トマム滞在記(Ⅸ)

 『賭博者』は『悪霊』と並び現時点では僕が最も好きなドストエフスキーの作品である(当然『カラマーゾフの兄弟』は省いてある。あれは別格であり、ここで同じ系列に置く気にはなれない)。ルーレットにのめりこんで財産を蕩尽したり、一種病的に縋りついたりする様を「ロシア的」という言葉で片付けてよいのか、僕には少し疑問だ。祖国の文運に資することもできるような才能ある人材がゲームだのパチンコだのに手を出したが最後、時間をほとほとに使い尽くし破滅へ向かっていく姿なんか僕の周りでいくらでも見てきたし、こういう誘惑は人類普遍の病魔なのではないかとすら思える。ひょっとすると音楽なんかもそうなのだろうか。僕はそんなことないと信じたいが、これもまた病魔の意図通りだったとしたら。
 そんな話は置いておこう。今日は6連勤を終え久々に迎えた休日だ。といっても前に述べたようにトマム周辺には目ぼしいものは何もない。たまたま僕の休みと、週に二度しか出ない隣町へのバスの運行日が重なったので、日用品の買い足しのために出かけた。移動中のバスからは、高速の標高ゆえに十勝平野を少し見晴るかすことが出来る。人の居住が確認できるのはそのなかのほんのわずかなエリアである。北の大地の恐ろしさであるが、隣町へは高速で45分かけなければ到達できないし、いざ到着してもあるのは田舎特有の小さなスーパー、道民の誇る『セイコーマート』、それくらいだ。周りには本当に何もない。道路と、まばらに点在する屋根の低い家と、あとはただ広い野原である。「名古屋には何もないよ」という名古屋人が自虐のように言うセリフは、こういう荒涼とした風景の前にあまりに無力だ。

 慣れない風景に戸惑いながら、リストアップされた日用品をチェックしつつ買い物を続けていると、背後から突然声をかけられた。最近知り合った二十代半ばくらいの男(Pさんと呼ぼう)と、もう一人僕が初めて会う気さくそうな人(Qさんと呼ぼう)。今日もつ鍋をやるから来ないかという話で、せっかくなので参加することにした。僕の買い物かごには必要な日用品のほかにささやかな楽しみ、もつ鍋のもとと豚もつが追加された。
 寮には自炊できるように、小さなキッチンスペースがある。そこに帰還後時間をおいて集まり、三時ころから調理を始めた。Pさんは九州出身でもつ鍋はよく作っているらしく、手さばきが板についていた。もつは下処理することで余計な脂が落ちるのだが、それでもべったりと重い。下茹でしたもつを「もつ鍋のもと」の入った鍋に入れ、しばらく煮込む。一口大に切ったキャベツを鍋に投入すれば、完成だ。結構ぱっぱとできるものだ。これならうちでもできそうなので、今度家に友人でも招いて宅飲み会でもしようかと考えている。Pさん、Qさんと完成したもつ鍋を囲み、北海道限定のビール「サッポロクラシック」を空ける。ロシア人は酒のことを『命の水』なんて表現したりするが、これはもしかしたらそれ以上かもしれない。今手作りのもつ鍋と北海道で最もうまいビールの中に詰まった、命、世界、この世のあらゆる偉大なものが、僕の体に満たされていくのを感じた。リゾート地のレストランには妙なブランド意識があるから、大抵のものが高くつく。でもきっと、これはレストランにあるようなどんな食事よりも美味しいのではないか、そんなことを思った。トルストイは貴族の贅沢な文化消費ではなく。民衆の生活の中にこそ真理があると考え、五十も過ぎてから『懺悔』なるものを書かなければならなかった。今目の前にあるもつ鍋も、ブランドや資本主義によって一切潤色されていない純粋な真理の形をしていたのだろう。

 途中、FGOだのグラブルの話になった。僕は今まで学生としての身分に甘んじていたわけだが、働く大人の課金額に驚かされた。PさんはFGOに数百万単位で課金してきたという。派遣のほかに動画関係の某副業をやっているのでひょっとすると金には余り困っていないのかもしれないが、どうして人はそこまで一つのゲームに夢中になれるのか?いや、これはどうしてと問うまでもないのだろう。彼らの話を聞きながら、冒頭で紹介したドストエフスキーの『賭博者』のアストリーのラストシーンのセリフを断片的に反芻していた。たとえゲームの中で目当てのキャラを引けたところで、課金の果てにキャラのレベルをカンストさせたところで、周りの人間はその結果を愛してはくれない。麻雀だのパチンコだの、ゲームに狂った時点でその人は滅びたのである。ガチャゲーの魅力は悪魔的である。何年たっても、一度のめりこんだゲームは一生貴方の人生にへばりついて離れないだろう。これは良くも悪くもである。人間が生きるには周りにあまりに罠が多すぎる。決してゲームをやること自体悪いと言いたいのではないが、僕の歩みたい道ではないことだけが確かだ。「明日こそ、すべてにケリがつくことだろう!」この時点で、アレクセイの永遠の破滅が決定づけられている。Pさんを含む、僕の周辺にあまりに多いアレクセイの姿を眺めながら、時々心配になることがあるのだ。

 変な締めくくり方をしたが、今日は久しぶりに良い休日を過ごせた気がする。明日からまた労働が始まるが、必要な元気を回収できた気がする。もつ鍋とビールという小さな「病魔」に乾杯!

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