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未来に廃材をつなぐエコアート

神戸大丸に廃材で絵具をつくりエコアートを描くアーティストさんに会いに行きました。アーティストの名前は田村綾海さん。長崎出身の小柄な女性。今年、大学のゼミナールで取り組んでいる繊維から再生紙をつくるプロジェクトで立ち上げようと思っているクラウドファンディングへの協力依頼のため、神戸までいってきました。
旅が好きで、クラファンで購入したキャンピングカーで旅をし、そこで知った社会的課題を発信するための手段として課題にまつわる廃棄物から絵具をつくりアートを制作する。そんな彼女もソーシャルアントレプレナーのひとり。
僕のバイアスが入りますが、展示してあった作品を紹介させていただきます。

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有明海のヘドロ

有明海の干潟の漁師から「ヘドロ」をつかった絵が描けないかという要望で作られた作品。左右の暗い部分は酸素が全く入っていない沈殿したヘドロには生物が生息することができないため暗く描かれている。一方、中央の光が差すところには酸素が泥に含まれるため干潟となり、命が存在している。泥がヘドロ化したのは、諫早湾を水田とすべく2007年に作られた通称ギロチンとよばれる鉄の水門の影響により有明海の潮流が変化し、干潟が貧酸素状態に陥ったことに原因がある。もちろん因果関係があるかどうかの決着が出たわけではないが、必要なくなった公共事業をやり切るために多くの税金が投入され、結果、自然が破壊されているというリアル。そしてこれからの未来がどうなるのかについて危惧した一作である。

生活様式の変化、プラスチックなどの代替品製品、安価な輸入竹製品の増加などにより国内の竹林が荒れ放題である。竹林が荒れると当然生態系は崩れていく。この絵の竹林には雨が降り注ぐ。その意味は、美しい竹林とは傘をさして人が竹の間を歩ける広さ。その適切な竹と竹の間隔の間を傘をさして歩きたい。そんな彼女の思いが込められている。

長良川鵜飼の篝火に使われた松明と長良川の石や湧水

長良川の鵜飼は残したいと思う人が岐阜にいたから。そして鵜匠たちと対話した彼女は100年後も鵜飼文化を残したいと強く願う。夜の闇に明るく燃える篝火。それを水中から見上げた構図。左下の月に向かって細くつながる光の線は新しい世代(月)へと繋がれている。毎年、鵜飼の篝火を使って作品を作り続けていきたいと彼女は語る。

鹿の角・骨

鹿の獣害は社会的課題として取り上げられることが多いが彼女の視点は少し違う。人間だけが生態系から外れた生物なのだと。この絵画のそばに置かれた彼女の言葉をそのまま引用したい。
芽が出て 孵化し 生まれて
花が咲いて 成長し 成長して
種ができて 産卵し 子供を産んで
枯れて 分解され 死んで
分解され 死んで 土に帰る。
土に通る。 海に帰る。


コーヒーの麻袋

神戸での個展なので神戸らしいものを。そこで手に入れたものがコーヒーの麻袋。神戸には日本発祥といわれるものが70ほどあり、その一つが珈琲。描かれているものは土の成分で色が変わる紫陽花。海外の文化と神戸という土地のかかわりによって発展してきた町を描きたかったのだろう。

100年後を見据えて

彼女は一生懸命一枚一枚の絵への解説をしてくれました。社会的課題と言われているからといって安易に素材に手を出すのではなく、そこに関わる人たちとの対話を繰り返し、素材を考え、全てそこに関わるもので作品を作り上げていく。単純に廃材を絵具に変えているエコアートではなく、綿密なフィールドワークをもとに創りだされている。彼女と描く繊維ゴミ再生に関するアートはどんなものになるのだろう。すごく楽しみです。

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