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かわいいかわいい福くんへ

 花愛ちゃんとのお別れから半年経ったころ。
 花愛ちゃんと仲良しだった福くんが、後を追うように旅立ってしまった。6歳だった。

 上の記事は花愛ちゃんとのお別れに寄せて書いたもの。

 福くんが旅立ったのは2020年の4月。9ヶ月経った今でも、気持ちの整理がついていない。でもそろそろ整理を付けないといけないなと思うので、また長々と文章にしたためようと思う。

 例によって、ペットロスの飼い主の見苦しい懺悔文だ。読んでも楽しくないのでおすすめしない。ただ自分のために書く。生きるために書く。
 もしほんの少しでも、この思いに共感してくれる人がいたら、あるいは似たような経験をした人がいたら、その時は一緒に泣きましょう。

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 福くんは、花愛ちゃんと同じホーランドロップ。ブロークンブラックという、白黒模様の男の子だ。花愛ちゃんが我が家へやって来る1年ほど前に家族になった。

 食べることが大好き。耳や手足が短くて、ずんぐりむっくりした丸っこい体型。何歳になっても顔つきが幼くて、かわいい子だった。うさぎだけど耳が悪くて、音は聞こえなかった。その代わりとても観察力があって、ジェスチャーでコミュニケーションを取ることができた。おまわり、輪くぐり、ハイタッチの芸もできた。遠くにいるときは、花愛ちゃんの名前を呼べば、福くんも一緒にふたりで走ってきてくれた。

 人見知りの花愛ちゃんと違い、小さいころから人が好きで、そしてうさぎも好きだった。飼い主はもちろんのこと、花愛ちゃんのことが大好きで、いつも一緒にいた。いつもべったりくっついて、毎日毛づくろいをしてあげて、家の中をふたりで遊びまわっていたのをよく覚えている。(福も花愛も去勢・避妊手術を済ませていたので、問題なく一緒にいられた)

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 花愛ちゃんがお月様へ旅立ってすぐのころ、福くんは、いつも花愛ちゃんと一緒に遊んでいた部屋を何度も確認しに行って、まるで探しているかのようなしぐさをよくしていた。しばらくすると、探すのをやめて、ずっとリビングにいるようになった。福くんなりに、花愛ちゃんがいなくなってしまったことは理解していたようだった。

 花愛ちゃんが旅立って数ヶ月の間に、私にも福くんにも、そして世の中にもいろいろな変化があった。

 私は仕事を辞めた。
 もともと転職の予定はあったけど、それに加えて花愛ちゃんとの別れの傷を強く引きずっていたのもあって、メンタルを病んでいた。年明けしばらくしてから有給消化期間に入り、身も心もしばらくゆっくりしようと思っていた。

 ひとりぼっちになった福くんは、徐々に元気をなくしていった。
 年齢や体質や、いろいろな要素があったのかもしれない。何度も体調を崩して病院へ行った。数週間に1度くらいのペースで通院していた気がする。

 病院で以前から、奥歯の根っこが少しずつ頭蓋骨の方に伸びてしまっていると言われていた。うさぎの歯は本来、先端に向かって伸びていき、食べることによって摩耗するようにできているけれども、たまに逆方向に伸びてしまうことがあるのだそうだ。それが少しずつ悪化して、痛みで硬いペレットや牧草があまり食べられなくなっていた。
 伸びた歯の根っこが悪さをして涙が止まらず、目に炎症を起こし、膿がたくさん出てガビガビに固まって、目の下の毛がはげてしまった。目の治療のために抗生物質を毎日飲んだけど、治らなかった。福は抗生物質を飲むとお腹の調子が悪くなってすぐに食欲をなくしてしまうので、無理はしないようにしようねということになった。

 投薬の影響かそれとも歯の影響か、福は何度も何度も食欲不振に陥った。うさぎが食べなければ死んでしまう動物だということは身をもって知っているから、水でふやかしたペレットや柔らかいアルファルファの柔らかい葉の部分、フルーツや野菜など、なんでもいいからとにかく食べさせなければとあれこれ工夫した。その甲斐あってやや体重が増えてしまったけど、食べないよりはずっとマシだった。

 2月。何度目か分からない食欲不振で検査のためにレントゲンを撮ったとき、胸腺腫が見つかった。腫れた胸腺が、肺を圧迫している可能性があると言われた。確かに福は運動した後、少し息苦しそうにすることがあった。

 今思えば、福の体はその時点で限界に近かったのかもしれない。それでもその時は、まだまだずっと一緒に生きるんだと思っていた。投薬でも介護でも、なんでもやるつもりだった。幸いにも、仕事を辞めたばかりで時間はたっぷりあったから。

 「福に、妹か弟を迎えてやりたい」と思ったのはその頃のこと。ひとりぼっちになった福がみるみる衰えていくのが目に見えて、焦りもあった。私が花愛ちゃんとの別れで負った心の痛みも少しだけ癒えて、福に新しい家族を迎えてあげたいと思う気持ちの余裕が出てきたのもあったのだと思う。
 福は我が家に来た時には先輩うさぎがいて、一緒に遊んでもらったり毛づくろいをしてもらったりして可愛がってもらっていた。そのあとで花愛ちゃんと出会ったので、生まれて6年ひとりぼっちになったことがなかった。だから、家族を迎えてあげたら元気を取り戻すのではないかと思ったのだ。
 飼い主のエゴだったかもしれない。それでも、少しでも福の生きる気力になればいいと思って、新しい家族を迎える決心をした。

 でもそんな矢先、新型コロナの流行で世界が大きく変化した。自由に外を出歩けなくなった。不要不急の外出の自粛。
 ペットショップは不要不急だろうか、と思うとなかなか行動に移せないまま時間だけが過ぎていった。いつになったら福の家族を迎えてやれるのか、やきもきしながら家に引きこもっていた。

 福はその頃、完全放し飼い生活になっていた。けれどほとんど動かず、お気に入りのペット用ベッドで寝ていることが多かった。ごはんとトイレの時だけケージに帰って、あとはずっと横になって眠っている。ときどき、気が向いたら私のところにやってきて、撫でてほしいとアピールしてきた。

朝起きてリビングに行ったら、寄ってくる福くんに「おはよう」と頭をなでた。夜にリビングの電気を消して部屋に戻る時、ベッドに寝転がった福くんに「おやすみ」と頭をなでた。そんな生活がずっと続いていた。
 毎日たくさん撫でて、触れ合って、話しかけた。「大好きだよ」と何度も伝えた。ずっとずっと先であって欲しかったけど、もし、万が一、「その時」が来ても後悔しないようにしたくて、毎日毎日愛を伝えた。少しは伝わっていたかな。伝わっていたらいいな。

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 4月。福の体調は悪化していた。目の膿が止まらないし、胸腺腫がどんどん悪くなっている。病院でそう診断されて、ステロイドの薬を試してみようということになった。ただでさえ毎日薬を飲んでいたけど、さらに飲む薬が増えた。

 その診察の、翌日の日曜日のことだ。タイミングが出来たので、いつもお世話になっているうさぎ専門店さんへ行くことにした。福くんの新しい家族を迎えるためだ。
 その日の朝も、福くんはいつも通りだった。闘病中ではあったけど、「いつも通り元気だね」と判断できるくらいには、いつも通りの様子だった。ごはんの時間になるとケージに帰って待機して、あげたご飯はきれいに完食した。

 緊急事態宣言が出ているので、何度もお店に通うわけにはいかない。だから、その日のうちに決める、と決心してお店へ行った。
 そこで運命的な出会いを果たすわけだけど、詳細は割愛させていただく。とにかく、たくさん悩んで迷って考えた末に、私たちは新しい家族を迎えることになった。福と同じ白と黒のホーランドロップの女の子。その子が、いま我が家にいる「ひめちゃん」だ。

 「福くんとふたり並んで、そっくりなツーショット写真楽しみにしていますね」とお店のスタッフさんに言われて、いつかそんな写真が撮れたらいいなとわくわくしながら、新しい家族を我が家に連れて帰った。

 帰宅したのはお昼すぎだったと思う。放し飼いの福くんは、新しい家族の入ったキャリーを見つけると、すぐに寄ってきて中を覗いた。喧嘩にならないかなと少しだけ心配したけど、福くんはキャリー越しにひめちゃんの鼻と鼻を近づけてクンクン匂いを嗅いで、そのあとは特に気にした様子もなく定位置のベッドで寝そべった。攻撃しなかったということは、少しは受け入れてくれたということかもしれない。

 それが福くんとひめちゃんの、最初で最後の対面となった。

 新しい家族を連れて帰って、数時間たった頃。組み立てたばかりの新しいケージの中で、新入りのひめちゃんはリラックスした様子だった。静かな夕方。
 ずっと伸びて寝ていた福が起き上がって、落ち着きをなくしたように家の中をうろうろし始めた。家の中を行ったり来たり、別の部屋へ行っては戻り、寝そべって、起きて……の繰り返し。様子がおかしいと思ってよくよく観察すると、呼吸が荒くなっていた。顔を少し上に向けて、体が揺れるような呼吸。唇の色が悪くなっている。心臓や肺が悪い子の呼吸だ。最初は、行ったり来たり運動したから呼吸が乱れたのかと思った。でも違った。息苦しいから、うろうろしていたのだ。

 これは危ない、すぐに病院へ行かなければ、と思った。
 けれど、花愛ちゃんの時に続いてタイミングがあまりに悪かった。その日は日曜日で、動物病院の診察時間は午前のみ。すでに終わっていた。そして、福岡にある救急動物病院は夜間病院なので、夜9時にならないと開かない。その時、時刻は午後6時。福を見てくれる病院はどこにも無い。絶望的だった。

 「もしかしたら午前中から徴候があったのではないか」そんな思いがよぎった。私がショップで新しい家族との出会いを果たしていたころ、もしかしたら福はすでに苦しさを感じでいたんじゃなかろうか。もしかしたら。「お店に行かなければよかった」そんなことを考えそうになって、必死に押し殺した。だって、そんなことを言ったら我が家にやってきてくれたひめちゃんに失礼だから。彼女を迎えたことを後悔だなんて言いたくなかったから。

 もしかしたら一時的な発作のようなものかもしれない。とにかく安静にしていれば、落ち着くかもしれない。希望的観測でしかなかったけど、そう祈るしかなかった。

 今すぐ酸素ハウスを貸してくれる場所がないか、探した。日曜日でもうさぎの急患を受け入れてくれる病院がないか、探した。調べて調べて、見つからなくて、調べ物をしているだけで刻一刻と時間は過ぎていった。

※この日から1ヶ月ほど後に、車での訪問診療をしている、移動式の酸素ハウスも保有している病院が県内にあったことを知って後悔で深夜に一人で泣く羽目になる。事前に調べておくのは大事だと痛感した。

 福くんの容態は変わらなかった。それどころか、悪化していた。我が家に迎えられたばかりの小さなひめちゃんに、来たばかりなのにごめんね、ごめんねと何度も謝りながら、ひたすらに福を撫でていた。

 夜9時になった。夜間病院が開く時間。連れていくかどうか、家族で相談した。とても悩んだ。本当は今すぐにでも連れて行きたい。今すぐに福を助けて欲しい。でも、夜間病院にはうさぎ専門の獣医さんがいない。花愛の時の記憶が蘇った。点滴をして酸素室に入れるくらいしか、処置してもらえない。
 キャリーに入れて車で30分かけて移動して、取り押さえられて点滴をされて、酸素室に入って、朝まで入院して。それから朝5時になったら夜間病院が閉まってしまうので30分移動して家に帰り、また9時前になったら車で30分移動して、かかりつけの病院に行く。そんな数々のストレスに、今の福が耐えられるのかどうか。

 悩んだ末に、「救急病院には連れていかない」という選択をした。

 それが飼い主として正しかったのかどうか、わからない。やはり無理してでも、専門医がいなかったとしても病院へ連れていくべきだったのではないか。病院へ連れていけば助かったのではないか。他の選択肢は無かったのだろうか。9ヶ月経った今でも、わからない。

 夜10時。母と妹が、開いている薬局を巡って、酸素ボンベを買いに行ってくれた。スポーツの時とかに使う、缶の酸素だ。効果があるかなんて分からない。ただ、これで少しでも福の呼吸が楽になるのなら。せめて朝まで、かかりつけの病院が開くまで、持ちこたえてくれれば。そんな思いだった。

 福は苦しそうにしていたけど、頭や体を撫でるとじっとしていた。私が床に座って、膝の間に福の体を入れて、上半身を支えるようにして、缶の酸素を顔に当てた。スポーツ用なので、そんなに長時間は持たない。酸素はすぐに無くなった。空になったらまた次を開けて、福に吸わせた。気休めでもいい、ほんの少しでも、福を楽にしてあげたかった。

 買ってきてもらった酸素が尽きた。23時ごろ。母が、また24時間営業の薬局を探すと、出掛けて行った。家には私と福と、妹。数分だったようにも、数時間だったようにも思う。どのくらいの時間だったのか覚えていない。

 何度も寝そべったり起き上がったりしていた福が、急に立ち上がって、私の膝によじ登るように走り出した。
 飛び出したら危ないと思って、慌てて抱き締めた。福は腕の中で、じたばた暴れた。もがいて、私の腕から飛び出して、床に転んだ。「キューッ」と小さく鳴いた。ああ、もう駄目だ。声に出していたかもしれない。福を抱き寄せて、抱きしめてさすった。がんばれ、がんばれ、と何度も叫んだ。

 本当ならここで、もうがんばらなくていいよ、と言うべきだったのかもしれない。いろんな病気をしていっぱい苦しんだ福に、もういいよ、といってあげるべきだったのかもしれない。でも私には言えなかった。まだがんばれ。おねがい、いかないで。朝まで頑張って。病院が開くまで頑張って。そんなことばかり口走っていたような気がする。

 もがく力が少しずつ弱くなっていって。口をぱくぱくさせて、息を吸おうとしても吸えなくなって。何度も見てきた光景を、また腕の中で迎えることになってしまった。

 やがて福は、私の腕の中でゆっくりと息を引き取った。

 まるで、いつもベッドに寝そべっているときの寝顔のように、びっくりするほど穏やかな表情だった。眠っているようにしか見えない、いつものかわいい福くんの寝顔だった。

 福を抱きしめて号泣した。涙が止まらなくて、ずっと泣いた。6年間、大切な家族だった。花愛ちゃんのぶんまで、もっとずっと長生きしてほしかった。こんなに早く、花愛ちゃんの後を追って行ってしまうなんて思っていなかった。

 けれどこうして文章をしたためている今なら、少しだけわかる気がしてきた。福は十分にがんばった。たくさん病気をして、どんどん悪化して、薬もたくさん飲んで、なんどもご飯が食べられなくなって、それでもがんばった。よくがんばっていた。えらかったね、と今なら思うことができる気がする。そう言いつつも今、これを書きながらめっちゃ泣いているけれども。

 その日の夜は、福くんの隣に敷いた布団で、福くんを撫でながら朝まで一緒に眠った。初めて経験する福くんとの添い寝だった。

 福くんは、花愛ちゃんの時とはべつの葬儀社さんにお願いすることにした。人にするみたいに、丁寧に弔ってくれる親切な葬儀社さんだった。私はずっと泣いていた。子供みたいに見苦しく泣いていた。福を預ける段階になっても、いやだいやだと泣いていた。「たくさん愛されていたんですね」と葬儀社の方が言ってくれて、また泣いた。

 福くんは小さな骨になって帰ってきた。骨の部位についても、丁寧に説明していただいた。連れて帰ってきた骨壺は、今は花愛ちゃんの隣に並んでいる。まさかこんなに早くふたりを並べることになるなんて思っていなかった。

 家に帰ると、まだなにもわかっていないひめちゃんが、すやすや気持ちよさそうに眠っていた。寝相が悪くて、トイレの上で居眠りをしてそのまま転がり落ちてくるような子だった。そんな仕草に少し癒されて、泣きながら笑った。

 あの時ああしていれば。こうしていれば。違う結果になっていたかもしれない。福は助かったかもしれない。その別ルートのことは何度も考えて、何度も泣いた。なんのために仕事をやめて家にいたのか。家にずっと居たのに、どうしてもっと早く不調に気付いてやれなかったのか。何故、病院の開いている時間に気付いてやれなかったのか。私はなんのために。やっぱりあの日、お店に行くべきではなかったのか。でも、あの日のひめちゃんとの出会いを後悔だなんて絶対言いたくない。私はどうすれば良かったのだろう。今でも考えるたびに泣いてしまう。たられば言っても仕方がないのは頭ではわかっていても、やっぱり心が考えてしまう。


 福くんがお月様に旅立って9ヶ月が経った。

 かわいいかわいい福くん。
 お月様で花愛ちゃんと一緒にいますか。
 先輩のもみじ姉さんとも再会しましたか。
 あの日、たった一度だけ顔を合わせた小さなひめちゃんは、もうすぐ1歳を迎えます。福くんを追い越すほどの立派な体格に大きくなりました。
 不甲斐ない飼い主だったけど、あなたのことは心から愛していました。少しでも伝わっていたら嬉しいです。
 3ヶ月くらいは、毎晩泣きました。眠れなくなって病院のお世話にもなりました。一度は生きることを辞めてしまおうかとも思いました。私もあなたのところへ行こうと思いました。でも、ひめちゃんがいるから思いなおしました。
 最近、新しい仕事を見つけました。まだまだ慣れないけど、ひめちゃんのためにがんばろうと思います。

 虹の橋のふもとで、先に旅立った先輩たちと一緒に待っていてください。いつかきっと会いに行くからね。
 ひめちゃんと私を、見守っていてくれたらうれしいです。

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 これが、今の私に書ける福くんのこと。
 気持ちの整理は、正直まだついていない。でも、ひめちゃんがいるから、ひめちゃんのおかげで、毎日楽しく過ごせている。たまにふと、思い出して泣いてしまうこともあるけど、許してくれるかな。

ずっと心の中でくすぶっていた想いを、文章にすれば少しは気持ちの整理がつくかなと思って書いてみたけど、あの日のことを思い出して泣いただけだった。それでも少しは、未来に向けて何かの糧になればいいなと思う。


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