見出し画像

8/19 大山くまお&T・サチモス「超参加型ドラ党トークライブ・お前らがやらなきゃ誰がやる」own report⑥

最後のテーマはこちら

現在球団ワースト記録、6年連続Bクラス邁進中の我がドラゴンズですが、過去を振り返ると2年連続が最長(のはず)。私の38年のドラファン歴の中でも連続Bクラスは85〜86年のみでしたし、昨今はCSもあるので本当に低迷が長く感じます。高2の娘と中2の息子も優勝はもとよりAクラスを経験したのも小3、小1の時ですので、残念ながらほとんど記憶がありません。

私自身も40代半ばになり、ようやく子育ても仕事も落ち着き、ナゴドへ行く回数も増えたのですが、肝心なドラゴンズの成績はというと…40代では一度もCSすら進んでいただいておりません。

そこで「賢者は歴史に学ぶ」という言葉もありますし、過去長期Bクラスを経験した球団が、いかにして脱出したのかを調べることにしました。

まず、調べてみると3年連続とか4年連続とか、数年単位の低迷事例は殆どなく、3・4年過ぎると一気に10年位は低迷が続いてしまうファクトに気づきました(ファクトて!笑)。そして、長期低迷してしまうと、若手を地道に育てて徐々に強くなった、という綺麗なストーリーだけの浮上もほぼない、という事も分かりました。

先ずは軽めの低迷から

90年代半ばから10年程低迷したファイターズは「北海道移転」「ヒルマン監督就任」「メジャーリーガー・新庄剛志入団」の手を打ち、パ・リーグの強豪になりました。

9年連続Bクラスだったらオリオンズは「千葉移転」「名称をマリーンズに変更」「バレンタイン監督就任」にて2位に浮上しました。

マリーンズは、打ち手の量が足りなかったのか96年から再び低迷。再度「バレンタイン監督」を呼び戻し、下克上日本一に輝きました。

ホエールズは84年から10年間Bクラスが続き、93年に「名称をベイスターズに変更」。他球団で指導実績があった「大矢監督就任」でAクラス浮上、「権藤監督就任」で日本一になりました。「大魔神・佐々木主浩の入団」も大きかったと思います。

しかしながらベイスターズは、主力の他球団流出が続き、再びBクラスが定着化します。そして、遂に11年「親会社がTBSからDeNAへ」。その後もBクラスは続きますが、様々なファンサービスを行い観客動員数を伸ばし続けます。15年入団「ヤスアキジャンプ・山崎康晃」の活躍、16年「ラミレス監督就任」により、17年には日本シリーズに進出しました。

私が小さい頃は最下位の常連だったスワローズですが90年代は「野村監督就任」「古田敦也入団」で黄金期を迎えます。打ち手としては少ないのですが「ID野球のはしり」という事もあり、大きな躍進を遂げました。

ここからは荒治療が必要であった重度の低迷チームです。

16年間で15度のBクラスが続いた、名門・タイガースはプライドを捨て、スワローズの黄金期をつくった「名将・野村監督就任」で巻き返しを図りますが、染み付いた負け癖は払拭できず、さらに3年間の最下位を重ねます。そして、球界に激震が走り、我々ドラゴンズファンにも大きな影響を与えた、「闘将・星野監督就任」。更に金をかけないと勝てないと判断し「鉄人・金本知憲獲得」「メジャーリーガー・伊良部秀輝入団」を敢行。03年にはセ・リーグを制覇します。

現在第二次黄金期を迎えているカープも、毎年のように主力の流出が続いた結果、15年という長い低迷期がありました。09年「マツダスタジアム完成」、14年「メジャーリーガー・黒田博樹復帰入団」というドラマがあり、16年から3年連続セ・リーグを制しています。13年のオーナー交代も大きかったのかも知れません。

大トリはこちらのチームです!

パ・リーグの常勝軍団だったホークスは、なんと78年から97年まで20年間Bクラスが続きました。もしドラゴンズが20年Bクラスだったらと思うとゾッとしますね…
ここまでくると単発で手を打ってもなかなか効果が得られません。「南海→ダイエーへ親会社交代」「大阪→福岡へ本拠地移転」「福岡ドーム(現在ヤフオク!ドーム)完成」「常勝・西武ライオンズの主力を根こそぎ獲得」「世界の王、監督就任」などなどなど、様々な手を打ってようやく低迷期を脱出。その後「ソフトバンクが親会社」になり、黄金期なう。と言ったところでしょうか。

ざざさーっと語りましたが、つまり、低迷期を脱するには…皆さんお気づきでしょうか?

次回、最終回に総括致します!

燃えよ!ドラゴンズ!

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?