生きる意味
え、ここに来ていきなり本質情報!?って感じですが、僕には明確に生きる意味があります。
「おめぇいつもTwitterで生きる意味分からないとか言ってるじゃん」と思った方、その反応は正しいです。
Twitterでの呟きは、その瞬間に感じたことを一切フィルターを通さず呟くので、限りなく本心であり、そして限りなく本質とはかけ離れている情報であるのです。
刹那的に感じたことというのは、往々にして本質からかけ離れた一時の気の迷いであることが大半です。
結論から言いますと、僕には
『趣味を存分に楽しむ』
と言う人生の目標があります。
皆さん大好きアニメやゲームを飽きるほど消費すると言うのもそうですし、普段のつぶやきからもわかる通り僕は車が好きなので、乗りたい車、所有したい車は全て体験してみないと死ねません。
テンプレオタクだなぁと我ながら思うのですが、将来は自分の愛車で好きなアニメの聖地を巡りたいと常々考えています。
しかし、大学生の身分では金銭的な制限があります。
常に金銭的に苦しい立場に立たされているのでここは就職して定職に付かないと改善されないことは理解しています。
なのでクソ面倒な就活は真面目にやるつもりです。
じゃあ、浪人も留年もせずにストレートで大学を出ればよかったのでは?と言われそうですが、ごもっともです。
ですが、これには色々事情がありまして、正直2年ほど前までは、今ほど将来の展望がなかったのがあります。
ざっくり言えば、将来のことを考えなくても楽しかった・なんとかなっていたのです。
ですが、2年ほど前から周りの人間がそれなりに相手をしてくれていた時期も終わり、各々がそれぞれの幸せを掴んでいくようになりました。
それは恋人であったり、趣味であったり、仕事であったり。
人によって幸せのカタチは様々ですが、彼らは確実に人生の次のステージへと登っていったのです。
一方僕はというと、人付き合いが希薄になった途端、何もない抜け殻のような人間になっていました。
恋人なんていませんし、趣味と胸を張って言える趣味もない。
単位ももちろん取れてなければ、大学で学んだこともない。
何一つ持ち合わせていないただのキモい人になっていたのです。
高校も多くはない友達と毎日を楽しく過ごしていましたし、大学も前半はサークルの人たちとそれなりな関係を築けていたと思います。
でも彼らは二十歳になり、将来について、自分の求めるものについて真剣に考え始めました。
そこに僕は必要ありませんでした。
そのことに気付くのが遅すぎたのです。
僕はふてくされ、何の生産性もない毎日を過ごしてきました。
何がいけなかったのか、しばらくは分かりませんでした。
しかしようやく気が付けました。
自分が本当に何がしたいかが。
いえ、何がしたいかを考えることの重要性が。
気付くのが遅かったと思います。
同年代はおろか、同期に比べてもつまらない見るに堪えない生活をしていると思います。
ですが、今はふわっとではありますが、将来の展望が見えてきました。
今までのようにふてくされていては今までと何も変わりません。
人より遅れていても、人より劣っていても、それが本当に望んだ未来なら…。
それくらいの努力はしてもいいかなと、そう思えてきたこの頃です。
本当に正しい道はわかりませんが、これだけ遠回りしてきたのです、いまさら気にする余地もありません。
いつか、『あのとき諦めなくてよかった』と言える日を夢見て…。
それでは。
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