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日本式演技の相対的解釈「K-ACTING」

日本俳優は自分の仕事に「具体性」を持つべきだ。 そのためには、自分の中にシステムを確立することが必要である。 故に、韓国式演技を通して、日本式演技を相対的解釈等を用いれば、見出すことができる。 そう信じている。

ー具体的と抽象的ー
私が何の仕事をしているのかと尋ねられ、俳優と答えると、大体返ってくる言葉は、 「すごい」「台詞を覚えるのは大変でしょう?」「事務所はどこ?」「役になり切れるの?」 「華がないとやっていけないでしょう」「売れたらサインしてね」。だ。

ここに、俳優という仕事は、一般的な仕事とは異なる、抽象的な、何か特別なものとして、日本 社会には捉えられていると感じる。
しかし、日本以外はわからないので、もしかしたらどこの国でも同じなのかも知れない。

私がチェ氏の元で、韓国式演技に触れてきた中で、韓国の演技技術は具体的であり、かつ物理学的要素を感じた。
韓国俳優は主に、ロシアに留学し、スタニスラフスキー・システムを学び、そこに韓国的解釈を入れて俳優達は仕事場に向かう。システムを現場で利用するためのシステムが韓国演技社会の中に 確立されているのではないかと私は予想している。

先ほど、俳優の仕事が日本では抽象的に捉えられていると述べたが、私もその一人だった。 俳優は芸術的で、神秘的な崇高な人間でなければならないと思っていた。 そのために私は、「感情」は俳優の仕事をする上で必要不可欠なものであると信じていた。 喜怒哀楽を舞台又はカメラの前で出さなくてはならないと。
しかしチェ氏の口からは、「感情」という言葉はあまり聞いたことがない。 発してはいたと思うが、おそらく重要な意味で言葉にしていなかったと思うので、私に残ってい ないのだと思う。
エチュードや観察などの俳優訓練を実施してきた中で、感情は役として行動した結果生まれたものであり、時として有機的な自然を役として演技する中で、自分で作り上げた感情は、とても邪魔臭くなった。
感情は天からの贈り物だとも思うようになった。 この変化は、私にとっては大きなものだった。

「シネマとは人間が感情、心理的経験を他の人間に伝えようとすること」

マーティンスコセッシ

ー俳優の仕事ー
ここで思うのは、感情をツールとして play している韓国俳優と感情をゴールとしている日本俳優や日本観客の違いだ。
作り上げていく演技と作る演技は全く違う。 歌舞伎に見られる、日本の美しい「型」は即席で作りあげるものなのか。そうは思えない。 韓国式演技は自然演技を求めるためのプラットフォームがあると思う。 そこに日本人俳優が身を置けば、日本式であり日本的な演技を見出すことができるはずだ。 我々の仕事は、役として生きる過程を観客に見せることではなかろうか。

日本俳優は自分の仕事に「具体性」を持つべきだ。 そのためには、自分の中にシステムを確立することが必要である。 故に、韓国式演技を通して、日本式演技を相対的解釈等を用いれば、見出すことができる。 そう信じている。

2023/06/08 吉川大志郎


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