トマム滞在記(XV)

 派遣バイトはそもそも短命であるから、二週間も働けばもう中堅労働者くらいの扱いになるのかもしれない。最近シフトを8時間で入れてもらえることが増えた。金に飢えている(これは際限ない上限の追求ではなく、必要最低限の資金確保だ)僕にとって、こういう出世はささやかな喜びになる。そんな喜びの一部を今日は、愚かにも酒に変換してしまった。今、アサヒスーパードライを喉に流し込みながらこの文章を練っている。明日も早いので、一本だけ。
 とはいえ、労働がうまくいっているわけではない。もともと5時間の勤務に、休憩1時間込みでもう一つ仕事が割り当てられているわけだが、今日はそのノルマを半分くらい残してしまった。こういうミスはマニュアル肉体労働では致命的だ。代わりなんていくらでもいるし、なにより今の環境だと僕より器用で体力のある人間などごまんといる。もし仕事を外されたら、と不安でならない。それとは別に元からしていた業務も手際が悪く、ほかのメンバーにいろいろと迷惑をかけてしまった。不器用の極致。人間素質の問題はどうしても存在するとはいえ、生きていくためだから少しでも改善の努力をしないといけない。考えてみると単純な理由はすぐ出てきて、基礎体力が足りていないのである。業務内容上、部屋中を動き回る必要があって5時間近く立ったり座ったり、重い荷物を持って移動させたりする。身の回りには、ずっとスポーツに親しんでいたためだろうか、こういう肉体労働を苦ともせずに与えられた時間内で一切疲れを見せない人が多く、見習えるものなら見習いたかった。それから一つの物事に集中して作業することができない。何かを片付けるよう指示されても、10秒後には頭の中にはソ連国歌が流れているし、ドストエフスキーの作品内容がひっきりなしに頭の中に浮かんでくる。そのために細かい指示内容は記憶からどんどん抜けて行って、二週間経っても初心者なみの指導を受ける。昨日は「じゃあ、最初から説明するね」という何とも優しい言葉をいただいてしまった。緊張感をもって作業しないといけないときに、脳内でこういう邪魔が入るのは本当に困るし、精神統御の術を何とか身に着けたい。それが出来たら皆苦労してない、もっとましな人生を送れている、という人間があるかもしれないが、僕は今そういう話をしているわけではない。無意識の自我を律する方法なんてあるんだろうか。

 それはさておき、労働はチーム単位で行うことが多いのだが、メンバーと気があったり、話が弾むことがあまりないのが寂しい。かつては彼らを「ウェイ」と一括りにして敬遠する良くない傾向が僕にはあったが、『死の家の記録』を読んだりして、妙な自尊心の奴隷にならずに積極的にコミュニケーションを取りに行くことの面白さや大切さを学んだから、ある程度は接近を試みているのだが、元来の人格や環境によって身についた特性はすぐには塗り替えられないらしい。ドストエフスキーとか、ソビエト政治史とか、ラヴェルやバッハ、理論物理の話は、世の中あまりに需要が少ない。その代わり、彼らの話す内容は驚くほどカテゴライズしやすい。金、女、遊び、それくらいだ。でも金だの女だのに何かしらの真実が含まれていることは僕とて承知しているし、そちらのほうが正常なのだ。僕の周りにはフョードルがいっぱいいるけれど、僕はアリョーシャではないし、どちらかというと最もかわいそうな末路を辿るイワンに似ているんだろう。

 酒を入れると筆はスイスイ運ぶが、つまらない文章しか練れなくなるな。「お酒を飲むとレポート作成が捗る」とはよく言うが、それと引き換えに大切な発見や深い考察はできなくなる。うお、結局またくだらないところに到達した。今日はもう休みます。

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