、菅原くん)と会いました。wemakeのプロジェクトに一緒にチャレンジしました





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