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即効性の薬/遅効性の毒

帰省をしていた。働いてから、長期休みの8割ほどは帰省に費やしている(残り2割は仕事に向けてからだを整える期間)。実家が好きだからとか遠いからとかもあるけど、どうしても残り時間を考えてしまうのだ。

認知症の祖母は、5分間に3度「いつまでいるの?」と聞いてきた。私が今どこに住んでいるのか、学生なのか働いているのかすらもわからなくなった。いやあめんこいお嬢さんになって〜と言うけれど、おばあちゃんの中の私は何歳で止まっているのだろうか。おばあちゃんの煮しめも、しそジュースも、幻になってしまった。

もう片方の祖母には、リクエストして山菜の天ぷらとひっつみを作ってもらった。たらぼ(タラの芽)、こごみ、あしたば、しどけ、こしあぶら。80過ぎの祖母がひとつひとつ揚げてくれた。祖母の山菜の天ぷらを食べるために春に帰省しているといっても過言ではない。うまがったね〜と茶碗を片付けているときに、ケラケラと祖父が笑いながら「ばあちゃんもあと何年でぎっがね〜」と言った。そんな悲しいこと言わないでおくれよと私のなかのまるちゃんが降臨する。

実家に帰っているときにはあんなに訛っていたのに、地元から離れると徐々に標準語に戻っていくときにいつも悲しくなる。悲しくて、寂しくなる。

帰省の真ん中くらいに、コンサートホールのグランドピアノを弾いた。母がピアノ開放デーのお知らせを広報で見つけてくれて、急いで予約した。中学の吹奏楽コンクール以来にホールのステージに立った。ピアノで立ったのも同じくらいが最後だろう。たった1000人キャパシティなのに、観客は母しかいないのに、自然と背筋がしゃんと伸びた。ホールで弾くスタンウェイのピアノはまるくて小さい粒で、大好きなピアニストになれた気分だった。

1時間のうち、横目で席を立つ母が見えた。何度も同じ曲を弾いていたのでいやになったのだろうか。そんなことを考えていた。1時間経って、母に声をかける。家までは1時間弱。私はペーパードライバーなので、母親の運転に乗せられる。ホールを出てすぐくらいに、寒かったからか、おなかがいたいと母が言った。じゃあ先にお風呂入りなよと返す。会場を出て10分。母がハンドルに寄りかかるように運転をする。ラジオを消して、バスタオルを膝にかけた。口数が減り、おなか痛いと繰り返す母に次第に私まで寒くなってきた。母は健康だ。手相占いでも健康診断でも身体のことはほとんど指摘されず、病院も苦手だ。そんな母が、私の横で脂汗をかき、吐き気をこらえながら必死にハンドルを握っている。けど私はなにもできない。免許をとって7年半、最後の運転からまる7年。大丈夫、とどこか止まろうよ、しか言えなかった。情けなかった。地元に頼れる先もいない。家にいる父に電話をし、湯たんぽをわかすように頼む。カーナビが示す自宅への距離が短くなるごとに、小さくがんばれ、もうすこし、だいじょうぶ、と私の口から漏れ出る。あのときの私は誰に向けて言っていたのだろうか。

玄関先まで父がきてくれ、車庫に車を入れてくれた。それすら、私はできなかった。父が沸かしてくれた白湯をもって、オロオロとすることしかできない。今まで生きてきた中で、1番運転できない自分を悔いた。


結局母はウイルス性胃腸炎だった。原因もわからず、1日20時間ほど寝て何も食べないが3日続いたところで、お腹空いたから寝られない、になってみるみるうちに元気になった。ほっとしたけれど、ものすごく焦った。

私は遠くにいていつもなにもできないし、近くにいても車の運転すらできない。病院の場所も土地勘もなく、無力だった。


言葉は、特に薬になり毒になる。言われた途端に心に沁みつきお守りになり続けるものもあれば、じわりじわりと私の心を蝕み、いつしか離れなくなる呪いもある。私はいつも、そのどちらもを抱えながら生きている。心臓を持ち上げるお守りと、心臓に重くぶらさがる呪いの鎖。ここ最近、鎖のほうが多くなっている。帰り道、あーと小さく声を漏らす。そうすることで自分がした後悔や反省、言われたことのつらさ、ぜんぶぜんぶ、あーという声でいなくなればいいのに。私の悩み、消えちゃえばいいのに。ずっと考えている。


今年中に彼氏ができなかったら転職することにした。なにの理由もなしに関西に骨を埋める気は無いし、SNSを見るのが日に日につらくなってくる。けど、転職をして私に明るい未来があるのだろうか。転職をするなら関東か、地元に近い場所だ。周りの転職話を聞いて、まぶしい未来を聞いて、今自分がいる場所が暗く見えて、またじわじわと私の心を食っていく。遅効性の毒だ。私がここにいてもいいと抱きしめてくれる、ずっとなるべく私からいなくならないひとがいたらいいのに。元彼に連絡したくなるのはこんなときなんだろうか。連絡するような元彼は私にはいないのだけど。

ずっと即効性だけど持続性がある、私の心を下からそっと持ち上げてくれるお守りが、そんな人がいればいいのに。ひとりで楽しめる趣味は多いけれど、ひとりで楽しめば楽しむほど虚しくなる。なにをしても虚無だ。これが、五月病なのだろうか。そんなものくそくらえだ。私は楽しく生きなければならない。じゃないと、ここに、離れた場所にすむ意味がない。

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