見出し画像

『君たちはどう生きるか』の話

遅ればせながら、映画を観た感想です(作文リハビリテーションもかねております)
ナチュラルにねたばれを含み、文体が定まっておりません。ご注意くださいな。



『君たちはどう生きるか』を二回観に行きました。同じ映画を二度観に行ったのはいつぶりだったのか?初めてだったのか?ちょっと覚えていないのですが、まれなことです。

一度目はひたすらに、これは大変な作品だ...っと思った。ずっと公開を楽しみにしていたというわけでもなく、誰かに誘われたら映画館で観ようかしら?ってくらいの気持ちの、ライトな層だったのであるが何だかみんなの配慮(映画の内容がもれ伝わって来ないの)に興味をひかれて観に行ったわけなの。ひとり。

ひとりで行ってよかった。ずっとうっすら泣いていたよ私は。スピリチュアルヒーリング映画ですこれは。宮﨑駿すごい...っと心から思った。ずっとすごいひとだって知っていたけどね、強烈な実感を伴って思った。何の情報も知らずに触れることができた世界にうっとりとなり、大変に満ち足りた神聖な気持ちになった(そして心地よくつかれた)ので、その感じで思い出にしても全然よかったのだが次の週、ちょっともう一回観ますわ...ってなって映画館に行った。

そんなわけでこの作品を観て思ったことや考えを巡らせたことを書いていきますね。物語の流れには沿っておりません。いままでライトな層のfeelingで“はやお”とお呼びしていたのですけど、今後は“駿先輩”とお呼びすることにいたしました。


この作品は駿先輩の個人の神話なのだわ...と思って心が震えました。なにやらユング先輩と駿先輩のお姿が重なるようなところがちらほら、ありますね。水辺の塔とか。ユング先輩は晩年、湖のほとりに石の塔をご自身の手で建ててる。その塔は母性の象徴であり、母との別れを癒した場所であったようです。
母と子の物語であるところも、ぐっときてしまいました。まるくおさまってる物語でないところ、あって当たり前のように描かれる絆だとか愛の話でない、というところに救いがある、と思いました。親に「だいきらい!」って言えない子どもが主人公なんだもの。愛おしすぎる。眞人氏。親と子の関係性で「だいきらい!」って言っていいのは子どもの特権だのに、親(になったひと)からの「だいきらい!」を受け止めてる眞人氏を涙こぼさずに見れない。
誰もが我慢を強いられている状況、お母さんは病院に入院していたし、眞人氏は誰に甘えられたんだろう。あの父か?あの父かなあ...ってところで登場するキリコさんが私は大好きです。
駿先輩の作品に出てくるつよい女の人がとてもすきなのだが、この物語にキリコさんがいてくれてよかった。親子の関係でないところに救いがあるのは、諦めるなってことなのかな。と感じる。毒親、親ガチャなどという言葉があるような世界。

私がこの作品はスピリチュアルヒーリング映画だ、と思ったわけを書いていきますね。
『君たちはどう生きるか』は、ある魂を持った人たちを強く癒している、と感じました。それは、魔女として生きた魂です(唐突のスピリチュアル、続けます)魔女として生き、炎に焼かれたことを私は覚えていませんがそういうことはあったろうな、と思いながら生きています(火をつけた方であったこともあるでしょう)
ヒミは自分の最期を眞人氏への愛と希望を持って受け入れる。受け入れるというか、肯定する。火の呪縛が祝福へと変わる。いまいる場所から過去を変えるための物語なんだと、受け止めました。駿先輩も魔女だったことがあるのでしょう。きっと。

われわれのような感受性つよめ人間は、自然と登場人物に心を重ねて物語を体感している。すると気づけば、ヒミに自分の存在/誕生/ぜんぶを肯定される眞人氏とともに、われわれも肯定され、祝福されているのであった。泣いちゃう。

ずいぶん前に個人にとっての神話、私にとっての神話を生きるというのは楽しく実用的なセラピーなのだとわかって、私の思考とインスピレーションでつむがれ編まれていく物語に取り組んでいる。すると、個人の神話はコマーシャルからもっとも離れたところで起きているから、私はテレビを見ていられない。そしてそれは内面で起きているから人間の表面的なものに価値を見出せなくなる。恋でなく、愛が語られるのをききたい。べつだん言語化することはないがその様な思いを抱えている人間にとってこの作品はあまりにも偉大、だったのです。

私はどうも、駿先輩の神話世界(塔の中の世界)に順応しすぎているみたい、っというか神話の住人的視点で「はやお、こっちの世界のお話をつくってくれたの!?」みたいな感動すらありました。元型論みたいなことになっていくのかな、個人の神話間は何かしらでつながっているのでしょうな。

駿先輩が自分の仕事で、自分の神話を猛烈に語っている。アニメーションって美しき執念の結晶なんでないか。すごい。スタジオジブリすごい。ジブリ作品でいちばんすき!と高らかに宣言できる作品にいま出会えるなんて思ってなかった。それがうれしくて泣けてしまったのだな。はじめて観たとき。世界は多数決だのに、少数派の望みはどうやってかなえるの?って思っているようなわれわれだけど、少数の極みは個なんだなって思った。個の強さ。個のスパーク。私もそれになる。


(おまけの徒然コーナー)
お屋敷のおばあちゃんたちが7人いるの、プレアデスの7人姉妹みたい?とか、たしか古代エジプトの『死者の書』に、死後アオサギとして復活するための呪文、ってあったな?と思い出したりしたよ(考察とかはしない)
少なくとも、おばあちゃんたちの数だけ違う物語があるんだろうな、と感じられて物語の奥行よ...と思った。
塔の世界から帰ってきた眞人氏たちとたくさんの鳥たちのシーン、みんなが鳥の糞でよごれているのが現実的すぎて、夢落ちじゃない感と細部がリアルすぎる夢感があって良いな。シュールレアル。現実を超えていくときの解像度。

最後の場面、眞人氏の机の上に封のされていない手紙があって、きっと友達がくれたのだろうね、友達できたんだね、って思った。
「ちゃんと、ひととも繋がりなさいよ」って駿先輩に言われたような気がした神話の住人(わたし)であった。生きる。



書きたかったことはだいぶ書けた気がします。
またなにか思い出したら書き足しますね。
読んでくださってありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?