朱殷の狭間 ~仙寿朱莉~

作:ハリー

1

 私は今、真っ赤な空間に閉じ込められている。可笑しくて夢かと疑う風景にも見飽きた。首謀者であろう、目の前で浮かんでいるチワワの見た目をした物体に食ってかかる。
「御託はいいから、さっさとここから出しなさいよ!」
見た目はどう見てもぬいぐるみのチワワ。ご丁寧にピンクの洋服まで着ているその物体は私を見下ろしたままため息をついた。
「はぁ、聞き分けの悪いご婦人ですわね。さっきから何度も説明していますでしょ?わたくしがここに閉じ込めたわけではなく、あなた自らここに来たと」
「私はこんな場所知らないわよ!」
知らないのは本当だ。気づいたらここにいたのだから。ここに来る前の記憶が思い出せないのも、わけのわからない浮いたぬいぐるみと話しているのも、私を苛つかせた。
「とにかく!お互いに一旦落ち着きましょう。こうだ、とすぐに決めつけるのはよくありませんわ」
肩を上下させる私をぬいぐるみが咎める。頭に血が上りやすいのは私の短所だ。それは自覚している。昔からそれが引き金となりトラブルを何度も繰り返してきていた。
「……ふぅー……」
目を閉じ、呼吸を整える。セラピストに教えてもらった方法で心を、身体を落ち着かせる。
「……あなたも、落ち着いたようですわね。わたくしもボルテージが上がりすぎていたことを謝罪しますわ」
ぬいぐるみがぺこりと身体全体を使って頭を下げた。先に謝られてしまっては、こちらも矛を収めるしかない。
「私も、悪かったわ。少し頭が混乱してチワワのぬいぐるみであるあんたに辛く当たってしまった」
お互い素直に仲直りなんて今の歳になって貴重な体験をしたものだと変に関心しているとぬいぐるみがこちらにすーっと近寄ってきた。足音もなにもない不気味な移動方法だ。
「あなた、ご自分の名前は憶えていますの?」
「もちろんよ、仙寿朱莉【せんじゅしゅり】」
自分の名前まで忘れていたらと思うとぞっとした。パニックになってあのぬいぐるみを引きちぎっていたかもしれない。
「よかったですの。それではこれから、あなたのことを仙寿と呼ばせていただくわ。あと、わたくしの名前はミルキーといいますの」
チワワのぬいぐるみなどと呼ばないでくださいまし、と後付けされた。まぁ、名前があるほうがこちらも呼びやすいので特に問題はない。
「で、ミルキー。あんた何者?」
単刀直入に聞いた。どう考えても宙に浮かんでしゃべるぬいぐるみなんて非常識だ。
「わたくしは朱殷の狭間に迷い込んだ人間のサポートをする妖精ですの」

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