トマム滞在記(Ⅶ)

 ゴリャンチコフを見ていると、どんなに閉鎖的で非創造的な空間においても、人間同士の関りを忘れることなく、社交性を保って楽しく生活していこうという気になる。僕の周りにいた印象的な人間について、少々書いておこうと思う。

 最初に、如何にも運動部出身といった体格でコミュニケーションの取り方も溌溂としており、僕をいきなりあだ名で呼んできたような男について書いておこう。最初ラグビーでもやっていたのかと思って聞いてみたところ、陸上部ではあるものの隆々とした肉体は筋トレ等で培ったらしい。スポーツをやる人間はコミュニケーションの取り方すら力強い。僕は正直大学在学の間にこうした人間をより敏感に敬遠するようになってしまったのだが、仕事なので一緒のグループになってしまった以上仕方がない、必要最低限の会話で済まそうくらいの考えでいた。だが彼はよく話しかけてくるので、僕も応対でいろいろ口を動かさなくてはならなかった。ときおり「会話」を自己防衛の手段として利用するコミュ障、はたから見ると普通に会話しているがその実体力を激しく消耗していて、いつスタミナが切れるかと怖気づいているような社会不適合者のタイプが存在する。僕がその典型だ。
 だが彼は僕よりずっと仕事が早いし、その上僕の不器用な作業を見ても「慣れ、慣れ!なんとかなる」と鼓舞してくれた。他の作業員たち、例えば女の子に対しては紳士的にふるまい、疲れていないかとよく気にかけていた。「ウェイ」とか「陽キャ」という括りを一概に設けて敬遠する「陰キャ」がいるが、それは偏見でしかないし、誰も幸せにならない。かくいう僕こそ一層強い偏見や先入観をもって彼らを眺めていたのではないか、そういう姿勢こそ正さなければならないのではないか。そんなことを勤務中に考えていた。社会に出るうえで必要なのは、プログラミング等パソコンの前でカタカタ作業するような能力、自分本位のスキルを身に着けることだけではなく、周りの人間と積極的に関わろうとし、良い関係性を築こうと努力できることでもある。内向的な人間は、妙に育まれた自尊心によって自己が腐敗していくことになかなか気が付けない。そういう点で僕はただ人付き合いという嫌なことからとりあえず逃げておくだけの最悪な人間だったのかもしれない。まずは他人に興味を持つこと、社会的な範囲で相手のことがしっかり考えられるようになることも、ある程度大切な能力なのだろう。何だか当然のことをしゃべっている気がする。でも僕にはその「当然のこと」をこなすのが極めて難しい。そうはいっても避けてばかりではいられないので、努力してでも身につけなくてはいけないことかもしれない、そう思った。
 作業中、お互いの身の上話になった。彼の状況は深刻だった。僕より2,3つ年上で、社会人として働いていたが、新型コロナの余波を受けて仕事をクビになり、今こうして派遣でしばらく働いているらしい。僕の労働動機は「死ぬほど金がない」だったが、彼は社会の圧力によって苦しい立場に立たされているわけだ。何だか自分の置かれた立場がくだらなく、情けないものに思われた。新型コロナ、2020年を襲った最悪の災害に関して僕はあまりにも無知だった。それも僕が学生という身分の庇護を受けてぬくぬく「オンライン生活」をしていたからだ!実際生きて行けるか行けないかの瀬戸際で苦しまなければならなくなった人々がこうして現に存在していることを知り、愕然とした。僕は迂闊に軽い言葉をかけることはできなかったけれど、お互い頑張りましょうという労いの言葉を添えて、その日は別れた。彼は今たくさん友達を作って、オフの日はドライブに出かけたり、リゾート地内のテラスに遊びにいったりしているらしい。

 海外からわざわざ日本語を勉強して日本に来るということは、かなり優秀な人間であるはずなのに、どうして派遣バイトなぞしているのだろうと思っていた一時期があったが、よく考えると海外から来る人はほぼ20代前半くらいで、それ以外の世代はあまりいないことを考えると、やはりこういったところでコツコツ頑張って最終的にはより良い、日本人が考えている以上にずっと好待遇の職場に行くのかもしれない。これは僕の勝手な想像である。事実がこれと異なっていたら、それはそれで深刻だ。
 何日目だか忘れたが、台湾人女性とグループが一緒になった。僕は名古屋から派遣されてきたわけだが、ここで当然一つ気になる話題が形成される。台湾ラーメンが名古屋だと「名古屋ラーメン」という名前で売っているのは本当なのか、と彼女に尋ねた。彼女は名古屋ラーメンを見たことがないらしいが、名古屋ラーメンという料理があることは聞いたことがある、くらいの反応だった。ちなみに北海道ラーメン等のご当地ラーメンは普通に台湾で普及しているらしい。名古屋ラーメンはそういう筋とは少し外れるが、辛くて美味しいのでぜひ食べてみるといいと彼女にすすめた。ところで、彼女は割と名古屋のことをよく知っていた。僕は台湾の都市だと台北か九份くらいしか知らなかったので、予期せぬ知識の不均衡に申し訳なくなった。彼女は頻りに手羽先のおいしさを主張していた。実は僕は名古屋に来てからちゃんと手羽先を食べたことがないし、そんなものはどこでも食べられるよと言ったら困惑していた。こういうコミュニケーションの取り方が既に良くないのかもしれない。でも名古屋に来る前に食べた手羽先の味はうまかった記憶がある。そもそも不味い鶏なんてものを想像することは僕には難しい。きっとこれもまた下手なコミュニケーションの種なんだろう。
 台湾のことをいろいろ聞いた。台湾の第二の都市は高雄らしいが、僕は初めて耳にする名前だったので、少し好奇心をそそられた。日本でいうところの大阪みたいなところなのだろうか。なんだか台湾を観光するハードルが下がったよ、と言うと、実際のところ台湾の都市の風景は日本のそれとあまり変わらないといったことを伝えてきた。吉野家もはま寿司もあるらしく、日本のどこかの都市に国内旅行するくらいの感覚になってしまうかもしれない。日本どころではない、グローバル化とはもともとそういう全地上の均一化を図ったものではなかったか。少し寂しいものだ。その代わり、台湾の南のほうは(といっても、高雄は台湾の南のほうになるが)日本にはない固有の文化が残っているらしい。今度観光する機会があったら、候補に台北以外のそういった場所も、検討してみたいものだ。

 職場には本当にいろいろな人がいるし、ここには書ききれないくらいの様々な個性でがふれている。余り自分の殻に閉じこもらずに、こういった人たちと少しでも触れ合うべきなのかもしれない。社交性を高める訓練だと思って、あるいは楽しい時間として、積極的にコミュニケーションを取れるようになれたらいいな。

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