絶望の良いところ

慶応からニートになって思う。

ニートは社会的最底辺。

もう上がるしかないわけで。

最高に失敗した状態にいると

どんな失敗も失敗にすらならない。

普通27にもなってアルバイトをしていたら、失敗と思われそうだが、それすらも成長。

失敗しても今のような状況に戻るだけ。

だから、もう基本上がるだけ。
アルバイトしても成長というレベル。

だから、自分の進みたい道を、わりと自由に選択できる。

安定した生活や、それなりのまあまあな生活を手にしていないから。ふつうの人がリスクに感じることがまったくリスクではない。

だから、絶望状態にいることで、ふつうの人がスカイダイビングするくらいの勇気が必要なことが、イスからジャンプするくらいの感覚でできたりもする。

もちろんそういうリスクをとれれば、そのリスクに伴ったおいしい果実を手にいれるチャンスだって手にはいる。

もともと面白い人生に進む勇気も能力もなく、ふつうの人生になりそうだったけど、ミスったおかげで半強制的に面白い人生を歩んでしまうことになりつつある。

でも、それはもしかしたら少し望んでいたことなのかもしれないとも思える。勇気が出なかったり、プライドが邪魔してできずにいた自分に見かねた神様が、後押ししてくれたのかもしれない。

こうなったからこそできることはあるし、こうなったからこそしかできないことはある。

だから、絶望も悪くない。

別に望んでこういう状況になりたい人はいないと思うけど。
もし色々なことが重なって、絶望的状態になったとしても、それはショックだろうし、辛いとは思うけど。

今となっては全然悪くないと思える。

むしろ、とさえ今は思えてくる。

だからまあ大丈夫よ。

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