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自分の意見を言えない

人に、意見を発することが苦手だ。10代のころはもっと自己主張も激しく図々しい人間だったはずなのに、気が付いたらこんなことになってしまった。

周りを慮ることができるのは私のいいところなのではないかと思うが、その分、気遣い屋さんになってしまう。別に、意見をすることができないわけではない。ただ、うまい言い方でできないのだ。言い出したが最後、泣きなら怒る子どものようになってしまう。

揉めるのが面倒だ。理論よりも感情で動く私はい大抵の場合言い負かされてしまうので、まあ自分が折れればいいかと思う。あまりよくないことは無論わかっている。モラハラ(疑惑)男と付き合っていた時にも、もっと意見を言ってほしいと要望があったが、どうせ私が論破されるだけなのだと思ってからはその頻度が減っていった(実際に論破されたことも何度もある)。

まあいっかがチリツモになり、いつか爆発してしまう。あの時もこう言っていたじゃん、本当はこうしてほしかった、たくさん言いたいことはあるのに、「してあげている」「やってやった」という思考が好きではないので、五分五分くらいの確立で爆発ものみこんでいる。結局、揉めるのが面倒なのだ。

揉めることを避けたことによる自分や他者に対しての思いは、その後も深く自分の中に残り続けることとなる。こういうことを書くと、「育て方が~」「親の~」と言われることもあるが、そういうわけではない(と思いたい)。

誰も悪者にしたくないからこそ、自分を悪者にしてしまう。自己犠牲良くない。

この人にこういうことを思ってて、というカミングアウトのようなものはできるのに、いざ本人を目の前にすると、涙が出そうになるし、実際に涙が出たこともある。無駄に先回りしてしまう。

この歳になってなにを、と思うだろう。私もそう思っている。

PMSのせいなんだろう。先日、ルナルナから「予定日まであと1週間」という通知が来た。早く全てが収まることを切に願う。

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