【団長日記】ひげひげドキュメンタリー賞を受賞!
2005年12月30日にMIXIで書いた日記です
業界人が集まる交流会で「ひげひげ団」と言うサークルがあるのですが、クリスマスイブにその1年の総括を行う「第4回ひげひげ・オブ・ザ・イヤー」の授賞式がありました。
もっとも今年一年、会員数200人以上にも及ぶ「ひげひげ団」を盛り上げてくれた方々に様々な賞が贈られます。
その中で
「ひげひげドキュメンタリー賞」
「ひげひげベストプロジェクト賞」
「ひげひげベストダンサー賞」
を頂くことができました。
今回紹介するのはドキュメンタリー賞に選ばれた『団長日記』Blogの中での7月23日号「じしんのよるに」と言う題名の記事です。(一部加筆してあります)
写真は上から
そのイベントの司会のひげいとう氏、そしてドキュメンタリー賞を頂いてコメントをするボクです。
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7/23(土) じしんのよるに
今日は新宿でプロ野球ナイトのイベントだ!
団長はやる気その気気合い十分で徹夜で仕事をこなした。
夕方5時に会社を出てから家に戻って、楽天のユニホームをとってくれば6時に新宿には着けると思っていた。
「え?!まさか帰る気じゃないでしょうね」
と言うディレクターのイヤミも振り切り
「いやいや、寝てないんでそろそろ・・・」
とごまかして五反田の会社を出た・・・のだが、電車が動いていない・・・。
そういえば大きい地震があったような気がした。でもそれは自分が徹夜あけで夕方まで仕事をしたから、単なるめまいだったのだとも思った。
そう、実はホントに大きな地震だったのだ。
山手線は全線運転見合わせのため動いてはいない。タクシー乗り場もバス停もすでに人の行列だ。
「仕方ない、歩こう。目黒か恵比寿に着く頃には電車も動き出すだろう」と思ったのが甘かった。しかし歩き出した48才は止まらない。
もくもくと歩いた。
目黒を過ぎても恵比寿を過ぎても電車はいっこうに走る気配さえない。そればかりか人の行列は増える一方だ。動いていない山手線の改札にすでに150人が並んでいる。
結構足にも来ていた。それよりも渋谷-新宿間を歩いて移動しようという人が多くてかき分けるのも一苦労だ。
「わかったよ、歩くよ歩くよ」自分に言い聞かせた。持ち前の東北人の辛抱強さが彼を支えていた。
道に無造作に置いてあるチャリンコに鍵がついているか確認してしまう。「鍵がついていなかったら乗っていってもいいよね」とも思った。でも止めた。
チャリンコ屋に入って一番安い自転車の値段を見た。でも1万以上するじゃないか。
歩くしかない。そう歩くしかないんだ。
宮城県人のど根性が疲れている80㌔の体を前に押し出していく。
陽も暮れかかり、もうイベント開始時間も過ぎている。
「ちくしょ~、これじゃ富士登山より歩いてるんじゃねぇか」と心の中で呟いた。
「これなら来月の富士山イケルかな」とも思った。
沿道にあまりにも人が多いために自分を応援してくれている錯覚にも陥る。それほど徹夜明けの48才には応えていたのだ。水分補給もしたいがゴールしたときのビールを思うとどうしても自販機やコンビニへ足が向かない。
「オレは24時間テレビのマラソンランナーじゃねぇぞ。そう言えば今年は丸山弁護士だったな」と自分でも上手いことを言ったなと思い一人でちょっぴりほくそ笑んだりもした。たいして面白くも無いのだが、多分ランナーズハイが彼を襲っていたのであろう。
歩き初めてから2時間20分・・
ようやくイベント会場でもありひげひげ団のホームタウン・新宿3丁目に着いた。
シャツはもう汗でベトベトだ。本来なら楽天のユニホームで参加するはずだったのに。
しかし先に着いていた団員達が団長を暖かく迎えた。
ひげいとうが泣きながら「お疲れ様でした」と手を握った。椎名まおが楽天のユニホームでしっかりと団長を抱きしめた。
会場にいる人たちがみんな団長への惜しみない拍手を送り、しばらくは止み終わらなかった。
「どもどもども」
照れくさそうにみんなに御礼をいい、隅でちょこんと座った。それが団長の奥ゆかしいところでもある。
疲れ果てた団長にビールが渡され、乾杯のかけ声の後、その瓶を飲み干すまで団長は右手を下ろすことはなかった。ほほを一筋の涙が流れた。
疲れ果てた団長はオールスター戦が流れるTV画面に向かって小さく、ホントに小さく、かすれた声で
「ありがとう、礒部」
と、呟いた。
その後、プレゼントコーナーで団長は多分いい物が当たったのだが、ユニホームを着ていなかったのでもらうことができなかったとさ。
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