朱殷の狭間 ~鶏冠新五 ~

作:ハリー


鶏冠新五


 この街で最も空に近い場所に来てからどれくらいの時が経ったのだろうか。携帯も手帳も捨てた僕は身軽だ。必要ないものはすべて捨ててきた。しがらみから解放され少しだけ心が楽になったが、そんなのは一時しのぎに過ぎなかった。僕は最期まで持ってきた愛犬の写真を見つめる。この街は夜でもまぶしい。闇夜に浮かぶ月明りに照らされた愛犬がいる場所に僕も行くんだ。夜風が僕を後押ししてくれる。少しずつ、少しずつ。永遠に思えた屋上も、見下ろせば階下にネオンが見渡せる位置まで僕は辿り着いた。立ち塞がる金網も僕にとっては道端の片隅にある石ころ同然。金網を超えれば僕は牢獄から出られて自由になれる。気持ちは脱獄囚のそれに近いものだったかもしれない。運動神経はいい方ではないが、軽く越えられてしまい少し拍子抜けだった。
金網越しでも、窓越しでもない夜空と摩天楼はまさに別世界だった。ここからなら、僕を違う世界に誘ってくれるはずだ。そこにみんないるのだろうか。

「飛びますの?」
僕の右下から声がした。そこにいたのはピンク色の洋服を着た可愛らしいチワワのぬいぐるみ。僕はこの子を見たことがある気がする。
「あぁ、飛ぶよ」
僕は迷いなく答えた。やはりここは別世界だった。来て正解だ。
「羽がないあなたが飛んだら、どうなるかわかっていますわよね?」
「……僕の羽根はなくなっちゃったからね」
飛び方を忘れた鳥のように僕は地面をはいつくばって生きてきた。だからもう一度飛ぶためにここに来た。
「飛ぶ前に、少し座って話さない?」
今度は左下から声がした。そこにいたのは首元にリボンを付けた可愛らしいキリンのぬいぐるみ。僕はこの子も見たことがある気がする。
「座って何を話すんだい?」
「今までの人生を振り返りましょうよ。あなたの話を聞かせて」

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