トマム滞在記(XX)

 気が付くとブログの更新は20日連続で行われていて、途中で計画を投げ出す名人の僕にしては珍しいことだ。だが継続的な発信は同時に長期間恥をさらしていることを意味している。20日間も何をダラダラと書き綴ることがあったのか。過去の記録をざっと眺めてみた。僕は決して空疎な思弁をひけらかしているわけではないのだけれど、やはり人生経験も大した困難克服も積んでいない人間の文章は、つかみどころがなくふわふわしているなと思う。こんな内容でも目を通してくれる人がいるらしい。ありがとう。当然じっくり付き合ってくれというつもりはなく、何となく読んでみて、つまらないなと思ったら投げ出してもいい。もし面白いと思ってくれたなら、お互いにとって儲けものだ。僕はここにベンチを提供しているつもりである。人は大抵前を通り過ぎるだけだが、休みたい時があったら時折座っていいし、満足したらどこかに去ればいい。

 驚くべきことに、北海道生活も残り10日ほどになった。『でんじゃらすじーさん』の中でじーさんが孫のために作文を書く回がある。「僕は大人になったら、たぶん友達の作り方がヘタクソになります。」でんじゃらすじーさんにおける感動はのちのギャグの伏線であることのほうが多いので、こういうしょうもないストーリーに感傷的になるのは愚かだが、それでもこれを読んだ子供時分には理解しえなかったことをだんだんと、痛みを伴いながら実感してきた。ともに働いている人たちと打ち解けるのに時間はかかるし、何より仲良くなる人間も大分限られてきた。現代は孤独の時代と言われる。家族という社会の最小構成単位すら分解することがある今、互いにコミュニケーションを取り合い、信頼関係を築いていくことがそう簡単な作業ではなくなってきた。本来これが困難な仕事とは思えないし、僕の勝手な偏見なのかもしれないが、各々が自分の人生における進路を最終的には自分の力で決定し、働き口を見つけたり趣味を探ったりしながら時間を消費しているうちに、他者との間に取り去れないほど大きな壁がむくむくと成長していき、気が付くと相互理解やコミュニケーションが難しくなってくる。歴史とは人間が自由を求めて奮闘した歴史である。今、とりわけ日本ではかなり平穏な形で自由が獲得されているが、その結果寂しさにあえぎ苦しむ人が急増した。とても妙な話だな。

 前回もつ鍋を一緒につついたQさんと今回グループが同じになり、初めて仕事を一緒にしたけれど、もう派遣労働を初めて三週間ほどになるからかみな仕事に慣れており、いつもよりずっと早く仕事が終わった。タスクが与えられたとき、できるだけてきぱきと仕事を終わらせてしまえば全体の雰囲気が良くなり和やかなムードになる。いつもより早く上がることが出来たので、Qさんと食事に出かけた。「資本主義による驕りでべたべたに塗り固められたラーメン」を一緒に食べに行った。目の前にある牛トロ飯と味噌ラーメンは、金額はともかく前回よりずっと柔らかい雰囲気で僕を待ってくれていた。人と食事を囲むのはもつ鍋以来だ。たわいもない話をしながら、頬が落ちそうなほどおいしい食事をとり、久しぶりに心が和らいだ気がする。僕の心の持ちようは『地下室の手記』の名もなき主人公に似ているのかもしれない。いやきっと典型的な姿として僕が存在している。自分の殻に閉じこもって自尊心だけを成長させ、周りの人や物を攻撃しながら腐り果てていく。そして肥大化したプライドは自己を押し潰そうとし、その痛みを彼は歯痛に例えて「快感」という。こういう生活を40年も続けていると、「もはや何者をも愛せなくなった苦しみ」に突入するのかもしれない。ゾシマ長老が最も恐れている地獄だ。事実、愚かな価値観で攻撃したラーメンに癒されている自分がいるではないか。僕はきっと地獄に片足を突っ込んでいて、時間と共にずるずると体をうずめていき、そのうち頭の先までどっぷり苦しみに浸かる。そして苦しみの中で「これもまた快感なのだ」と叫ぶのだ。これを僕は他人事のように書いているけれど、未来のお前なんだぞ。
 Qさんは二十代後半で、遠方の愛知県の工場への転勤を命じられたのがきっかけで会社を辞め、再就職先を探していたもののなかなか見つからず、ここにひとまず派遣されてきたとのことだった。転勤命令がきっかけで会社を辞めるなんて、とその時は思ったけれど、たかが学生である僕にはなにかわからない深い事情や耐えられない苦痛が潜んでいるに違いない。誰とでも打ち解けられそうな雰囲気と会話の面白さに関して、彼は僕たちの中でも抜きんでているのだが、仕事の遂行も得意なようでいろいろな仕事を上から任せられている。さて、マニュアル肉体労働に従事していると当然いろいろ仕事の愚痴が出るものだが、Qさんは頻りに「あからさまなヒエラルキーの存在」にうんざりしているようだった。派遣労働者、料理人、ホールスタッフ、リゾート地で働く人の義務はさまざまである。だが同じ場所で働いているうちに、職業に貴賤が生まれてくる。派遣労働者は「賤」のほうで、スタッフから厳しい態度をとられたり、行動で見下されたりするのが耐えられない、と言っていた。そんな話を聞きながら、こうもいい人そうなQさんにも、どこか『地下室の手記』に出てくる小官吏に似た人間像が隠れているのかもしれないな、と感じるに至った。プライドは誰しも持つものだ。だが会社を辞めるエネルギーに昇華できるほどのプライドがここでどのように発揮されているのか、それは僕にはわからないことだし、できればわからないでそのまま過ごしていたい。これを書いている今、あの時食べた牛トロ飯をまだ胃に感じている。美味しかったけれど、胃腸も歳は間違いなくとっているのだ。

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