トマム滞在記(Ⅻ)

 「商売はチェスに似ている。物資、社会情勢、地理的要因、いろいろな駒を、利潤最大化できるように動かさなければならない。しかしとりわけ『人材』という資本は特殊だ。もし君が本気で金を稼ぎたいなら、彼らに対してやることは一つ…搾り取れ。」

 上の文章は原文そのままというわけではない。中学生の時に読んだまんがで読破シリーズの『資本論』に書いてあった記憶を形だけ抜き取ってきたものだ。僕は文系でこういうことを専門的に学んできたわけではないから、ただ無益な心情を吐露しているくらいに考えてほしい。産業革命周辺から、社会は数少ない資本家と、彼らの下で従事する労働者に分けられることになった。何もこういう社会階層が特殊であるといいたいわけではない。昔から貴族とそのもとで働く使用人、奴隷のようにもとから存在していた構造なのだが、人材を「目的達成のための協力者」という資本として活用しているところが異なっていそうだ。だが「協力者」である割には、彼らは人材という資本に対してかなり苛烈な振る舞いをする。やはり、協力者というよりは駒くらいの扱いを受けているのかもしれないな。

 僕は「低所得労働者」として1か月間ここで働くことに決めたわけだが、共に働いている人間や仕事内容を見ながら、日本における社会の構造がどういう風になっているのかだんだん見えてきて、同時に憂鬱になりつつある。だんだん見えてきたということは何かしらの偏見を身に着けてしまったという風にも解釈できる、がこれも「でたらめを言うな」という攻撃に対するただの迂闊な防御姿勢ともとれるな、いやそんなことはどうでもいいのだ。
 上に挙げた『資本論』で、印象的だったシーンを挙げよう。主人公が働く小さな子に、「君は何の仕事をしているの」と訊く。子供は、「えーと…右から流れてきた荷物を左にガチャンと乗せる仕事をしています」という。これでは何のことかさっぱりわからないので、主人公は「では何を作っているの」と訊く。子供は再び、「右から流れてきた荷物を左にガチャンと乗せる仕事をしています」と答える。要するに自分が何をしているのか把握せずに、金だけもらっているのだ。こういう労働者は機械工業生産とともに少なくなりつつあるが、消極的労働姿勢自体は僕の働いている場所で今なお健在だ。問題点は労働者に創造の余地がないことだと思う。言われた通りに働けばよく、共同で社会的な価値を生み出す権利は僕らにはないということがわかる。そういう身分も必要なのは大いにわかるが、僕はあまりそういう働き方はしたくない。
 たいていの人が仕事を終える夕方以降になると、寮にはかつて読んだプロレタリア文学と同じような光景が広がっている。結局稼いだ金を彼らは酒だのつまみだので毎日のように消費し、騒いでいるだけである。飲酒しながらの麻雀、大声での会話、カードゲーム、こういったものは休息の手段としてある程度必要であるにせよ、毎日やることではないだろう。彼らを見ていると、社会の中に二つの層が厳然と存在していること、僕が大学で優秀な人間に囲まれながらぬくぬく生活してきたせいで忘れていた社会本来の姿を眼前に突きつけられてしまい、落胆する。と同時に妙な考えが頭をもたげるようになる。

 これだけ従順で、消費にしか目がないような人たちが実際に存在するならば、彼らを搾取対象にして一儲けすることはあながち困難ではないのではないか。見ている限り、彼らは死ぬまでに暇つぶしさえできていればいいのだ。暇つぶしのためのくだらないコンテンツを用意して、彼らの前にちらつかせる。何もずっとしがみついていなくてもよい。彼らが飽きたら、別のコンテンツを最小労力で用意する。金を稼ぎたいだけなら大げさなアプリケーションなんか作る必要はないのだ。適当に「心理テスト」を称したアンケートみたいなクソアプリを作ったり、タップするだけで物が育つような暇つぶしアプリを作ったり、アイデアならたくさんある。かつてヒトラーも言っていたな、「主体的に動く人間というのは我々が思っているよりずっと少ない、だから繰り返しプロパガンダをして民衆を啓もうしていく必要がある」みたいなことを。いや、ヒトラーの発言から学ぶのは現代世界におけるタブーではあるけれど、彼はあまりに正確に大衆性を見抜いている。

 こういう社会層に、実は学歴とかはあまり関係ない。常に暇つぶしを求めていて、新作ゲームが出るとすぐに飛びついたり、バイトという非生産的労働で貴重な学生時分の時間を浪費したり、そういう「暇つぶし専門家」みたいな人は身の回りに結構多い。彼らに目を付けて、時間を潰す餌を与えるだけで、現代の社会ではある程度の収入を持って暮らしていけるのだ。今回のバイトで一番大きな学びは「搾取」というものが厳然と存在すること、日本は決して甘い国ではないことがわかったことかもしれない。そして時間を何とかして消費することにしか目がない層が存在することもわかった。こういう人間たちを食いながら生きていく方法を想像しながら、今日は彼らに混じって働いていた。

 しかし結局のところ金とは手段でしかなく、それとは別に僕が今やりたいことはたくさんあって、下手な金稼ぎは大事な目標を不意にしてしまう罠である。何より人生何があるかわかったものではないから、僕がそちら側の層へ転落する可能性もある。ひとまず今は彼らと共同生活しながら、来るべき価値創造生活に向けて着実に訓練を重ねていきたい。

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