救いと学び

お寺で働いている。
僧侶ではない。
事務員である。

事務員だけれど、色々、本当に色々ある。(笑)


割りと大きなお寺なので、
本当に色々な人が来る。

お寺の敷地内に有名な城跡があるのでなおさらなのだろう。



慈悲とは何か?
救いとは何か?

先程まで
悪態をつき無理を言っていた人間が、
観音に手を合わせて
祈っている姿を見ていると、
考えさせられる。



慈悲とは何だろうか。
救いとは何だろう。



人から憎まれたり、
怨まれたり、
呪われてしまうくらい酷い事をする。

そんな事が『平気』な人もいる。

そんな人に悪い事が起こっても
『自業自得だな』と思う。


人から怨まれていると
だいたい、誰でもそんなものだろう。


逆に
人から感謝されていたり、
信頼されていたり、
『居てくれないと困る』なんて思われてる人に悪い事が起こったら…

思わず手を差し伸べたりしてしまうのだ。

人なんてそんなものだ。




どんなに祈ってみても
学びが必要な者には学びの機会しか訪れない。

『怨みを買うような言動に
他人がどのような反応を示すのか
よく学び知りなさい』


どんなに環境を変えてみても
同じような嫌な事が、
人を変え、場所を変えて繰り返す…

それは
『日々繰り返している自分の言動に対する
他人の反応が共通している』
という事です。


気付きと学びの機会がずっと与えられているという事です。
…捉え方によっては地獄だけどね(笑)…


学び知る機会…
これも救い。

単純に
手が差し伸べられる…
これも救い。

癒やしの機会…
これも救いだ。


『その人』によって
救いの形が違うのだろう。

全部、観音の慈悲なのだと思えるのです。





悪い事はするな
善い事をせよ

諸悪莫作
衆善奉行


当たり前の事を
当たり前に出来る
それは本当はすごい事。

3歳の子供でも知っているが
80の老人でもできぬ



救いとは
学びとは

そして慈悲とは…?


今日もまた
色々な人がやってくる。

美味しいコーヒー 
…癒やされるわ〜♡

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