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じっけんのはなし

2023年12月末、わたくしはあることに気づいてしまったんですの。
スクリーンタイム。ついったを一週間に24時間見てた。

びっくりじゃん、ってシンプルにショックじゃん。わたし一週間を6日でやってたのか、と思った。なんかおかしい気はしてた。

それでついった立ち入り禁止令を自分へ発令しまして、とりあえず3日間暮らしてみたのであった。思ったよりふつうに暮らせた。
そらそうだよね、かつてはそうだったものな。

離れてみてわかったことがちらほら、ひとつは私の脳とSNSの相性がやっぱりよくないということです。あらためて実感した。
私は本を読むのがへたなんだけど、それは読み始めると止められなくなるタイプのへたさで、食べるとか寝るとか後回しにして読んでしまったりするから読書が生活に支障をきたすのだが、本はおしまいまで読めば止まれるんだけど。SNSって一生読み終わらないのでは・・・って思い至ったときにちょっぴしぞっとした。ホラー。

ついったを見ないでいた時間で何をしていたかというと本を読んだりした。あと睡眠時間がのびた。
私は文章を読みたいんだね、っと思った。あと文章にしたいんだな。
一週間の内の24時間ついったにいたわけなんだけど、たぶん半分くらい(もっとか?)自分しかいないタイムラインで、思ってることを言語化することをしてた。それは表現、コミュニケートもしくはコマーシャルの場で内観してるようなシュルレアルな活動で自分なりのユーモア、世界への愛情表現なんだけど。心の犬と対話したり。(ときどき、わが親のいろいろを指摘をして飛んでくる巨大なブーメランをよける運動もしている)
近年、読書と作文が出来なくなってどうしたものだろう、っと思っていたのだがそのどっちもついったで十分すぎるくらいしてたのじゃん。別段、それをしてる実感もなんの成果もなかったけど。

自分の脳の癖みたいなものに、忘れっぽいとか優先順位がわからなくなりやすいとか、逃避とか先延ばしとかがあるんだけど、一番身近なものを優先しちゃうというか目の前のことに気を取られすぎちゃうというのもあって、その一番身近なものって手の中の端末だったりするなあ、と気づいてそれはまずいな、と思った。こわいからホラーだから計算しないけど、去年いったいどれだけの時間光る板を見てたのだろうね私は。

それとね、ついった見てた24時間のほとんどは削られ集められた睡眠時間だと思うよ。睡眠が足りないと一日の暮らしにまつわるいろいろが、一日に収まらなくなってずれ込んで、そうするとまた睡眠が足りなくなってまた一日に収まらなくって…っというループに陥ってしまうのだよ。私よ。

じっけん3日目、思いつきで7日間に延長した。
一週間が7日あった。それでもあっという間だったけど。
元旦から始めたので年明け早々、家族へのぐちをたらたらつぶやかずに済んでよかった。(ここでひとつだけ書いちゃおう、お正月の苦手なところ、家族が食べきれない量の食べ物を用意して案の定、食べきれないこと)
6日目に気圧寒暖差偉大なるホルモンバランスのセンセーショナルアタックを受け、ものすごい片頭痛に見舞われたとき、ついったらんどに駆け込みそうになった。私の保健室なのかな。
(離脱症状か…?という思いが一瞬よぎった、だとしたらつらすぎた)

そしてしばらく離れてみたら自分がほんとうに見たい知りたいことが明確になったよ。大すきなひとびとが暮らしてる様子を知れるのってげんきでる。すごく。

あと、何かを知ってる/知らないことで、自分の存在自体の価値は変わらないな、っていうことも思った。
ついでに、ひとりごとはコミュニケートではない、といふおのれへの戒めも得た。
関係ないけど(あるのか?)じっけん中、私の携帯端末はオフラインなのかな?ってくらい静かでした。無口なんだね。



これをもってじっけんをおわります。
これからはスクリーンタイムにぎょっとしない程度にあそびに行こうね。













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