このくらいで良いかと言う考えについて
限定的な条件だが、今自分は無職であり時間に自由がある。
起業に向けて準備中ではあるのだが1日の中でアプリ開発に費やす時間はせいぜい2、3時間で少ない日では数分になることもある。
加えて、前日にいつもよりも多く作業をした自覚があればその日は基本何もしないことさえある。
商機を逃さないことを重点においたならば、開発は早々に終わらせる(完成させる)べきと直感的に考える。
しかしそうなっていない。前述のとおりである。
この現状の問題点は、自分の作業速度が遅いことによる自己否定と、実際に現状を変える必要があるのはどのような理由によるものかを明確にできていないと言う点である。
わかりやすく言うのなら、なぜ今以上にアプリ開発の作業に精を出すべきか分かっていない。と言うことだ。
にもかかわらず、今のままでいいのかと考えている。
この思考へのアプローチは思い浮かぶ限りで3つある。
考える時間が無いほどに開発作業に集中できるようにすること。
現状のまま不完全で完全な状態をありのまま受け入れて容認すること。
1日の大半の時間をもんもんとだらだらすることに価値やメリットを見出すこと。
まず、一つめをするには環境の変化や作業をしていない時間を捨てるような言動や思考が必要になってくるはずだ。
二つめは最近個人的に注目している活動だったりする。これは仮に将来的にあるどの地点の自分であっても必要になる考え方だと思ったからだ。
三つめはそもそもこの記事を書いた理由である。ダラダラしている現状を目的論の観点で考えると、活動時間の制限や恒常性を達成できていると感じた。
要はその現状に注目できれば、自ずと程度の問題を考えることができると思った。
という事で早速考える。
恒常性によるものだろうか?成長したいし、達成したいのに変化したくないと言うやつか。
現実を受け入れたくないと言うやつか?自分の活動による限界を知りたくない気持ちであるならばあっている気もするが、、、
少しずつ進むことで大きく作業を戻るようなロスをしたくないと言うことか。
これな気もするがどうだろう?
また別で今このように考えることを楽しみたいだけだろうか。ぶっちゃけ結構ある気がする。なぜなら考えるのを楽しんできた経験が多くあるから。
まあこの辺りだろう。他に考えもないのでまとめると、次のようになるはず。
作業を一旦止めて注意を逸らすのは余計なことをしていないかを確認するため。
開発作業に戻れないのは自分の中で開発作業に対する程度がわかっていないため。言い換えるならば、どのくらい作業を見つめることが段階を踏んだ開発になっているか明確化していないため。
という事で、〆かな。
作業の手を一旦止まるのはぶっちゃけ問題ない。
再開するのに際限が無いのが問題。
30分くらい手を止めたら開発しても問題ないと言うことにしてみようか。
あとは基本的に時間があれば、ゲームではなく開発をする選択をしてみる。
仮だけども。