負けるが勝ち。

浪人時代、代々木ゼミナールに通っていた。

そこで京大志望のKと出会い仲良くなった。
受験勉強の傍ら、休憩がてら談笑をよくしていた。
くだらない話もでき、真面目な話もできる予備校では数少ない友人だった。これからも長く付き合っていきたいと思わせる奴だった。

そんな自分は無事、目標とする大学に合格した。

しかし、彼は京大に落ち、そして家庭の事情から親の指定した、京大に比べたらかなりランクの下がるある私立大学に通うことになった。

それが影響してなのか、大学入学以降、代ゼミのメンバーと集まる機会がたくさんあったが、彼はその集いに顔を1回も出さなかった。

自分は遠回し遠回しに彼の同行を聞いたりしていたが、だんだんと聞かなくなっていった。

そしてみな社会人になった。
集まりは大学時よりは少なくなったが、社会人になっても続いていた。

しかし、家庭を持つ人も出てきたり、仕事で忙しかったりで、集まりが悪くなってきたこともあり、今年の正月の集まりで最後にしようということになった。

自分はこの状況だったから行くつもりはなかったが、ここにきてKがはじめて顔を出すということだった。それでも行く気にはなれなかったが、親友に、こんな機会はないということで、引っ張られて行った。

そうやってKと6年ぶりの再会した。全然変わらなかった。6年も空いたとは思えないほど、予備校時代と変わらない感じだった。

彼は聞いたところによると、大学時代、勉学に励み、留学などもして、今は外資系のコンサル会社でバリバリ仕事をしているとのことだった。かなり忙しそうな感じだったが、充実している感じは伺えた。

ほろ酔い気分で一人で帰ってる途中。自分は彼がずっと来なかった理由、そしてこの時期にして来た理由が分かった気がした。

おそらく大学受験に失敗し、悔しかった。それは端から見れば別に大したことないのかもしれない。だけど、Kはそれが悔しかった。だから、受験に上手くいった奴等に負けない4年間にしてやろうと思った。そのモヤモヤを適当に消化せず、努力にぶつけていった。そして、実力をつけ社会人になり、自分の状況にある程度納得がいくようになった。

そして、ようやく顔を出してもいいかと思えるようになったんじゃないかって。

一方、俺は調子に乗っていた。
もちろんそんなつもりはなかったけど、所詮そういう集まりにドヤった顔で気持ちよく参加している時点で、こうなることは決まっていたのかもしれない。
結局、憧れの大学に入ったものの、今やニートにまで落ちぶれている。

19のとき俺は勝ち、彼は負けたが、その後の大学での時間を濃いものにできたのは彼だった。

そして現在、彼の圧勝。

そういうことを考えながら、失敗って失敗じゃないなと思う。

失敗のエネルギーはスゴい。
そもそもおれが受験に成功したのは、高校野球での挫折があったからだ。それがなければ、受験に真剣に取り組んだかも謎。

確かに大きな失敗や挫折は辛く、悲しい。だけどその一方で物凄いエネルギーを与えてくれる。成功は確かに嬉しいが、中途半端な満足感を与えてくれる。満足は人生を上昇させていく上で大敵な存在。そういう意味でいえば、長い目だと成功よりも失敗の方がいいのかもしれない。

失敗した状況にいると、ただ悲しい気持ちになるがそれだけじゃない。成功では絶対に手に入らないものを手にできる。そう考えると今の自分の状況も悪くないなと思える。

高校のときのように。そして、Kのように。
この気持ちを、前向きにぶつける。

だから別に失敗って悪いことじゃない。

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