トマム滞在記(XVI)

 北海道での労働期間も折り返し地点に差し掛かったらしい。それにしてはメンバーの中でも圧倒的な物分かりの悪さを発揮していて、今日も初回研修での内容と同じことを繰り返し説明された。もう二週間以上勤務しているというのに、恥ずかしいことだ。そして今日だけで同じミスを3回ほど繰り返してしまった。この年になると、仕事の失敗に関して誰も何も言わないが、実は本来用意されていたキャリアが静かに閉ざされてしまい、二度と開くことはない。これが社会の恐ろしさなんだな。そんなことを言っている場合じゃないのは百も承知だけどさ。
 カラオケバイトのときもそうだった。どうしてこうも仕事に力が入らないのか、理由は単純で、バイト先に対する忠誠心とかが足りていないんだろうな、忠誠心さえあれば、もう少しまともな生活が送れるのかもしれない、とかつてはそんなことを思っていた。しかし今は少し複雑な感情を伴って、自分の将来と以前のその考えを結びつけ、考え込むことがある。

 自然科学とナショナリズム、二つの概念は離れているようでいて、実は奥底で密接に結びついている。最近「ソ連の歴史 スターリンの大粛清」という動画をYouTubeで見た。太陽の黒点周期について反マルクス的見解を示した科学者たちが、国の最高指導者の手によって殺されているような世界、ディストピアの極致ともいえる世界が現に存在したのだ。それもたった数十年前に。そんな社会体制の中で一人、自然科学の追求と国家の思惑の中で奮闘する物理学者がいた。先日『理論物理学教程』の中で紹介した、レフ・ランダウである。
 1938年、ランダウはドイツのスパイの嫌疑をかけられて友人のコレーツ、ルーメルと共に政府の監視対象にされた。スターリニズムの狂気に巻き込まれ、何百万という人間が命を落とした恐るべき大粛清のピーク周辺である。もちろん彼はドイツのスパイなどであるはずがなかった。しかし無実であるどころか、むしろ過激派だった。彼は友人のコレーツらとともに反ソビエト体制を掲げるビラの作成に関与していたことが後に判明した。内容を以下に引用しておく。

同志諸君! 十月革命の大義は卑劣にも裏切られた。国は血と汚泥の洪水に浸されている。 何百万もの無実の人々が投獄されており、いつ自分の番が来るか誰にもわからない。 経済は崩壊しつつある。飢餓が差し迫っている。 同志諸君、スターリン一味がファシスト的クーデターを行ったのが本当に見えないのか。 社会主義は、完全なうそつきと化した新聞の紙面にしか残っていない。 真の社会主義を激しく憎む点では、スターリンはヒトラーやムッソリーニと 肩を並べるにいたった。スターリンは、自らの権力を守るために国を崩壊し、国を狂暴化したドイツ・ファシズムに楽々手に入れさせようとしている。 わが国の労働者階級と全勤労者にとっての唯一の出口は、スターリンやヒトラーのファシズムに反対する決定的闘争、社会主義のための闘争である。 同志諸君、組織的に団結せよ!内務省人民委員部の刑吏を恐れるな。彼らに出来るのは、無防備の囚人を打ちのめし、なんの嫌疑もない無実の人を 捕らえ、人々の財産をごっそり盗み取り、ありもしない陰謀に関する馬鹿げた裁判を捏造する事だけなのだ。同志諸君、反ファシスト労働者等に入党せよ。 そのモスクワ委員会とつながりを持て。企業内で反ファシスト労働党のグループを組織せよ。地下活動技術を生み出せ。 煽動と宣伝によって社会主義のための大衆運動を用意せよ。 スターリン的ファシズムは、我々が組織されていないがゆえにのみ保たれている。 皇帝と資本家たちの権力を打倒した我が国のプロレタリアートであれば、ファシスト的独裁者とその一味を打倒することも出来よう。 社会主義のための戦いの日たるメーデー万歳!

 コペンハーゲン滞在時、人々が記憶しているように、彼は赤いジャケットを着て西洋ブルジョワに対する軽蔑や挑発を示していた。ランダウの生きた時代は、ロシア革命に始まる、プロレタリアが社会の上層部と並びたち、今まで実現されなかったような新しい社会、理性万能主義国家を作り上げようとする激動の時代であった。彼の心は、量子力学という物理学における一大革命と、ソビエトロシアの誕生という革命、二つの歴史的大事件に挟まれて大いに高揚していたことであろう。だが上の文書に、彼が「物理学における革命」と同じように抱いていた祖国への愛情はもはや一切見られない。「私たちの課題―最高級の科学インテリゲンチャの課題―は、ソビエト体制を転覆させ、ブルジョワ民主主義的なタイプの国家を打ち立てることにあるのです。こうした結論を私達が下した大きな理由は、ソビエト政権が―私がグループの集まりで証明して見せたように―『キーロフ殺害に何ら関係ない無実の人々を弾圧している』ことにありました。」KGBの取り調べに対して彼がこの部分をどんな感情で語ったのか想像しようと努めてみる。しかし命を賭した緊迫感というものを思い描くのは、今の日本でぬるい生活を送っている僕にはかなり困難な作業だ。
 ランダウは実に一年もの間獄中で過ごした。ここでもドストエフスキーの『死の家の記録』を思い出す(本当に、偉大な作品だ!)が、死の家の記録は監獄という厳しい環境の中でも生きる喜びを見出そうとする、いわば人生に対して積極的な姿勢が表れているのに対して、彼の連行されたルビャンカ刑務所生活からは、そのような匂いは全くしない。一日七時間立っていることを強要され、挙句の果てに「自白文書」を書かされる。こういう生活からも喜びを見出せるというような愚かな考えは、僕には到底できない。YouTubeでも見たが、ソ連の強制収容所や尋問所は拷問施設の機能も兼ね備えてある。カピッツァの命がけの尽力が無ければ、彼の命はそう長く持たなかっただろう。獄中のランダウの写真を見る。そこに彼のいつも抱いていた朗らかさ、明るさ、そういう肯定的要素が一切失われており、不気味さが漂っている。

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 「(前略)しかし、だからと言って、私宛の君の手紙に伺われるように《故国のために》等々で努力するような気には、自分はとてもなれない。このような手紙を君は中央委員会に出せるかもしれないが、自分はそうしたことはごめんこうむりたい。君も知ってのように、ソビエトの物理学が一位であろうが十位であろうが、そんなことはどうでもいい。どうせ私は『学識ある奴隷』になり下がっておりそれゆえ一切は決まっている。
 君はソビエト科学を世界一にすることを使命としている。私はこの点では君の助けになれない。」
 ランダウは自然科学の追求に関して一切の妥協を見せず、純粋な好奇心と忍耐力によって理論物理という学問界に多大なる貢献をした。もしかしたらソビエト政府による直接の弾圧が無くても、ランダウは上のような科白を吐いたかもしれない。だが自然科学とナショナリズムの相互関係は、歴史的情勢によっては恐ろしい怪物となって我々を襲う、これは紛れもない事実である。「日本の物理学の発展に寄与したい」という文句を僕が気軽に発せなくなったのは、彼に関する一連の伝記資料を眺める機会を経てからだ。戦時中のことも思い出すとよい。かつて日本人は「お国のために」の裏にもう一つのスローガン「玉砕」を掲げていた。自分の忠誠心の対象がもし間違っていたら。しかもそれを国という、あくまで人間が作った建造物に括りつけてしまうのは、非常に危険なことなのだろう。

 もちろん僕は今「日本のため」を掲げてバイトに打ち込んでいるわけでは到底ない。これははっきり言って命をつなぐため、自分のためだ。それでもいずれは就職なり研究なりで日本の役に立ちたいとは少なからず考えている。社会は不安定だから忠誠を誓うべきではない、なんて馬鹿げたことは言わないけれど、妄信するのも良くないし、心のどこかにとどめておいて様々に覚悟はしておくべきなのだろう。皆、社会思想を何かと危険因子に結びつけるのをやめて、一度落ち着いて眺めてみないか。

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