トマム滞在記(XXIII)

 久しぶりの休日だった。いつも朝8時から働いているのですっかり早起きの習慣が身についてしまった。今日はじっくりとランダウに向き合えたし、オンライン授業にもリアルタイムで参加できた。こうして以前当たり前のように行ってきたことが今や貴重な休日にしかできないことを考えると、相当僕の自由は制限されているんだな、と改めて感じる。でもこれだけは何度でも繰り返しておきたい、「人間どんなことにも慣れうる」。『夜と霧』の中でフランクルは同じようなことを口走るし、『死の家の記録』からの影響も大きく受けている。アウシュビッツという人間が生み出した中では最悪水準の地獄で暮らしていてもこういう発想ができるものらしいが、ちゃんと想像することは僕の貧弱な創造力には不可能かもしれない。それにしても、活字に対する飢えは物理学の本でなんとかしのげているが、やはり文庫本の手になじむ感覚が恋しい。

 最近印象的だった人の話をしよう。一昨日Rさんと仕事が一緒になったのだが、彼は他の人より幾分か頭の回転が速く、リーダーシップがあり、かなり優秀な印象を受けた。仕事が終わった後に彼は、このあと図書館に行くといって更衣室へ向かった。図書館、僕が恋焦がれている場所!そんなものがここ閉鎖空間に設けられているなら、早く知りたかったものだ。迷うことなく僕も同行した。
 本が好きなんですかと僕は尋ねた。特別本を読むわけではないが、英語を勉強しているらしい。彼は20代後半で、今まで勉強らしい勉強はしてこなかったらしいが、ここにきて努力しているということは何か夢や目標が出来たのかもしれない。TOEFLとかTOEICの話を持ち出すと、彼はそういうものがあることは知らないが、やはり勉強すること自体に価値があるのだと主張していた。勉強するのが当たり前の空間にいた僕にとって、こういう志は非常に尊いものに感じたし、派遣労働という死の空間の中に小さく輝く光のようだった。大学にいるとなかなか気が付かないし、大学に漂う価値観の中に埋もれているうちに忘れてしまう印象なのだが、ここ無機質派遣労働の地で勉強に励む人間は極めて鮮やかに映るものだ。図書館にはそう多くの本が用意されているわけではなかったが、それでも今まで暮らしてきた場所に比べれば最も文化的な空間かもしれない。勉強の邪魔になるとよくないので、図書館の場所だけ把握して、すぐにその場を去った。僕も今度は気分転換にこの場所に来てみようかな、とそんなことを考えていた。

 マニュアル肉体労働はまず肉体から、次いで精神を疲弊させる。連日ほぼ何も書けない日が続いてしまったし、いざ筆を走らすと取るに足らぬ文章しか練れなかった。休めばまた書けるものになるか、そうとも思えない。ここには良い文化コンテンツがあまりにも少ないから。あと一週間の辛抱らしい。

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