表参道にて


6月14日木曜日19時40分、僕たちは表参道のフードコートにいた。

先生、先輩このような場を作っていただき、誠にありがとうございました。


デザインの真面目な話から、男子高校生がするような話まで、話しに話して、語りに語り倒した。最高に贅沢で、最高に楽しい時間だった。

様々なことに関して意見を交わした。

その中でも、「解釈」というワードが一番アツかったように感じた。

そもそもこのワードは、デザイナーという立場、またはそれに似た中立な立場に立つ時、専門家の知見を持っていることが大事とされているが、その知見を持っていることよりも、専門家からその知見を引き出すことが重要だよね、といった話から出てきたワードである。ある程度の知見はないといけないが、少し知見を持ったところで専門家にはかなわず、そうだとしたら、その専門家の知見を引き出した方が早く正確だからだ。

社会では、様々な専門性を持った人々が集まり、様々な専門性を用いてあらゆる物事に取り組んでいる。しかし、専門性は高まるにつれ、周囲の理解が追いつかなくなることがある。専門家の知見を引き出しても意味がなくなってしまう。

こうした流れから、そこには解釈が必要だとなった。

解釈者は、製作者や発案者とは別の存在で、そのモノ、そのアイデアに対して自分の目線で解釈し、意味づけをする。言い方を少し変えると、「意味を添える」とも言えるような気がした。解釈して、意味を添えて、みんなの理解出来る言語にして共有する。

そう、ここで言う解釈は翻訳なのだ。

専門性が高くみんなが理解できないモノやアイデアを、自分なりの解釈をして、そこに意味を添え、みんなが理解できる言語に翻訳し、理解できなかったモノやアイデアをみんなに共有する。一般に言われる翻訳は、モノやアイデアという部分が外国語で、みんなが理解できる言語が自国語である。このように、理解できる領域と理解できない領域がはっきりしているといいのだが、専門性を帯びた何かだと、ここがはっきりしていない。

その一種の手段として視覚化があるのではないか。

専門性の高く難しいことを、自分なりに理解し、自分なりの視点で意味を添え、イラストなどを用いてわかり易い形にして共有する。視覚化という翻訳ツールでは、みんなが理解できる領域を、視覚表現と定めている。視覚化とはそういうものなのではないか。

そんなことを語り合った表参道であった。


デザインっていいな。


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