人生振り返ってみた(1)

最近こんな話を拝聴する機会がありました。

1人の人は人生でおよそ2000人の人に出会う。全人類を75億人とすると、その確率は350万人に1人。

だからこそ、自分と関わってくれる人に対して、少しでもいい影響を与えられる人でありたい。そして何より自分がどんな人間なのかを知ってほしい。そう感じたので、これまで自分がどのような人生を歩んできたのか3回くらいに分けて振り返ってみたいと思います。
-------------------------------
1. 基本情報 / 〜中学校時代
2. 高校生活
3. 大学生活 / 将来のこと
-------------------------------

基本情報

出身:徳島県那賀郡那賀町
生年月日:2000年9月26日
趣味:サイクリング/野球観戦/旅行/食べること

生まれ育った環境

徳島県那賀町という人口8000人に満たない小さな町(面積は徳島県で2番目の広さだが、面積の95%以上を森林が占める)で中学まで過ごしました。山や川といった自然に囲まれており、自然は本当に身近な存在でした。

活動的だった幼少期

とにかく元気に遊びまわっていた記憶しかありません。両親が共働きで3歳くらいから地元の保育園に通っていました。車が大好きで、よく家の周りに出かけては車の名前を言い当てたり(祖母談)、いつもトミカのミニカーで遊んだりしていました。今でもその頃のトミカは実家に残っているはずです。室内で折り紙をしたり、絵を描いたりといったことはあまり好きではなく、常にちょろちょろと動き回って活動するのが大好きでした。

喜怒哀楽の小学校時代

保育園で同級生だった3人がそのまま小学校6年間同じ、つまり、小学校の同級生は自分入れて3人でした。3年生から5年生まで転校生が来て4人の時期もありました。いつも笑いの絶えない3人で遊んだり勉強したりして仲良く過ごしていました。休み時間は常にグラウンドで鬼ごっこ、一輪車、陣取り、サッカー、ブランコなどなどありとあらゆる遊びに熱を注いでいました。勉強はそこそこ頑張っていたように思います。今は児童数の減少で小学校は閉校になっています。
1年生
楽しい思い出しかない。上級生が優しくしてくれて勉強も遊びも毎日楽しんでた。
2年生
ここも楽しい思い出ばかり。
3年生
とても厳しい担任の先生。毎日何かしらで怒られていた。休み時間も宿題の直しなどでほとんど外で遊んだ記憶がない。おかげさまで、社会に出るにあたって必要な礼儀やマナー、人としてのあり方を学んだ。この頃からバドミントンを始めた。
4年生
今度は逆に優しい先生でのびのび暮らした。とにかくダジャレを連発する先生でいつも見習って真似してダジャレを連発していた。
5年生
少し厳しい先生。複式学級で6年生と同じ教室で過ごした。日直がニュースを新聞から抜粋して紹介するコーナーがあり、これをきっかけに社会に目を向けるようになったのかもしれない。
6年生
とにかく楽しかった。中学受験やってみようと5秒だけ考えてやめた。無事に卒業。地元の一輪車の大会に出場して優勝とかした。この時身長およそ150cm後半。


人生が変わった中学校生活

家から徒歩1分の地元の中学校に通いました。隣の小学校からも生徒がやってきて同級生は8人でした。今では考えられないけど、最初は8人でも多いと感じたことを覚えています。勉強もそれなりにやりつつ、部活(剣道)もそれなりにはがんばりました。勉強面では、初めて地元の英語の塾に通い始めてそこで英語が好きになりました。英語が一番得意で数学が大嫌いでした。部活で剣道を選んだ理由(選択肢は剣道かソフトテニスかの2択だった)は、自分たちが入らないと誰も人がいなくなってしまうというのを救いたかった、小学校でバドミントンをやっていて、少し違うような種目に取り組んでみたかったからです。想定の何倍も厳しい日々でした汗。夏は暑いし、冬は寒い。防具は臭かった。。。それでも成長しているのが実感できて、試合で勝てた時とか1本取れた時はすごく嬉しかったです。この剣道を通して、強い精神力や諦めない姿勢や忍耐力、謙虚な心を身につけることができたように感じます。ちなみに、中学校も生徒数の減少で閉校になっています。
1年生
勉強も部活も最初は戸惑いながらもなんとかついていっていました。クラスメイトとすぐに打ち解けて笑いの絶えないクラスでした。町主催の弁論大会に出場して2位になりました。
2年生
弁論大会2位の副賞で人生初海外のオーストラリア・ケアンズに10日間行きました。ホームステイして、現地の語学学校で学んで楽しい日々でしたが、英語は全然ダメでホストファミリーとも遊ぶことはできるけど、うまくコミュニケーションが取れず、苦い思いもしました。ただ、これがきっかけとなって英語をもっと頑張ろうと思いました。本当に今の人生にまで影響を与えている大きく人生を変える経験でした。また、このような人生が変わるような機会を提供してくれた町に対して恩返ししたいという思いも後々に湧いてきました。
3年生
部活も夏に終えて、町の陸上大会に出ました。陸上部がないので、生徒が全員出場します。そこで、100メートル走で12秒52(なんか無駄に覚えているし、今でも中学校の校内記録)を叩き出して、1位を獲得、400m走でも何位かは忘れたけど、いい成績を出して県大会に初めて出ました。そんなこんなで夏を過ぎると、ちゃんと受験の勉強をしました。実家の近くには車で30分のところに1つしか高校がなく、ほぼほぼ実家を離れることは決まっていました。比較的家から近いところの伝統ある高校の普通科に行こうと思っていましたが、どうせ家を出ることになるならと思い、家から車だと1時間半はかかる英語をたくさん学べる国際英語科を受験し、合格し、無事に卒業しました。この時身長およそ180cm。



ここまでが中学校時代までの歩みです。
また次回、高校生活編を書きたいと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?