ニーチェはいかに近代を克服したか?

 序言

 この「ニーチェはいかにして近代を克服したか?」のなかで、いくつかの語弊があるかもしれないので少し1章を始める前に話したい2つのことがある。
 初めに、この中で用いている「ヒューマニズム」という言葉は、一般には人道主義などといって、人間尊重の姿として語られるが、ここでは人文主義的な意味合いで使っている事を伝えたい。キリスト教社会やあるコミュニティーによってその内部にいる人間の個別性が否定されたが、それの回復を求める考えだ。現代にも、集団化的な枠組みの変化に反して、マイノリティーや大衆の水平化に逆らうような個別的特徴の容認が叫ばれるようになった。個別で異なることに一種の人間臭さを見出すなら、これは立派にルネサンス(再生)かもしれない。
 2つ目は、人間が物事をどのように把握するか、ということについてである。これに関しては、先人たちがさまざまな価値ある形容をしてきたし、これからも今でも多くの人が取り組むであろうから僕なりの考えを呈したほうが、本論が読みやすくなるのではないかと期待する。
 人間にはいわゆる空想的(形而上学的といったらわかるかもしれないが、他者へ一般化された概念の影響をしない点でやっぱり空想だ)な視点要素と実世界自体を捉えるものの二つがあり、この狭間ではその人間が形而上学やその文化下での慣習、言語形態に慣らされた物の見方が、主体性として混じっている。
 このとき、客観性と主観性について、考えることには、僕らの社会は理性という共通して誰もが持っていることを期待される行動規制要素に行動の道徳的逸脱部分を抑制され、法という形でも抑制があり、客観的な視点で活動することが求められる。けれど、哲学を誠実に行うためには、客観性という形而上学的な視点や道徳による定義から抜け出し主観性という自ら個人に根付いた観点から物を見る方を能動的と言い換えて評価したい。集団的判断はいつの時代もこの(個別)主観的判断を排除してきたし、これが近代以降の国家という形による人々をまとめるシステムのもととなっていると考えられてきた。のちに述べるが、理性的なものの見方というものは、人為的に作られたものであり、それを良しとする姿はニーチェの言う「先入見」のようでもあるのでその人自体の真理に直結するものではない(ここでは軽く触れるのみにするが真理と人が求めるものに、それが他人に共有されることを前提とするもの、個人がそれを求め、ニーチェの言う「新しい哲学者」としてその共有を求めない物とがある)。集団的なものの見方(決められた理性や道徳)が人々を集団たらしめるものであって自らの生が当然のように画一的にされてしまう相手でもある。

 1章 今までの哲学者たち
 1節 初めに

 何をもってニーチェを説明するだろうか、と考えたときに、「ニーチェはこういう思想を持っていて哲学にこういう働きかけを行った」と概要について説明するのはとても簡単であるのだが、それ自体をもってしてニーチェを考えるのは先人の分析をなぞっただけのように思えるし、そこから自分がどう行動したり、思考したりしたらよいかが見えてこないので、掘り下げた解釈とともにその真意を探ったり、自分の中でも結論を見出していきたいと思う。ニーチェの思想をなぞってそれに自分なりの解釈を添える、ということ自体には意味が見いだせないとしても、それを把握しているということはある意味あらゆる類の定義に(多くの場合は世界把握や人間の理性、その他専ら形而上学的な部分のことだろうが)妥当性や恣意的なものを見出すようになるきっかけになると思う。これが何を意味するかというと、実のところこれは世界に溢れる諸思想からその意図を見出すこと、思想という仮面をかぶった意志の流れを汲み取ることになるだろうことを期待する。
 初めに、道徳というものがどのような過程で発生していったかを考えたい。
 「自然状態」という考え方がある。この概念自体、人間は国家という枠組みが存在する前の事を考える(実際に国家が存在する以前のことを、考古学的に実証したものがいただろうが、記録と言うものの性質上、ある人間の集団の枠組みができる以前に記録や物証が残っていること自体少ないのだ。というのも、人間の性質上、グループとして活動する生き物であってそれが国家と呼ばれていたか、それに相当するものであるかなんて、分かりっこないのだ。)至極脳内シュミレーション的な思考活動なのだが、ここにはとても人間が道徳によって縛られてなければ、という考え方が浮き出ていて面白い。3人のこれに関する哲学者を挙げるとする。
トマス・ホッブスというイギリスの思想家、彼はこの自然状態を「万人の万人に対する闘争」という状態に定義した。この世界の資源は有限なものであってそれを各人間が欲するので、各人は対立するであろう、という意味である。ただし、この状態には法や正義が存在しない限り、という制約はあるものの、国家が存在しないのだからその二つも存在しないのだろう、と考えても不合理はないのかもしれない。
 次に、ジョン・ロックを挙げる。この思想家は先ほど挙げたトマス・ホッブスとは逆の想定をしているが、自然状態を平和で平等、独立した状態になると定義した。これは、人間にとって有効な資源は増やすことができるので、争う必要がない、という根拠に基づいている。この場合、先のホッブスが統治者である国王が市民に対し圧倒的な力を持つのに対して、ロックの思想は独立した各人がわざわざ国家を作るので統治者である議会は市民より弱い立場にあるという考えを輔弼する。
 この時、何が自然状態の人々に独立や平等をもたらすのかということに注目したい。掘り下げると、先ほど述べた「争う必要がない」ということに行きつくのだが、そこにはあからさまな道徳や倫理が存在しているわけではない。あるとするならば、それは人間そのものの生物的行動パターンであるかもしれないし、自己保存や自己利益が他人の活動を犯さない範囲で行われているという、本質的に自己中心的なものかもしれない。かの老子が考えた無為自然の状態であり、小国寡民の社会の中で、自給自足で、財産の拡張を求めたりすることなく生活する桃源郷の考えと近いものを感じることができるだろうが、ここでロックはそういう自然状態における平和や強調(のように見えるもの)があるとしたうえで、それでもなお国家を作った方が各人の財産権や自由生命の権利を保障される、という利点を主張した。ここには自然状態の中で目立った闘争や侵略がないにしろ、その権利について本質的に保障がなされていないことに対して不安もあっただろうし、人間が社会的動物であるべきだというロック自身の思惑もあっただろう。これに対して老子は国家を作らず、人為的なものを排して生活するべきだ、という点で異なる。つまり、ある集団に属しているすべての要素(国レベルでいうと市民や国民、この2者の違いについてここで深く述べないこととする)に作用する法や道徳を必要とした姿勢、とみることもできないだろうか。法や正義について後者の定義を道徳にゆだねることをするならば、これは国家がそれを指定すること、それを法に反映することを含んでいるような気さえするのである(それを目的として作られた共同体、言われればそれまでであるが、ここでは自然状態の延長的に発生する国家を考える際、地理的要因や人種、そういう原始的なまとまりについて考えたほうが無難であろう)。例えば、ある農村部落があったとして、その集団の中で、牛がとても力強い労働力となっていたとき、牛を尊重する必要が出てきてから、牛を神格化する信仰に基づいた道徳ができるかもしれない。その道徳に基づいて「牛を粗暴に扱ってはいけない」などといった法律ができてもおかしくないことではある。このように考えると、信仰や道徳、法は親密にかかわりあっており、宗教というかたちで、それらの係わり合いがまとめられることとなる。民間信仰は、生活や風土、人々の活動から生まれる必要性などを主体としており、宗教になったり(他の宗教に吸収されたり)する。ここから考えると、この自然状態という考え方自体が、恣意的にある統治者によって道徳や正義の在り方が施行される手順の前提として考えられているとみることもできる。
 3人目としてフランスのジャン・ジャック・ルソーについて考えるとする。彼はロックの自然状態で人間は闘争せず、自由・平等であり、精神的・経済的に独立したものとしたが、私有財産がこれを破壊するという条件を付随した。彼の思想の中で、各個人は共同体によって人民が持つ一般意思によって統治され、統治者と非統治者が一体化した状態を良しとした。この考え方は、統治者が自分たちなら、非統治者である自分たちに不合理な統治が起こらないだろう、という目論見に基づいているが、その時、法などに反映されるべき道徳や正義観はどのように定められるものであろうか。
 このルソーの場合、自然状態がある程度平和な状態で私有財産権をそれに対する脅威として定めたのなら、当然その中での法や正義は市民に何かの権利を認め、保証するような肯定的意味ではなく平和を侵害するものへの牽制として作用するものを求めるものとなるであろうことは容易に想像できる。つまり、人々の権利に対して、その最低ラインを定めるか、最高ライン(これを超えるような権利は認められない、というような)を定めるかという違いがあるのだ。
 この時おそらく道徳や正義(したがって法)の二面性が見られる。一面として、ある権利や行動への保障、そして肯定。反面として、ある行動や権利に対しての制約と否定。もちろんこの反面についてそれに反対できる人たちによる統治者が施行するものであって被施行者も施行者なのだから当然受け入れられる正義や道徳が施行されることは確かなのである。
 この3人を通じて考えたかったのは、道徳が存在しない状態でいかにして道徳が発生するか、ということなのだが、3人の定義、そして自然状態自体の定義に立ち返れば、この正義は必ず法の制定と施行を想定したものであり、それによってある共同体がまとめられる、又それ自体が共同体を結ぶものとなる(ユダヤ教における十戒、そしてそれを守ることにより、共同体を作る姿勢のような感じ)こともたくさんあるのである。その集団の人々は目に見えるような枠組みで囲われているわけではなく、その集団に属する人々が共有する信条や概念によって枠組みの中に属している。「概念国家」という言葉はある共同体が土地や人種といった生得的な枠組みによって作られるのではなく、ある概念を共有した人々によって精神的に作用する共同体として存在することを意味する。正義や道徳の制定においてこの想定がなされることを考えると、やはりそこには人間の恣意、そしてあわよくば意図や意志が含有されるのではないだろうか。道徳は人々の思考の在り方行動の在り方のそれぞれを価値づけて自然と思わせるものにその利用されやすさがあり、悲しくも道徳が数多もの先人たちに人為的規則(大道廃れて仁義があったなら、その大道はまさに「道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず」なのだ)と呼ばれる所以だ。
 こうして考えると、人間の共同体の発生とともに法ができ、それを目的とした道徳や正義観でさえも、こうしてできていったのではないだろうか。あまりにも人為的ではあるが。

 2節 形而上学者について

 形而上学、概念として存在し実態を持たないものについて把握し、その本質に迫ろうとする姿勢について、僕は東洋人として、少しばかり批判的にならざるを得ない。そしてこの態度が奇遇にもニーチェとの接点であり、今もドイツ哲学の側からこの考える葦の世界観を支えている。
 先ほど、東洋人といったが、インド哲学などに見られる世界観は形而上学について(哲学といったらこちら側がちょっと不利になそうなので宗教も含めることとする。これには全く不可分はない。なぜなら、キリスト教以降の西洋哲学を考慮に入れることができるからである。東洋は哲学の影響に基づいたものの考え方が一般化されるのが、少し早かっただけだ。)、西洋のそれとは全く逆のベクトルに働く思いの寄せ方をしている。
 西洋の哲学や思想が世界の把握の仕方について、自己からその外にある現象や物体、外交的な広がり方をするような思いの寄せ方をするのに対し、インド哲学、もとすればウパニシャッド哲学に基づいて考えれば、物事の本質、しいては自己の本質について思考するものが多かったといえる。時代は大いに飛躍するが、キリスト教がその物体や事象が「どのように作られて」「どのように進んでいくべきか」を考える、つまり、直線的運命と俗に呼ばれる運命観の中でどのように進んでいけばキリストによって「救われるか」などを思考する傾向、また、キリスト的でないにしろそんな類のものが多かったのではないだろうか。それに対し、東洋の哲学、輪廻転生の価値観や円形の運命観(ニーチェを考える上ではこちらを重視するべきなのだろう、ということに気づいてはいるだろうが)の中ではその運命の中で事象や自己が「どうあるべきか」について思慮するものであるといえる。
 幾何的な話になるが、円形というものはその円の大きさが違うことを考えなければすべて同じ形であり、その進む向き(ベクトル)を一定に定めることはできないが、直線というものはその向きが決まっており、運命観の在り方については、その向きを定めるのが道徳、そして宗教的な世界にゆだねられたのではないだろうか。
 ここからはキリスト教以前の西洋の源流思想に注目することで西洋的な倫理観や道徳がどのように本質を把握しようとしたかについて考えたい。なぜなら、これらの哲学者が、ニーチェが「以前の哲学者」といって否定したものであるからである。
 良いもの・徳ということについて、それに基づいて人々がどのように行動するべきか模索した哲学者たち、ソークラテースはニーチェの「善悪の彼岸」の中で「古代の最も立派な奴、プラトーンに、どこからあんな病気が取りついたのか。やはりあの悪いソークラテースが彼を堕落させたのか。ソークラテースはやはり青年を堕落に導いたのではあるまいか。だから自ら毒杯を飲まされるに値したのではないだろうか。」と述べている。プラトーンのイデア論がどのような意味を持つかについてはあとで説明をするが、そのもととなるソークラテースがどのような意味を持ったかについて先に述べたい。
 ソークラテースといえば、知っての通り、「善く生きる」を実践した、又理想とした人として教科書の最初のほうにも載っているし、広く知られている。故に多くの哲学者が彼の考えを汲んで思考を行い、哲学としての流れもそれに多かれ少なかれ影響されているものであるといっても間違っているまい。
 魂に配慮を、普遍的・客観的な真理を知ろうとする姿勢。後者についてはあまたの哲学者がこれから、そしてそれまで模索してきたものではあるのだが、前者について僕たちは宗教的な定義に感じざるを得ない。魂というものが、人間としての生き方、廣く自己という意味合いを含んでいたとしても、その方法の目的としてのソークラテースの考えた形跡、つまるところソークラテースの恣意性がちらつくからではないだろうか。問答法は問答の進め方次第で真理をいろいろな方向にもっていくことができる。誰もその問答の先にあるそれが真理であるとは決めていないし、人間の思考の範囲内で問答が行われる(当たり前だ)ので、無知の知といえども結局そこから導き出される心理は「無知な知」の範囲を脱しない。ソークラテースは問答しながらその先にどんな心理を見せようとしたか、そんな恣意が、故意が付きまとう。
 敢えて彼を評価する部分を見つけるなら例えば彼が人間とはどう生きていくべきかを見つめた具体的筆頭である点であろうか。この姿勢や態度がのちにキリスト教に引き継がれることを考慮に入れれば十分な影響である。しかし、これも実は「どう生きるか」という漠然な間違いを残してそれを正当化してしまった、という過ちとなってしまった。ストア派の「自然にしたがって生きる」とは、このような点でアタラクシアとアパテイアを、その定義において根本的に間違えさせたものであるといえる(これも、ニーチェに言わせると「自然に」ということの不自然さが皮肉にも浮き彫りになっていることが言及されることとなる)。
 もっとも皮肉なことは、彼は、人は自分が何かを知っていると思っているが、問いかけられて答えられなかった時、実は知っているのではなくて思い込みを持っていたのだとし、これをドグサと呼んだが、この偏見こそ問答なしでドグサであると、そんな矛盾をはらんでいると、自ら発信しているようなことであろうか、何かを定義する際に何かを否定もしくは無視する際の形而上学が孕みがちな矛盾であるといえよう。その、代表的な例が彼だとも。ニーチェの近代への問いかけはこのような前提の瓦解をなじるところから始まっているような気さえする。
 そのような見方でプラトーンを見てみると非常に面白いことに気づくかもしれない。
 プラトーンは知っての通り、ソークラテースの弟子、二元論的世界観によってすべての世界を定義し、この現実世界と概念的世界、という考え方はのちにキリスト教において後者の世界に父を住まわせることになるのだが、この時プラトーンは後者の世界をイデア界と名付け、真理の世界とした(真理の不自然さは先ほど述べた通り)。現実にある一つ一つの存在の原型として、理性(知性)によって把握することができるイデアが存在する、ということ自体は概念という言いかえがのちにできるようになるのだが、それぞれについて普遍的な本質を考えた、ということとなる。問題は多分そのあとからなのだ。
 人間はもともと魂が地上に誕生する以前にイデア界におり、現象界でいったんすべてのイデアの記憶を忘れたうえで後々思い出す、また、善というもののその純粋な実態を求める姿勢としてのエロース。全く違和感を与えるものになっているのではないか。そもそも「善」とは、、、、?
 ここでニーチェが批判の対象にしたプラトーンやソークラテースといった今までの(近代以前の)哲学者に注目すると、どちらもよいものやこうあるべきであるという徳を示していることがわかる。尤も、国制に関して後に続くアリストテレスは王政がいいとも、貴族政もしくは民主制どれも一概にいいとはしていないのだが、徳を持った人間が政治を治め、もしくは政治を治めるものが徳を持つべきとする徳治政治を、それに似たものを肯定したことにおいては、政治を考慮に入れてそれらを制定したということは否定できないことでもある。また、アポロン神殿で「ソークラテースほどの知者はいない」という神の告げを疑い、問答法を得たソークラテースはこのために「民俗信仰的に」といわれる羽目になってしまう。徳、すなわち人がなすべき行動の規範、つまりは道徳を推したソークラテースは、その弟子たちは、(またそれに続く者たち)は大いにその道徳自体の設定者だ。つまるところ、道徳というものがある一個人の手によってできたことを鑑みると、その道徳は作った個人の頭の中の世界の話であり、それを人々に干渉させることの正当性自体は示せないということが、ニーチェが「善悪の彼岸」の中で語っている内容にある。プラトーンは現実世界で目に見えている虚構の裏側にある本質イデアを「知り」、しいてはよいこと自体の本質、善のイデアを「知る」ことが最高に喜ばしいこととした。またアリストテレスは師プラトーンのこの考えを覆して、本質はエイドスの中にあるヒューレーであるとした。
 しかしこの一連の思考の根元には至って直感的・感覚的で理にかなったものではないことが見えてくるのである。
 先ほど述べた通り、東洋人としてはインド哲学というものの無作為性、又それを目指す精神はある程度評価すべきでないだろうか。
 ゴータマ・シッダールタという人物がいる。善悪の彼岸の中で彼はショーペンハウアーと並べられており、一度は善悪の彼岸にたったことがあるとされ、道徳の呪縛に囚われなかった者、とされている。
たまに僕が「自己」というものの探求をする際に、ゴータマ・シッダッタが用いたとされる自己の客観的観測をするときがあるのだが(つまり暇なのである)、どうも「客観的観測をしている主観的自己」がちらついてどうしても完全な客観性が持てないという事態に陥る。他人に自己を客観的にとらえてもらうという方法も、ジョハリの窓のように必ず自分がとらえる自己と他人がとらえる自己の違いがあるように、又それを伝える手段が内容に対してフィルター的に働くことを考えれば、まったく有効な手段でない。これを打破し、主観性を打破し、恣意を打破しようとした哲学者がいた。ナーガールジュナである。
 現代科学において、物体の最小単位は原子とされている。もちろん、ここではそれに対して疑問を持つ手順を行うのだが、果たして原子より小さいものがあるであろうか。常に科学というものはその者が見えているものを客観的にその時点で分かっているものとして定義するものである(その定義自体は当然人間が行っているので主観である)。物体をどんどん小さくしていくという脳内シミュレーションを行うと、空(無といってもいいかもしれない)にたどり着く、としたのが先述のナーガールジュナである。この時、主観性というフィルターによって物体は成り立っており、本質は無に、そしてそれに等しいものであるのだろう、ということである。よって人間が考える概念も本質は空であり、それを知るために、、、という話になっていくのだが、それには主観性を排す必要がある。また先ほどの堂々巡りにたどり着くのか、と思いきやここからがオモシロイ。
 念仏を唱えるのだ。ただただ念仏を唱える。先ほどの空の思想を示したものを無心で唱えることで、主観性を排してその思想を体得する、ということである。これについて、方法は確かに妥当性はないが、主観性を排した場合の苦肉の策として評価すべきでないか。東洋の、東洋の思想にはこのような努力がしばしばみられる。西洋哲学と比べた時に、東洋が面白い点である。
 3節 「大衆」向きのキリスト教

 ここからはニーチェを考える際の本質に迫っていこうと思う。キリスト教というものについて、述べていきたいと思う。
 キリスト教のお話。ユダヤ教・形式主義がはびこるローマに生まれたイエスはユダヤ教の選民思想・形式主義化に疑問を持ち、メシアとしての自覚を持ち、そこから十字架を背負わされるまでの流れはあまりにも有名で、その結果現在も世界宗教としてキリスト教が存在するようになる。キリスト教の赦し、アガペーがどのような意味を持つのか?
 当たり前だがユダヤ教の成立はキリスト教と異なる。ユダヤ教はただ単に支配者層から、強者から与えられたものではなく、土地や国境を持たない弱者の「まとまり」の象徴として道徳を用いて生まれたものである。なので、このユダヤ教には自民族へヘブライ人以外に対して排他的であったが、「救われる」というという宗教システム自体が、ここにあったのである。ニーチェは善悪の彼岸の中でも「旧約聖書にはあらゆる敬意を払え!」といっているほどだ。しかし、この心理的結束は先ほど言ったように、自民族以外を排するものだったため民俗宗教に終わった。それが何を意味するか、ということは後々わかる。
 この弱者発祥の一時的ムーブメントはキリスト教という形で結果的には奇しくも強者弱者の力関係に取り込まれることになった、と考えればどうだろうか。つまり、「奴隷宗教」だったユダヤ教が「奴隷用宗教」にすり替えられたということにはなるまいか。神から与えられ、実行すべき道徳や善はいつのまにか社会的要請の中で弱者を縛るものとなったのだ。似たようなことは、商業主義が蔓延する中で非商業主義を唱えて成功しても、そのスタイルが商品化されてしまう、ということでも類がある。「弱者が、自分たちがいつか救われるとして考えること」この欲求が弱者を扇動するものとして使用されてしまった例がキリスト教だと、キリスト自体にその意思がないのだが、そうなってしまうというものであった。
 また、イエスがプラトーンやソークラテースなどと並べて考えることができるのなら、そのうえで、神や、精霊や、その他の存在において、ストーリー性が強い、という点はどうだろうか。世界の誕生や自らの起源について説明を求める際に神話がなした意味の大きさは計り知れないが、どの神話にも現実世界に戻ると、神話に基づいて権力が確立された存在がいて、結局は意図的なものであったりする。キリスト教においては、こうした定義・ストーリーが独断といってもよいのであれば、こうした独断がどのようにして設定され、型づくられたかを考えた際に「本当はある先取的な命題、ある思い付き、ある『來想』、大概は抽象化され篩にかけられた」心願によってであるとニーチェは述べ、その理屈自体は「あとから求められた理由」によって弁護されるとした。これは証明問題を証明すべき式を用いて証明してしまうようなもので、「それが正である」ということになりえない。

 2章 来たるべき未来の哲学者たち
 1節 概念という概念

 今までの哲学者と呼ばれた人たちが今まで概念というものをどのように取り扱ってきたか。物事の本質に対してどのような態度で挑んできたか、ということはニーチェが考える、来るべき未来の哲学者について考える際にも重要になると思われる。
 世界把握の方法として人々はいろいろな方法をとってきたが、キリスト教における神学、というものからすると有神論とそれを補佐する世界観の範囲からでしか物事を認識することができず、オッカムのようになってしまうことが必至で、哲学も「神学の侍女」と呼ばれるようにその世界観に強制的に合わせられてしまう結果となってしまう。世界把握における哲学の基本は解放的であることであるのに、追及が制約となり、結果的に追求を妨げる。また、「こう生きるべき」という啓示もその妨げとなってしまう。先の仏教の流れの例でいうと、ゴータマ・シッダッタは四宝印を定めて「知るべき」真理としたが、中道を定めて解脱への道しるべとしたが、それ自体が真理を追究する姿勢を害するものではないだろうか。しばしば宗教において原義の見つめなおしが起こる(宗教改革時のように原義に忠実であるべきだという見方がいつの時代にもあるにもかかわらず)のは、原義の妥当性、目的と方法の関係性が見つめなおされるからではないか。
 このような世界把握のための思考は結局失敗に終わってしまう。思考する主体性とも大いに関係があるのだが、真理の探究ということ自体が持つ意味がその過程によって阻害され、一個人の思想で終わってしまう。どうも広がりがなく、普遍性がない。しかし、実はこれでいい、というのも個人の思考においてのみ、世界観の妥当性がありうる、というのが言えるのである。未来の哲学者の登場である。
 ここでようやくかの「老カント」について考える。善悪の判断を行う理性、実践理性についてこれはある人が実践理性をもつ理性的存在者である限り、従うべき道徳的な法則があるという彼の考えは、普遍的に作用する意味として道徳を考え、つまりは道徳の個別性を否定した。ここで与えられた定言命法はまさしくそこに対する疑問を認めない姿勢ともとれ、人間が持つ道徳的能力の発見というのは確かにニーチェが述べた「≪先天的≫総合判断」は「一つの能力によって」可能であるという結論に至ったカントに対し「如何にして可能であるか」という問いの答えにはなりえない、という説明も納得ができる。このことは、善悪の彼岸の中でも、「道徳のうちには、その創設者を他人に対して弁護しようとするものがある。また、創設者を安心させ、自己満足を感じさせようとする別の道徳もある。」と述べられており、道徳というものがそれ以上の意味を持ちうることを示した。人間の認識について、世界把握について、その物自体に説明の根拠を求めるのは些か間違いではないだろうか。
 ニーチェが自らもそこにいるドイツ哲学にとても大きい意味合いを付与していることを考えれば、カントのもともとの問い「いかにして≪先天的≫総合判断は可能であるか」という問い自体が、「何故それのような判断に対する信頼が必要なのか」と、問いで返さざるを得ない。この時、我々にはこの人間の≪先天的≫総合判断を立てることができず、立てようとするならば、それは全てうそになってしまう、ということから、今までの哲学者の試みがただ単に仮定の中で行われ、結論として空虚なものを置いてしまうものだったということ、これこそが今までの哲学者と呼ばれた者たちの欠点だったのではないだろうか。

 2節 未来の哲学者とは

 では、未来の哲学者とはどのような志向の哲学者なのであろうか。善悪の彼岸にそのヒントが乗っている。彼らは、その中で「これらの来るべき哲学者たちは『真理』の新しい友であるか。多分にそうであろう。これまですべての哲学者は真理を愛したからだ。しかし彼らが決して独断化でないであろうことは確かである。(中略)『私の判断は私の判断である。他人はそれをたやすく自分のものにする権利がない』、とおそらくそうした未来の哲学者は言うであろう。」とされている。つまるところ、今までの哲学者の「求めていたもの」を同じように求めるのだけれど、その結果として得た判断や真理の形を普遍化しない、他人に適用しない、自らの身に作用するものとして扱う、ということである。なので、これは必ず「宗教」にはなりえない。新しい哲学者が求める真理の形とは、自己完結的な形なのであって、他人に伝播されるべきでない。なぜなら、独断家というものは自分の独断を他人に押し付けることによってのみ独断家になることができるからである。「『多数者と一致したいという悪趣味は捨てられなければならない。〈よい〉ということも、隣人がそれを口にするときには、もはや〈よい〉ではない。ここで、〈共有の良いもの〔共有財〕〉などというものがどうしてあり得ようか!この言葉は自己矛盾である。共有でありうるものは、ほとんど価値のないものばかりである。』」という言葉に表れているように、未来の哲学者も、決して一切の矛盾を抱えていないわけではなく、普遍化への否定が普遍化されることを恐れながら真理を追究するのである。「善悪の彼岸」にも「こういうことによって、わたしは、彼らの伝令者であり、先駆者であるわれわれ、自由な精神!であるわれわれに対してと殆ど同じく、彼ら自身に対しても 負い目を感じるのだ。」と、あるように、これらは「自由な精神」であるけれど、これはほかに定義された「自由」ではなくて、共有するものに囚われずに思考し活動する、という点で自由なのであって、このことが彼らの真理を自由にさせるのだ。


 3章 近代の克服
 1節 形而上学の変容

ニーチェの思想の誕生が多くの思想家に影響を与え、それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。今までは「自己」というものが軽視されがちだったのに対し、自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間はカントやその他の哲学者が述べるような理性的生物でなく、キリスト教的弱者にあっては恨みという負の感情
ルサンチマン
によって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩の原因であり、それを超越した人間が強者であるとした。つまるところ、「自身が弱者として感情を持たなければ弱者ではない」ということである。そして、この認識こそが今まであった世界把握の哲学を、解体するきっかけとなった。近代以前の哲学の克服である。今自分にどんな力、権力、意志が働いており、自らの思考・行動・慣習・宗教はそれに支配されてはないか。そのようなものに対して弱者としてではなく、自ら生きる存在、それが強者である。自分がどのような生き方を選択し、主体性を回復すること、あくまで哲学は「自分」に根差されるものでなければならないのだ。
つまるところ、ニーチェは、人間性の否定、疎外をもたらすものと戦い、ヒューマニズムという概念に強さを与えることによって無条件に与えられた道徳を妄信する、そんな「畜群」を解き放った。全ての主義に優劣はない。そして民主主義におけるように「水平的」であることが自由ではない。善とは汎用ではない。このことに気づかせてくれるものではないか。
この上で、形而上学がどのような意味を持つか。今までの哲学者は本質的に何を求めていたのか。善であろうとすることが、(プラトーンに言わせてみればエロースが)自らが善であることにより、自らを以って「救済される(正当化される)」ことなのか。ならばそれはニーチェの言う「神のために人間を愛す」ことになるのか。こうした点でニヒリズムが何に負いているか。ニヒリズムは決してこれ自体の崩壊にはならない。ニヒリズムが道徳とはなりえないことを前提としても、切り開く自らの姿勢が理解されないこと、「孤独」という要素がついには「自らのニヒリズム」が、嫌悪すべき対象としてのニヒリズムに堕ちてしまう可能性を大いにはらんでしまっている、ということにニーチェは気づいてしまったのかもしれない。
これをもって、最初に呈した問いに答えるのならば、形而上学とはあくまで一個人の内心に作用するための考え方のことであって、またその方法などといったものと考えられるようになっただろう。今までの形而上学者が躍起になって考えていた「人間すべてにおいて守らなければいけない道徳」や「こうあらねばならない『自然体』」、またそれに類するものはそれを探求しようとする姿勢自体に大きな「先入見」があったのであった。ニーチェが嘲笑する人々の中で叫んだ神の死、「俺がお前たちに言ってやる!俺たちが神を殺したのだ!お前たちと俺がだ!俺たちはみな神の殺害者なのだ!だが、どうしてこんなことをやったのか?俺たちは無限の虚無の中を彷徨するように、さ迷ってゆくのではないか?」などといった言葉はもちろん、その後に、「じゃあいったい僕らはどうするのだ」という投げかけが想定されているといって過言でない。神の死という考え方自体とてもニヒルな現実であって、まずはこれを静止するように人々に衝撃を与え、この事実に躓くのではなくて、逆にこの運命を自ら背負うことによってより高貴な人生を切り開こうという、決意の表明がなされていたのだ。

2節 優生思想と僕
「子を産むことが一つの犯罪となりかねない場合がある。強度の慢性疾患や精神薄弱症にかかっている者の場合である。…社会は、生の受託者として、生自身に対して生のあらゆる失敗の責任を負うべきであり、 またそれを贖うべきである、したがってそれを防止すべきである。しかもその上、血統、地位、教育程度を顧慮することなく、最も冷酷な強制処置、自由の剥奪、 事情によっては去勢をも用意しておくことが許されている。」という一節がニーチェの「力への意志」の一説にある。これは俗にいう優生思想で、ニーチェとすれば、自らの精神疾患を顧みた自虐的な言葉であろうが、ニーチェの思想を読み進める中でこの言葉に畏怖を覚えた。
完全にこれは自己矛盾なのである。自己矛盾だが、未来の哲学者は自己矛盾を抱えながらも良しとはしない。抱える姿を良しともしない。優生思想にのっとって障害を持ったもの、その他の民族を断つこと。これこそが強者肯定の姿であって極論なのではないか?
現代では(同じ努力量でも才能・基盤・環境の差で社会的地位に差が出ているのにもかかわらず)結果論のみで人格判断が行われるので、努力や意志がドラマの産物になってしまった。つまり、人間性の喪失が行われていったということではないだろうか。
結果として「良い地位」に「良い人材」を置き、「良い結果」を出すためには努力量などという人間的な部分よりも才能・素材的な面を重視せざるを得なくなった。これを優生思想と呼ばずして何を言うのだろうか。
もちろん、メインに対抗してマイナーなものが抗議を発する(ユダヤ教の例のように)流れはあり、時にはマイナーがメインを妥当し、メインになったとしても、「メインの打倒」を掲げ、自らがメインになってしまう、という矛盾の上では、「メイン」を良しとし、道徳を作り、自らがそれでよいとし、マイナーはマイナーの立場であることで良いとする。この種のメインを「自己肯定的メイン」と呼ぶとする。もちろん、ニーチェがあげた今までの哲学者の類もこれに該当することに気づかなくてはならない。
このような優生思想は社会、共同体の流れを完全に止める。下位が下位であるということは自然なことに思える、というのは思考の固定化で、「奴隷用宗教」の例のようにその地位にいることに納得する強者からの力なのだ。下位が上位に「マイナーチェンジ」することで、双方に有効な結果をもたらすことになる。現代の例でいうと、社会の流れに人間的な要素(結果論において無視されてきたもの)が持ち込まれることによって、機械的な流れによって生まれたエラーに柔軟に対応できるということだ。
もし、キリスト教カトリック教会を宗教という人間的な主体がメイン(自己肯定)となったとすると、ある程度機械的(科学的事実としての)主張は下位に封じ込められ、実はこれに対するマイナーチェンジはルターによる宗教改革により、自己崩壊という形で行われたのではないか。この場合自己肯定メインとしての教会
カトリック
は度を過ぎた自己肯定、人間性偏重を行ってしまったのではないだろうか。今までの哲学者たちに定義される人間の理性はあまりにも人間性に依るので、暴走してしまうことがある。
現代では先ほど言った通り、機械・効率・結果を求めるのなら、このような自己崩壊が起こるのではないか、とにらんでいる。近代以前の哲学(道徳)にとってそれがニーチェの言うもの、キリスト教社会
カトリック
に対するそれが宗教改革、現代の結果主義に対するそれは、、、?
機械的な主義には必ずエラーが生じるとされており、今までの流れの通り、それは何からもたらされるかというと、人間性の排除によって人間が不要になることから生じるのだろうが、その場合誰が担うのか。
より良い結果をもたらすもの、より良い人種、より良い性質の人間。逆にこれを持たないものを排していく流れが優生思想において、現代と似ている点なのである。この流れに対抗することが「力への意志」なのである、と再定義するなら、そもそも「優生思想」の「優」とは何を意味するか、考えること。この点においてニーチェの優生思想は自己矛盾を起こしてしまったのではないか。
力への意志を示し、超人として強者としてあることは決して他者の否定になりえない。未来の哲学者は普遍性を求めないからだ。


4章 考察
1章 インド哲学とショーペンハウアー

インド哲学をはじめとする東洋哲学や、ショーペンハウアーがニーチェに与えた影響について述べる論文はあまりにもたくさんあるので、今回はそれを前提に、本論ではそれらがどのような意味を持ったか、ニーチェを通してどこに位置づけられたか、ということを考える材料にしていきたい。
インド哲学やウパニシャッド哲学がショーペンハウアーのどのような部分に反映され(これ自体は調べていただくとわかると思う)、ショーペンハウアーが自身の結論に至ったいきさつについて、ニーチェは「本当に一度はアジア的な、また超アジア的な眼でもってすべてのありうるべき考えのうちでもっとも世界否定的なものを見入り、また見下したことのあるもの〈もはや仏陀やショーペンハウアーのように、道徳の呪縛や妄念にとらわれてではなく、善悪の彼岸においてそうしたことのある者、〉そのような者は恐らくまさにそのことによって、彼がもともとそれを欲しなくとも、逆の理想に対する眼を開いたことであろう」という、とても興味深い文を残している。アジア的な眼でもってありうる考えのうちで最も世界否定的なものを見入る、とはどういうことか。深く考えれば(跳躍的な考えではあるが)、もともと提示されていた、「東洋と西洋の世界把握の仕方の違い」というものに結びついているではないか。振り返ると、西洋は自己より外の対象に対して働きかけるような思考の働かせ方で持って、東洋は自己の中に対して内在的に、または概念的に働きかける方向の思考の働かせ方で以って世界を捉えようとする、ということに関係しているかもしれない、ということだ。では、次に、「逆の理想に対する眼」とはどういうことを指しているのだろうか。このときの逆というのは、「ありうるべき考えのうちでもっとも世界否定的なもの」というものの逆であろうか。この文の続きを示すと、「すなわち、最も不遜な、最も生気に満ちた、かつ最も世界肯定的な人間に対する目をだ。」となっている。今までの哲学者のことだろうか。そう考えると、仏陀も今までのウパニシャッド哲学においての諸哲学者たちの考え方にさらされてきただろうし、そうした人間は「不遜である」ということを考えると、納得もできる。もちろんこの点において、ショーペンハウアーもこの過程を十分通ったといえる。ショーペンハウアーは意思という、「絶対」としての概念によって物事を判断し、「人としてどう生きるべきか」を考え抜いたあげく、インド哲学や仏教と同じ結論(「意志の寂滅」)ということにたどりついた。しかしこれについてニーチェはどうだろうか。仏陀(やそれに類する出発点、キリスト教においてのイエス)については善悪の彼岸に立ったものの、それに続く、「仏教」という流れに関して、そのような有能な者たちによって以前に決められた善悪観にしたがって思考を行う「畜群」と同じようにしか見ていないので、ショーペンハウアーの結論がそこに着地したことに感じて残念そうな節が見られる(このことはこの論自体の参考書、善悪の彼岸の中にもちゃんと載っているのだ)。しかし、僕としてはそんなショーペンハウアーも自ら仏陀やキリストと同じように今まで出会った概念を一掃した上でそのような結論に達しているので「偶然にも同じことを考えていた」というような見方でいいのではないかと思う。ニーチェがインド哲学や仏陀について深く語るよりもショーペンハウアーについてのほうがより語っていた、というのはドイツ哲学において最近の哲学者であった、ということのほかにショーペンハウアーとインド哲学、そしてその関係の結果について、あまり深く取り上げないほうがいいと感じたからではないだろうか。

2節 ニヒリズム

ここでは今までの部分を踏まえたうえで、「ニーチェの述べるとおり、自分の観念から一切の(力が感じられる)道徳を排したとき、人間はどうなってしまうのか」ということについて考えたい。これは最初に述べた自然状態的な発想であって、その恣意的である所以の政治的形態の想定をしない。なのでこの考え自体は至極権力主体としての「力」というものを排し、それ自体がどうなっているかについて考えている考察だといえる。ニーチェは新しい哲学者の形を、一切の権力者(や、それに類するもの)などの意思、力、思惑がのせられた道徳を一回すべて排し、そこにある一面の無の中で哲学を行うもの、とし、ここで出会う無との向き合い方を、仏教やインド哲学その他に見られる今までの「無に収束し、安住する」態度としてのニヒリズムと分けておくため、新しく切り開いていくためのこのニヒリズムを、「能動的ニヒリズム」とよんだ。この姿は、生まれてからどんな道徳の影響も受けず、自分の好きなように遊戯する(創作活動を行う)「子供」のようであったため、ニーチェは能動的ニヒリズムを行う未来の哲学者の姿を、子供にたとえたのであった。これをもって最初に疑問に持ったことを言い換えると「子供だけの世界になったとき、人間はどうなってしまうのか」、ということになる。この一瞬ユニークに聞こえる質問は、人々はばらばらに行動しあって集団や社会としての体をなさなくなる、という一つ目の答えと、人間はそれでもまとまりを保って、集団的に生活ができる(また、そういうようになることが可能である)、という二つ目の答えのどちらかによって満たされる。
この場で、僕の考えを言うならば後者が未来の哲学者たちが握っている「未来」だと思う。能動的ニヒリズムを身につけた哲学者たちは、何者にもとらわれずに哲学を行うため、一切の概念を破壊し、その中でいろいろなことを行っていくのだが、そこにはいくつかの疑問が起こる。能動的ニヒリズムの姿勢で以って接していくものの選び方はどうなるのか、つまり主体性はどうなるのか、そしてその結果得た哲学はどうなっていくのか、など。ここに僕がひとつの確信による答えを与えるならば、未来の哲学者において、哲学自体やその姿勢が自身の性格になる、ということだ。
具体的にいうと、哲学は内在的なものとなり、それが一個人の性格として行動や物事への接し方に浮き出てくる、ということだ。ここでいう性格というものは、ある人物が主体的に行動する一種の個人哲学的な考え方であり、規範である。権力者などの力に解放される姿勢について考えることをしなければ、今までの自然状態と変わらない。これからの論において、このことは「子供においての」自然状態といえる。このとき、人間をつなぐものの役割を果たすのは道徳というより、性格だ。個人的に他人や集団(集団が生まれる過程については後で述べよう)にかかわることとなる。これ自体は最初の問いの答えとなりえないが、かの御三方が考えるのとはまた違った自然状態が生まれることが期待できる予兆といえる。
 このとき、偶然にも集団のようなものができるかもしれない(そして、これは集団ではない)。それは力をつけた者(または説得力が強いソフィスト的人間)の扇動によってではない。それはまさしく、ショーペンハウアーと仏陀のように最初は能動的ニヒリズムを出発点としているが、偶然にも同じ哲学を(内在的にという場合もあることに注意。これがゆえに蓄積されていった内在化された哲学がそれによって共通項を持つ多くの者との併走をうむ)持ち合わせていたために並んでたつことがあった場合である。内在化された哲学は性格となり、性格が人々を「擬似集団化」するのだ。だから、この疑似集団は、まったく「力」というものを持たない。というのも、この疑似集団の一人ひとりにおいて、全体がどうあってどのような利益を全体にもたらすかなどということは大して重要なことではないからである。

 3節 孤独論

 ここで、ニーチェがこのような卓越した発想をした根源を、彼が本当の意味で孤独であったから、という点に絞って考えてみたい。これは同種の哲学者(ニーチェにとっての新しい哲学者にはなれないだろうが)、キケルゴールが「単独者」とよんだように、単独である実在になれたからこそではないか、ということである。まず、そもそも、真理や倫理という事柄について、深く向き合い、考察していこうとする際に、人々はここでもある種のニヒリズムを必要とすることになるのである。自らが思考する際にそこには他人や他概念が介入できる余地はない。他のものを「無視せざるを得ない」というのだろうか。これが主体的に考えたりするときに起こるニヒリズムであり、刹那的なものではあるが、一種の孤独である、と考えるのであるならば、この刹那的な孤独に対して、考え方自体においてニーチェが孤独であったとする点はまた別の点、孤独と一般に我々が耳にしたときに感じる、不快や切なさを伴う、あの状態について考える。
 キリスト教社会やほかのコミュニティに我々が身を置く際には、ソークラテースが他者に哲学たるものを与えたように、大衆を水平化しようとせん万人通用の哲学が、個人としての哲学に優越するので、ここで個人の哲学はそれに紛れあって区別がつかなくなるようになる。
 個人としての哲学は実はとてもその実態をひとえに言い表したり、そういったことをするのが難しいことなのだ(そういう定義のものであるから、ということに所以がある。個人としての哲学━━━それは、
 (∃x){Truth(x) ⊃individual(x)}のようにあらわせるものでなく、どちらかというと、この形を押し付けるならやはり、かの有名な
(∃x){God(x) ⊃Almighty(x)}といったような形で、個人レベルのものを語るときに、このようなある事象の普遍性を表すような努力は全く無意味であるかもしれない。
改めて、能動的ニヒリズムも、孤独から生まれるものである。集団の中で思考を続けていても、考えるもの自体の、自己の主体性(パーソナリズム的な)が失われてしまいがちになるし、その中でもがいたりその現状事態に気が付くことができた先人の何人かを除いて、自己の良心に従って、そうなってしまった。
とはいえ、だ。何にも影響されていない「誰から見ても全く新しい真理」を見出そうとするのは、ただの自己顕示欲であって、本当に真理自体を求める姿ではないが、自分の中にある他の要因に影響されて導いた真理とするものや事実は実は自らの「パーソナリズム(個人として、独立した思考主体の自分)から純粋に抽出されたものでないため、心のどこかで、自らがそれに居ついていない(傲慢だ、と今までの形而上学者が言うかもしれないが、彼らの言うような、本当は納得ができないような「徳」としてそれをすべきなどといった真理に盲信してついていくことは個人レベルとして何回も言うようにただのお門違いなのである)。
水平化された社会や集団の中での思考の中で、人が一番個人的な真理に近づくとき、それはそれぞれの行動基盤において一人の人としてその真理に向き合う。
こういったことを踏まえて、能動的ニヒリズムとしての孤独を考えていきたいと思う。孤独であるということと、「能動的ニヒリズム」的に虚無であるということとの二つには、綿密なつながりがあり、ここには考察の余地がある。まず、消極的ニヒリズムの反省からニヒリズム自体に三つの特性があるということがわかる。
一つは、他を(自を)すべて消し去ってしまうような虚無で、この虚無においては、それをとらえるための意識さえもその存在を認めない消去型ニヒリズムである。ここにおいては、誰もその概念を実感できないし、それに対する理解は困難を極める。
二つ目は、確かに、自己以外の周りには何もない虚無なのだが、自らの存在のみは「われ思うゆえにわれあり」というような弁明によって立証されるものである。これは、豪理論的な立場に立った時、存在が確実に立証できないものを認めないようにして、自己以外を虚無にさらすような類のものである。
最後は、無分別智によって生じる、全体主義のニヒリズムである。これは、自己も含めすべてのものの存在をその空間に同化させ、そこにいるという存在を「認知できない」ようになることである。この仏教的な目線はそれぞれのものの個別性を認めないので、その範囲において普遍的に作用するものなどを基本として、存在はあるのに認知できないからニヒリズムなのである。余談だが、日本はこの傾向が非常に強いのではないだろうか。このニヒリズムはかかる三つの中で最も理解に容易で個別性を認めない点でいろいろな思想に応用が可能であった。
この三つの中で一つ目は不安を、三つ目に移行にするにつれて、安心を与える。しかし、前者のそれは、新しい世界への駆り立てや衝動でもある。その不安が、自分以外(自分さえも)何もないことに対する寂しさではなく、それを覆う大きな虚無への畏怖であるなら、その人は立派に「単独者」としてあることができる。
 こうやって集団を否定する際に一番意識しておかなければいけないことは、あくまでAlternativeの立場に立つのであって、サルチルマンの立場であってはならないということだ。孤独でいるのも、他を意識した孤独では意味がないのだ。人は真に孤独でいなければ、ここでいう能動的ニヒリズムを(その原義にしたがって無垢なように)行うことはできないのだ。つまり、相対的に孤独であるのではなく、絶対的に孤独であるということ。
 今までの哲学者はこの点において、漠然とした「人々」を相手取り、そこから自分をいったん切り離すことによって、「相対的」に独立して様々な道徳を定めていったのではないだろうか。


 5章 結論~ヒューマニズムの意味~

 この4章2節を読んだ後で僕たちはここでひとつの疑問を持たねばならない。「なぜ、能動的ニヒリズムがあるのに、誰かと併走しているということに安住することがありえるのか。そもそも、なぜ能動的ニヒリズムに安住することがあるのか」と。いえば、僕たちはこの能動的ニヒリズムに妄信的に、受動的であってはいけないのだ。
 私は、「東洋人としての」立場を示したが、能動的に「よい」と思った思想を、このニヒリズム「とともに」もちあわせることによって、力への意思を持った、「主体的な力」となることができる。なるほど、改めて考えると内在化され付与された概念の選択の仕方は、「その人自体の性質」に依る。というのも、能動的ニヒリズムを行っていくのはいいのだが、それを持って直面するものの選択は、本能的にも意識的にもその人個人の特徴である、ということなのだ。この根源を、ニーチェは、この根源をニーチェはリビドーとしたが、僕はこれを実体験としたい。人生が行ってきた実体験は大いに思考を左右する。カントは、存在は認識に左右されるとしたが、決して瞬間の「知覚」は思考に影響されない。しかし、知覚は思考に影響する!
 例えば、ある物体を知覚するとしよう。この画像は(視覚障害を除いて!これが性質というものの醍醐味だ)万人に等しく映り、人々はこれを思考する。そのとき、この思考は今までの実体験に左右される。「殴られた」という事実に対して、認識が起こり、この時実はすでに思考が始まっている。その後、キリスト教や虐待児、その他では思考に違いが出るのだ。たとえば、キリスト教徒の場合であると、「右ほほを殴られたのであれば左ほほを」などとなるであろうということだ。
 つまり、経験とは自分の体験であり、力への意思は、ヒューマニズムは、ここから始まる。
 ニーチェは超人の姿を子供にたとえたが、皮肉にも、自分の主体性は、子供のときの体験(いまだ思考形態が確立される以前の)にかなり影響されやすい。そう考えると、青年期やアイデンティティを考えることは、主体性に哲学を内在化していき、性格のおおむねの方向性の決定時期を考えるという点で有効だ。
先ほどいったように偶然にも人々の意思の方向が同じであること。この点である集団は「力への意思」になりえるのだ!こうしたことを行うには、僕は「二人の自己」というものが必要なのではないかと思う。一人は、内在化された、「自分の哲学」を備えた、そんな自己。もう一人は、能動的ニヒリズムとしての自己。どちらの思考も必要とする「とらわれながらも開放的な考え」が必要とされるのではないか。人々は、批判と肯定を同時に行うのだ。
なので、いろいろな哲学を内在化していって、性格はどんどん拡大していき、いろいろな人と併走していく。この時人々はそれぞれを意識することなく、束縛されることもない。これは孤独であって、単独者の生き方であるが、集団ではない。そうなることで、自分の中において、能動的ニヒリズムとしての自分が、「力への意思」であることができるのであろうし、そのことが自分の中にある「力」の妥当性を自分によって判断することができるからだ。それを僕は目指すといえばそうなるのであるし、これこそがヒューマニズムかもしれない。

出典:
1).Friedrich Nietzsche著 木場深定訳、「善悪の彼岸」、 日本、岩波文庫、1970年4月16日第一刷発行
2)工藤綏夫著、「ニーチェ」、日本、清水書院、1967年12月5日第一刷発行

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?