4年ぶりに開催した「八王子まつり」に行って来た
今年2023年、八王子まつりが4年ぶりに開催されました。
八王子まつりは八王子市最大級のお祭りで、例年何十万人もの人が集まる壮大なイベントです。しかし2020年のコロナのパンデミックの影響で、3年間開催がされませんでした。
あれから3年、ついに祭りが再開されました。
僕たち家族は毎年この祭りに行っていたのでこのニュースには大喜び。
そして8月5日、4年ぶりに八王子まつりに行ってきました!
八王子祭りとは
八王子まつりは例年8月の第一金・土・日曜日の3日間行われる八王子を代表する祭りです。八王子市街を貫く甲州街道の一部を通行止めにして、山車や民謡踊り等を行います。
この祭りは八王子市内だけでなく都内でも有名な祭りで、以前八王子市誕生100周年には八王子にゆかりのある演歌歌手・北島三郎がゲストとして参加していました!
16時30分 「民謡流し」スタート
僕たちは夕方近づく16時に会場に着きました。八王子駅前からすでににぎわっており、交差点では警察の方々が黙々と交通整理をしていました。
安全な運営を支えて下さり、本当にありがたいことです。
メイン会場は甲州街道の数百メートル部分。3日間ここが封鎖されます。交通の大動脈が不通になるので、車の移動は困難になります。
さて16時には八王子まつりで人気のイベント、「民謡流し」が始まります。民謡流しとは、八王子の民謡に合わせて地区やその他ごとの踊り手さんたちが甲州街道をパレードのように周回する音頭ショーです。
その規模は例年圧巻で、いつのものかは忘れましたが、ある年の民謡流しの参加人数がギネス世界記録に認定されたというエピソードがあります。
16時スタートの予定だったのですが暑さの影響からか30分遅れるとの事。気温は35℃近く。16時でも暑かったので妥当な判断と言えるでしょう。しかしこの日は風が強かったため、体感温度は幸運にも高くはありませんでした。
16時30分、「太陽音頭」の曲がかかり民謡流しがスタートしました。その時不運にも会場のやや端にいたため踊り手がやって来ず、最初の数分間は誰もいない中、曲だけが流れるというシュールな状況でした(笑)。
2曲流れたあと5分間の休憩をはさみ再開。その後もそれを繰り返し、4曲のセットを2回やったあと最初の太陽音頭で〆て、民謡流しは終了しました。
見た感じ、やはり例年より参加人数が少ないように思えました。少子高齢化の影響か、またはコロナ禍・猛暑で人が集まらなかったのかもしれません。
全国のお祭りで騒がれている人不足、その現状を垣間見た気がしました。
18時頃 山車引き
八王子まつりの夜のビッグイベントといえば、山車引きです。
八王子市にはいくつもの自治体があり、各々この祭りのために山車を持っているのです。会場に現れる山車の数は19!なかなか規模の大きいものと言えるでしょう。
その壮大さもあってか、八王子まつりは昼よりも夕方・夜の方が混みます。特に今年はその差が顕著でした。真昼の暑さの中外に出たくないですからね。
18時頃、甲州街道の脇道で待機していた山車たちが動き出します。引っ張るのはそれぞれの地域の方々でしょうか。
「ソーレ」と掛け声を上げながら山車を甲州街道へ引っ張り”出し”ます。大通りも沿道も大変な人だかりです。特に屋台をやっているところの周辺は地獄です。
19台の山車が出そろい、パレードが始まります。沿道で飲み食いしながら山車を眺める人、大通りを歩いて山車を追いかける人、楽しみ方は人それぞれです。
民謡流しと同じく甲州街道を周回するように引いていくため、このように山車と山車がすれ違う場面をよく見ます。いつもは広いと感じる5、6車線の甲州街道がとても狭く感じます。
この山車引きはお祭りのクライマックスなので、熱量が先程とは全然違います。地域の方も観覧者も全力でこのお祭りを楽しんでいました。
それぞれの山車のお囃子と掛け声が交わり、これぞお祭りという雰囲気がムンムンです。
ところで、甲州街道沿いにはマンションがたくさんあり、住民の中にはベランダから祭りを高見の見物している者もいました。すごく平和そうで羨ましい限りです。
しかし現地の魅力は何といっても、山車が間近で見れることでしょう!臨場感で言えば現地に勝るものはありません(屋台も楽しめますし♪)。
桑都・八王子
さて、八王子は昔から「桑都」と呼ばれています。その理由は当時盛んだった養蚕です。その歴史がどのくらい長いのか分かりませんが、江戸時代末期の開国以降八王子が重要な役割を果たしたことは事実です。
開国後、幕府は外国と貿易を始めます。日本の主な輸出品は生糸と茶。中でも生糸は日本の主要産業でした。生糸と言えば群馬の富岡製糸場を思い浮かべるかもしれませんが、なにもそこだけで生糸を作っていたわけではありません。
ここ八王子もまた、養蚕と生糸生産に大きな貢献を果たした都市です。八王子を出発し、町田を経由して横浜へと繋がる道を今では「絹の道」なんて呼んでいますが、由来はもちろんここを使って八王子の生糸を貿易の港・横浜に運んだから。それほど八王子の生糸は重要な生産物だったのです。
このようにして、八王子は生糸産業の柱として日本経済を支えました。そんな歴史もあって、八王子は桑の都(桑は蚕の餌)、桑都と呼ばれているのです!
終わりに
広島風お好み焼きを食べながら山車を見て、20時30分ごろに祭りを後にしました。
4年ぶりの八王子まつり、楽しかったです。久しぶりの民謡流しや山車引きはとても興奮しましたし、なにより八王子まつりが無事に開催できたのがうれしかったです。
ただ、やはり例年よりも人が少ないと感じました。コロナと猛暑が重なって外出を避ける人が多くなったのでしょう。運営側も屋台側も人が少ない印象を受けたので、これからの運営が懸念されます。
来年はより多くの人が来て、祭りを盛り上げて欲しいと思います。それで八王子が活気づけば嬉しいですね!
これで2023年の八王子まつりルポを終わります。皆さんぜひ来年の八王子まつりにお越しください!!
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