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帰省の意味

世間的にはあまり良くないのかもしれないが、3日間だけ徳島に帰省した。3日とも大雨警報発令で思うように遊べなかったのが少し心残り。特に被害はなくて無事だった。(山上の前の家にお墓参り行く時だけ落石などで大変だったが。)

コロナのせいで帰省というものが年に3回(年末年始、GW、お盆)だったのが2回くらいに減少した。この1回減る意味はかなり大きくて、半年に1回になっちゃうってこと。半年も町に戻らないと、街の景色はどんどん変わってる。防災対策が進んだり新しい店や道ができたりと正の側面を見せてくれる一方で、ますます人口が減り、町の活気が失われているという負の側面にも気付かされるわけで。特に夏祭りなどの人の集まるイベントがコロナで中止になることで、ますます活気が減り、人との繋がりも希薄になる。こうして失われるイベントや伝統産業も数知れないのではないかと思わされる。これも長い歴史の1ページだと仕方なく受け入れるべきか、少しでも足掻くべきか考えさせられる。

老いていくのはうちの家族も例外ではなく。特にばあちゃん。僕のことはきちんと覚えててくれるから嬉しいけど、久しぶりに会った従姉妹の名前が出てきてなかったし、記憶が薄れてるような会話も多かったし。幸いにも体は元気で、よく喋るから一緒におしゃべりしたり百人一首したりで楽しく過ごせたからよかったものの、毎日怒られたり笑いあったりしてた小学生の頃の日々はもう戻ってこないのかと思うと泣けてくる。できる限り一緒の時間を過ごしたいから今回も帰省したし、また次はお正月に笑って再会したい。余談だけど、ついに「まだお嫁さん連れてこないのか?」と聞かれた。ずっと前から「琉太のお嫁さんの顔見るまでは死ねない」って言ってたことを覚えてるのかな。できるだけ早く見せられるように頑張ります汗。


実家に帰ると必ず母校の中学校に足を運ぶようにしている。閉校になって今年で3年目か4年目。これが我が町の現実なんだと自分に認識させ、将来に対する決意を持つために行っている。大阪に住んでたら考えられないけど、これが地方の現実なんだと受け入れる時間。当たり前だけど辛い。そして家の周りをあてもなく散歩する。草がボーボーの荒れた土地がずいぶん増えたなと思う。持ち主が高齢化で管理できなくなった証。


最近は故郷に帰るたびに考える『人が住みやすい町ってどんな町だろう』と『町がなくなるってどういうことなんだろう?』というシンプルな問い。これに対する答えを導き出すには、いろいろな問題が絡み合ってるんだろうなあ。想像したくないけど、してしまうくらいには過疎の波が来ている。
今の自分に、これからの自分に何ができるのか帰るたびに考えさせられる。そして、大阪に戻ってきたらまた都会の喧騒に埋もれて忘れてしまう。
つい最近までは、40になるまでは普通に就職して大阪でも東京でもどこでも暮らそうと思っていた。でも、少子高齢化はそれを待ってくれないかもしれないと最近思い始めた。割と今すぐにでも動く必要はあるのではないかとも思う。ただ、今の自分にできることはまだまだ微力。今は、この大学生活を通して、得難い経験をたくさん積んで、人生の引き出しを一つでも多く増やしておくことに価値があると感じている。急がば回れ。急ぐ時ほど焦りすぎず、自分の信じるやり方で、着実に前進を。何かをやってる限りは、絶対に前には進んでいる。そう思ってまた明日から活動に励みます。

以上が2021年の3日間のお盆休みのハイライトでした。

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