「つもり違い十ヶ条」
高いつもりで低い教養
低いつもりで高い気位
深いつもりで浅い知識
浅いつもりで深い欲望
厚いつもりで薄い人情
薄いつもりで厚い面皮
強いつもりで弱い根性
弱いつもりで強い自我
多いつもりで少ない分別
少ないつもりで多い無駄
いやはや、一つ一つグサリと胸に刺さります。自分はこんな”つもり”になっていなかったか。自分のしてきたことはこれでよかったのか。とんだ勘違いをして、恥ずかしいことになってしまっているのでは、と。
この言葉の出どころは諸説あります。どこかの山寺で生まれたとか、福沢諭吉の言葉だとか、長野県の善光寺のご住職が書かれたなど。確かに自分を律するために時々読み返したい言葉ですが、私なりに解釈してみたいと思います。
「高い、低い」「強い、弱い」「多い、少ない」など、何かと何かを比較する言葉で構成されています。つまり、自分と誰かを比べているのです。私たちは、常に誰かと比較しながら暮らす癖がありますよね。
比べること自体は悪いことではありません。自分を高めるきっかけになることもあるし、子供は他人と比較することによって成長していきます。ただし、それに執着することは、自分を苦しめることになってしまいます。
比較の対象は、身近な狭い範囲の限られた人たちです。そこから一歩外へ出ると、無限に比較対象が広がってしまいます。つまりは、比べること自体が無意味であり、今まで思い込んでいた自分像は幻想でしかないのです。
また、「深い欲望」や「厚い面皮」なども持っていて良い、悪い、の比較などではなく、捨てられるものでもありません。全て持ち合わせた上で、相互作用していきます。あるままにそれを認め、心の中でバランスを取っていくのです。
仏教の教えに通ずる考え方です。それを時々思い出すためにも、とても良くできた”言葉遊び”だな、と思います。皆さんにはどの部分が一番よく響きましたか?
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