ダサい

自分のことダサいって思うことあるね。客観的にみて自分カッコ悪いとかキモいとか思ってもうて自己嫌悪になるあれ。自分の今の現状を周りから見たらどう見えてるんやろうとか、周りからこう言われたら嫌やなとか考えてしまって、大体悪い方向にいってまう。そんな時はSHISHAMOの『OH』を思い出してみる。「ダサくって何が悪い?」ってとこ。「ダサくって何が悪い?」って言葉さえあれば自分のことダサいって思って自己嫌悪になる必要がないんよな。でもそれだけじゃ論理が飛躍しすぎている。ダサい→ダサくって何が悪い?って言い返してるだけやもんな。ダサくって何が悪い?って言う確固たる根拠を考えてみよう。ダサいって言うのは、周りと比べて人間的に低いレベルにいることを咎めている状態。それが真実であるとして、悔しいって思うよな。だって低いレベルにおることを自他ともに認めることになるんやもん。プライドが高い人間なら尚更腹が立つはず。いやプライドが高いからこそ腹が立つ。プライドが傷つけられることが最大の恐怖。ダサくなりたくないって思っているから自分がダサいって状況に目を背けたくなるし悔しい。そこですでに人間として成長願望があるということに気づく。ダサいって言う現状に気づいていて、悔しいのは、周りよりも先に自分の不甲斐なさに気づいている証拠。どうにかしてダサいから脱却したい、でも今の自分はダサい!悔しい!でも最初はみんなダサいから始まるもんじゃない?ダサいを経てイケてるになるんやと思う経験上。なんでも最初はダサい。それもしばらくずっとダサい。悔しい。ずっと悔しい。でも続けてたらいつの間にかダサくなくなるもんなんじゃないか。だからみんなダサいからは逃げられないもんなんじゃないか。周りと比べたら、ダサくない人ばっかりに思える。俺はダサいのに、なんであの人はダサくないんやろうとか思う。いつもいつも自分だけがダサい。それがダサいの本質。ダサいっていうのは必ず「自分だけが」って言う文言がつく。自分だけがダサいから、ダサいねん。ええねん。ダサいダサいダサいダサいダサい、いつの間にかイケてる、になる時がくる。ダサいを認めてダサいから逃げなかったら、イケてるになる。絶対になる。時間はかかる。でもダサいから逃げてしまったらずっとダサいままで悩み続けちゃうねん。最初はみんなダサいねんから、それ以上に自分は何ができた?無理じゃない?どう頑張ってもダサくなんねんから、ダサくていいやん。ダサくって何が悪い?

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