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「碓氷峠鉄道文化むら」を散策

碓氷峠廃線ウォークに参加しました。集合時刻の11時より前に信越本線横川駅に到着しましたので、わずかな時間ではありましたが、「碓氷峠鉄道文化むら」の園内を散策してみました。


入村(?)

入り口に入る前に、まず目につくのがこの看板です。

これで予習をしましょう

これは鉄道車両につけられている「車両記号」の一覧です。車両は大きさや性能、用途などでそれに当てはまる記号を付与されます。

例えば、電車で「クロ」という記号があったとします。この表を見ると、その車両は先頭車でグリーン車であることが判明します。車両グレードはイロハの3段階です。あまり知られていませんが、「ロ」はその中の中くらいのクラス。つまりそれよりさらに上を行く「イ・一等車」も存在するわけです。

今現在「イ」を連結している列車は存在していませんが、いつかそんな「イ」を持つ列車が運行されることを楽しみにしています(なんぼ程になるのだろうか)。

そんなこんなで、僕らは入村(?)しました。料金は大人(中学生以上)700円、小学生400円です。

村にある列車たち

入村すると広場が見えます。碓氷峠鉄道文化むらには広場が2つあります。エントランスの広場にはそれほど列車があるわけではありませんが、かつてこの信越本線で活躍した英雄的存在の列車が出迎えてくれるのでヴォルテージは上がりまくりです。

エントランス広場

碓氷峠と言えば有名なのが「アプトの道」!

アプト(アプト式レール)とは、スイスの発明家・カール・ローマン・アプトさんが発明した、急な坂を登るために使われる特殊なレールのことです。

元々、坂道を登る方法として「ラック式」と呼ばれるレールがありました。レールの中央にラックレールをつけ、機関車の床下に取り付けたギアと嚙合わせることで坂道を登る力を増やす効果があります。これをアプトさんがラックレールを2~3枚つけることで、噛み合わせの強度を高めることに成功しました。

現在ではアプトさんの母国・スイスの登山列車はもちろん、SLで有名な大井川鐵道でも採用されている、坂登りのメジャーな手法となっています!

そんなアプトを駆使した偉大なる機関車、皆さんも見てみたいですよね?
・・・・残念!!

なにを血迷ったのか、僕はまたも大事なところを写真に収めていないという大失態を犯しました。もうこの人は何をやっているんでしょうか?やる気あるんでしょうかね(半ギレ)??

・・・まあ撮ってないものは仕方がありません。その代わり、ここからこの村にある列車たちをいくつかご紹介していこうと思います。
気を取り直していきましょう(強制)!!

①189系「あさま」

189系「あさま」

信越本線を語るうえで絶対に外してはいけない名車がいくつかありますが、この189系もその一つです。

元々は183系として製造された車両で、183系は新潟行き特急「とき」などで活躍しました。そしてそれに信越本線専用改造を施されたのがこの189系です。

ご存じの通り、横川~軽井沢は最大66.7‰の急勾配区間が数多存在する地獄の線区です。当時は181系という車両が「あさま」として活躍していましたが、181系で運転すると重量の関係で最大8両に制限されてしまうのです。

そこで輸送力を増やすため183系を改造した189系が新しい特急「あさま」として登場。電気機関車EF63との重連運転が可能なこの車両は、最大両数を12と大幅に増加することができました!

後には中央本線の特急「あずさ」「かいじ」にも使われ、山中を駆ける列車として活躍したのでした。

ちなみに、この列車は中に入ることが出来ます。車内は当時の様子がそのまま残されており、タイムスリップをしたような気分になれます♪

車内は往年のまま

普通車の座席は現在のよりもだいぶ古い、バッタン式のもの。下の写真、ひじ掛けの下にある白い四角いレバーを引くと一段階だけ倒れます。しかし同時に座面も動いてくれるので、とてもゆったりと座れます!

むしろ今のものよりも良い?


②D51 96号機

何か違和感・・・

村は縦長のつくりになっており、奥にある広場にはたくさんの鉄道車両が野外展示、悪く言えば野ざらしになっています。先程の189系もそうですが、屋根を設けて安全に管理できないものかと思ってしまいます。しかしそうすると村の特色を出しづらくなるのでしょうか、難しいところです・・・。

さて、そんな原っぱにたたずむ列車には大変貴重なものが多いです。このD51 96号機もその一つ。

しかしよく見てみますと・・・

何か変な所に気づきませんか?車体の上、煙突があるところの周りです。
そうです、カバーが妙に長いんです!!

SLの典型的な形はこう

上の写真は一般的なD51および他の蒸気機関車によくある形のD51系 498号機です。一方96号機は中央に膨らんでいるカバーと煙突が見事につながっています。同じデゴイチなのにどうしてこういった違いがあるのでしょうか?

実は初期のデゴイチはボイラー上の砂箱と煙突の間に給水加熱器をレール方向に置いていて、それらを覆うためあんなにも長いカバーがついているんです。この特徴的な姿からファンからは「ナメクジ型」と呼ばれています。

実はこれよりもカバーが奥まで伸びているものがあり、近未来感あふれる見た目となっています。そんな車両は先程のナメクジの大型版ということで「大ナメクジ型」と呼ばれていたりします。

③1等寝台車 マイネ40 11

今は無き1等寝台車

この村の車両の中で僕の激推しの車両があります。それがこの「マイネ40 11」です!先程車両記号の看板を紹介しましたが、この「イ」は1等を意味する記号です。

今現在「イ」を冠する車両は存在していません。グリーン車よりもはるかに格式高いのが1等車。どんな内装なのか、気になるところですが車内の見学は不可能でした(泣)。

そもそもこれは日本人向けに造られたものではないそうです。この車両が造られたのは昭和23年、戦後間もない頃の日本はご存じの通り敗戦国。経済的にも1等車を利用する人はいなかったことでしょう。
では誰のために???

それは当時日本を占領していたGHQのために造られたものだったのです!

1946年、進駐軍は運輸省に軍用列車向けとしてゆとりある1等寝台車の製造を依頼しました。運輸省は敗戦後の資材不足の中苦労して製造を試みました。

ところが進駐軍輸送司令部(MRS)は「やっぱ今のやつで間に合うわ」と撤回。その後も「やっぱほしい」、「やっぱいらない」を繰り返し運輸省側は大混乱。しかしちょうどこの頃から外国人観光客輸送の問題が発生したため、「将来的に必要だろう」ということでGHQと折り合いをつけて最終的に外国人観光客輸送のためにこの1等寝台車を造ることになりました。

このように、日本の歴史を垣間見れる車両が保存されているのも文化むらの魅力の一つです!

終わりに

他にも、夜行急行に使われていた「じゃない方」のブルトレ寝台車だったり、高度経済成長期にブームとなった「ジョイフルトレイン」と呼ばれる全車グリーン「お座敷」席のある車両だったり、大宮の某博物館でさえお目にかかれない貴重なコア車両がいっぱいあります。

ここで全てご紹介すると、字数的にも労力的にも限界を迎えますので今回はこのへんで終わりにしたいと思います。

碓氷峠「アプトの道」散策や、この日僕たちが参加した「信越本線廃線跡ウォーキングツアー」のついでに是非お立ち寄り下さい!!

アクセス

・JR信越本線横川駅隣接(横川駅=JR高崎駅より普通列車で約35分)
・上信越自動車道 松井田妙義インターより国道18号経由 車で約10分

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