トマム滞在記(Ⅲ)

 この世の嫌なエッセンス、労働、雨天、空腹、それを絞り出して頭上からぶちまけられたような日だった。まず食費が底をつき、二日間何も食べない日が続いた。戦時中の日本人を思い出すとよい、「欲しがりません、勝つまでは」「進め一億火の玉だ」こういうまやかしのようなスローガンの下でも国民はしばらく芋がら汁やほぼ液体のおかゆで飢えをしのぐ生活を続けていたのだ。現代でこういうことをするのは愚かというほかないが、人間一応こういう過酷な状況にも耐えうる、という事実こそ僕を鼓舞するのに十分なのである。しかしそれはあくまで命をつなげるかどうかであって、文明的な生活すべてが環境によって没収されていることになかなか気が付けない。そのようなコンディションだと、起床の瞬間からこの上ない苦行が始まる。視界が青みがかり、舌は食料を求めてビリビリしており、体中がふわふわする。今後こういう体調にはできるだけ陥りたくないものだ。一応出発の準備をしたが余計なエネルギーを使いたくないので、しばらくベッドでぐったりとしていた。気が付くと出発30分前、慌てて外に出ると大雨だった。
 次なる試練。僕は傘を持っていない。九月中旬の北海道はうすら寒くなる。雨に濡れながら移動すればたちまち風邪をひくだろうし、かといって出勤しないわけにもいかない。そこで、大きめのビニール袋をかぶり、上半身だけでも水をはじきながら歩いた。はたから見れば妖怪のごとく見えたに違いない。しかしビニール越しの視界は想像に悪くなる。曇った視界は一層体を疲れさせ、疲れた体は呼吸を荒げるよう肺に指令をだし、吐息がもっと視界を白くする。負の連鎖である。途中何度も水たまりに足を突っ込んだし、何より特筆すべきことに迷子になった。自分が惨めでたまらなくなった。赴任してきて二日とはいっても、こう悪い状況が少なからず拍車をかけていることもある。僕は10分ほど遅れて勤務先に到着した。体力はほとんどないけど今本当に働けますか?そんな考えすら浮かんでこなかった。だが不気味なほど屋内は静か。
 勤怠打刻をする。表示されたのは「シフト変更いたしますか?」という文字列。一瞬考えが硬直する。ここまでの苦行、みじめさ、自分への立腹、といったものが全てフラッシュバックする。十分濃縮された瞬間、ある点で爆発が起こる。圧倒的解放感である。今日は休みらしい。いつもならここで小躍りでもしたいところだが、今はその元気が全然ない。入口でへたへたと座り込み、十分ほど考えをまとめてから(エネルギー不足で何も頭の中に浮かんでこなかった)、ふらふらと寮への道を歩いた。これもビニール袋をかぶりながら、なおかつびしょ濡れになりながらである。

 空虚な時間、無益な行動!13時までベッドに倒れこみ、ぼーっと過ごした。何を考えていたわけでもない、そもそも何も考えることが出来ない。睡眠はしっかりとらざるを得ないのだが何しろ栄養が足りない。脳は糖分を欲し、肝臓からはグリコーゲンが滲んでくるけれど、尽きるのも時間の問題かもしれない。人間とはなんと非効率的な生き物だろう。そんな中、親から連絡が来た。10月の仕送りを前倒しで送ってくれたらしい。事前にヘルプを出した甲斐があった。説教の代償など取るに足らない。

 敷地内にコンビニはないが、ATMはホテル内部にある。従業員として入り、お金をおろした。自動販売機でパンとコーラを買い、喉に流し込んだ。

「そうだ、さようなら!自由、新しい生活、死からの復活……なんという素晴らしい瞬間であろう!」

あのセリフが、人生に対する凱歌が再び脳内で再生された。ひとまず命をつなげたことに感謝しておこうと思う。親は偉大だな!

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