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「フェイクドキュメンタリーQ」好き勝手感想 - まえがき

今更感がハンパないのですが、「TXQ FICTION イシナガキクエを探しています」を見てテンションが上がったことでその本家とも言える「フェイクドキュメンタリーQ」について感想を書いてみようと思いました。そう思っていたらすぐ新作が出てきたのですが。

次の新作公開までには全エピソード分書いたるわ!という勢いで書き始めています。これどこかでテンション落ちるやつ。

という勢いでシーズン1の1作目から見直して感想を書いていたのですが……どうも私の感想は割と変わった観点になっているようなので説明が必要そう。
というわけで、こちらではまえがきとして自分のスタンスをある程度示しておこうと思います。


これは考察ではない

まず私の感想の傾向について書いておきます。
本作は作中での説明がかなり省かれていることもあり、視聴者の「考察」が盛んなシリーズになってます。で私も似たようなことをことをやっているつもりだったのですが、元々ミステリの読者であるせいかかなりそっちに寄った考え方をしているようです。
端的に言うと意外性を求めてしまっており、動画を素直に見たものとは全く異なる「真相」を考えようとしてしまう傾向があるようです。もちろんその意外な真相は、作中で得られる手掛かりをもとにしたロジックに基づいたものでなければならないのは当然です。
つまり作中の不可解な描写や微妙な表現を手掛かりに「これはまさかこういうことでは!?」とあさっての方向にロジックを展開してしまう感じですね。

というわけで、作品が本来狙っているところからはかなりズレたところに至っているかもしれないので、以降ではこれを暴走推理と呼称します。
言葉で言ってもよくわからないと思いますが、Q1の感想を見てもらえるとああこんなもんかとわかるかと思います。

妙な方向を向いているとは思うのですが、実はこうした考え方をすることで見えてくる新たなものはかなり多いのではないかとも思っています。初見では「?」と思っていたところにもかなり意外な見え方をしてきて興味深い点が多々あります。

また、後述するような本作の特質から、作品をとある観点から読み解くのにもこうした、いわば穿った見方が重要だと考えています。それについては後ほど。

ちなみにこれに付随するのですが、(誤解を招く言い方をあえてすると)私は「フェイクドキュメンタリーQ」を見て怖いと思ったことはありません。謎めいた部分への興味のほうがずっと強いからです。
こうしたこともあり、作品に対しても「~が怖い!不気味!」というような感想は一切書きません。ホラーの感想としてどうなのかとは思いますが、ご了承ください。

顔のない作り手 ―― 動画制作者について

続いて本作についての印象なのですが、作り手の顔が見えない作品だ、というのが一番大きいです。というのはどういうことかというと。

私がまず興味を惹かれたのが、本作の仕掛け人である皆口大地氏が同じく手掛けるゾゾゾとの印象の違いでした。
というか、言われなければ本作を手掛けるのが「ゾゾゾの皆口くん」であるとは思わないでしょう。ゾゾゾが落合さんをはじめとしてキャラクターを全面に出した、いわば「顔の見えるホラー」である一方、本作「フェイクドキュメンタリーQ」からは作り手の姿がほとんど見えてこない。そのことが本シリーズの異質さを作っている、と言う感触があります。

まず、ごく一部の例外を除いて本シリーズでは「制作スタッフ」という姿が見えてきません。視聴者が見せられるのはどこからか入手された映像等が殆どであり、「今見ている動画を作っているスタッフ」という存在はテロップかナレーションといった目の見えないところにいる。謎の心霊映像を追求すべくスタッフによる調査が開始!というよくある展開も皆無。
となればこれは明らかに意識的なもので、そうでなければ別に寺内監督が登場してスタッフを率いて調査に出てもいいわけですし、ある種のファンサービスとして落合さんがひょっこり出てきたり心霊ディレクターの皆さんが参戦したりしてもいいでしょう。しかし作り手の顔は見えず、画面に登場するのも知らない顔ばかり。
こうした「顔の見えなさ」というのは実に徹底していて、皆口氏や寺内監督が手掛ける他作とは明らかに方向性の異なる部分です。これによって本シリーズは主要スタッフが公開されているにも関わらず、誰が何故こんな映像を公開しているのかよくわからないという、妙な印象を作り上げているように思います。

また皆口氏や寺内監督の他作では笑いの要素も目立っています。ゾゾゾや心霊マスターテープはもちろん、今回参考として見てみたのですが寺内監督の「監死カメラ」になると1巻に最低1回は露骨なギャグ回がねじ込まれる、それも笑いで油断したところを怖がらせるという不意打ち系でもなく最後まで脱力ギャグが続くという具合なので、寺内監督は割とお笑い志向が強いのでは?と思えるわけです。
一方「フェイクドキュメンタリーQ」はというと、ごく一部に見方によっては笑えるシーンが有る程度で、露骨なギャグ等は一切なし。
ちょっと別なところに目を向けると、寺内監督が手掛けた「祓除」の「事前番組・事後番組」も演出自体は本シリーズに近いのですが、監死カメラギャグ回での「変人が登場してズレた感じの取材が展開」テイストが若干表れているほか、(プロット――おそらくはテーマも――の要請もあって)寺内監督はじめスタッフも姿を見せます。こうした点でも、本シリーズは各スタッフの作品として特に異質な印象があります。

バラバラ作風事件

本作の掴みどころのなさは、作品形式そのものへも及んでいます。
「フェイクドキュメンタリー」と銘打たれた本作は、しかし一定の形式のようなものを持ってはいません。
怪奇現象を調査するドキュメント風映像……という一般的なホラー系フェイクドキュメンタリーはほんの一部にとどまり、奇妙な物品の解説映像、誰かの記録した映像に解説を加えたもの、さらにはドキュメンタリーと呼べるかも怪しいファウンド・フッテージ風な映像。個々を取り出すとまるで別のシリーズの動画のようです。おまけに、これらの映像はどこから入手されてきたのかわからない

そうした観点で考えると、作り手の姿が見えないことがより気にかかってきます。(あくまで作中世界のレベルの話になりますが)各編を制作・公開している人たちは、何者なのか。彼らは何者で、なぜこの映像を作って公開したのか。

映像は撮影したそのままではなく、大なり小なり編集されて公開されます。上記のようなバラバラの形式となるのも、しかしながらサブタイトルを含むフォーマットや特徴的なテロップが明らかに同じ作者によるものであることを主張しているのも、そのように編集されたからです。
こうなると気になるのは作り手の意図であり作為である、とわかってきます。

なぜこんな映像がこんな風に作られたのか?

…と、ここまでやたらと遠回りをしましたが、この「フェイクドキュメンタリーQ」の、特にシーズン1におけるポイントはこの「作り手の作為」であると思っています。この観点から各エピソードを考えることで見えてくるものがあるのではないかと思っています。

この観点から冒頭に書いた「暴走推理」も意味を持ってきます。つまり、作中に散りばめられた違和感から「この動画を作った誰かは、なぜこの映像をこのように作ったのか」という、作り手の作為を推理して読み解ける部分があるのではないかという考えがあるのです。いわばホワイダニットです。

というよりも、Q1の感想を考えていたところ結果的にこうした考え方を取らざるを得なくなったというのが最も正しいです。これはQ1感想をお読みいただければわかるかと思いますのでそちらをどうぞ。

なお上記のような考え方と関連するのですが、各エピソードの感想では作中レベルにおける動画の制作者のことを便宜上「動画制作者」と呼称しています。前述の通り「フェイクドキュメンタリーQ」の各映像を作っている誰か=そのまま寺内監督や皆口氏のこと、とはもちろん考えづらく、動画の作り手を含めて作中世界に取り込んで考えるのが妥当に思えるからです(ちょっとメタミス的な見方にはなりますね)。
ということで、これ以降に書くのは、そうした動画制作者の作為をさぐるような見方になります。一般的なホラーファンの「考察」とはやや違うかもしれないのでご了承ください。

補足: フェイクドキュメンタリーと云うものについて

私はホラードキュメンタリーをそれほど見てはいないので、そうした作品群に詳しい人と同じ文脈では本シリーズを語れません。なので、ホラードキュメンタリーでは普通のことである事柄に関して「なぜこうなってるんだろう?」と考えている事があるかと思います。そういう感想もあっていいんじゃないかと思って書いているのでご理解ください。

またこちらも一応書いておいたほうがいいと思うので記載しておきます。本シリーズは(あえて)「フェイクドキュメンタリー」とあらかじめ銘打っておきながら「実はホンモノでは?」と思わせる、というつくりになっているようです。が、この感想ではあくまでタイトル通りすべてフェイク=つくりものであることを前提にします。
なぜかというと私はホンモノかどうかには興味がないからです。というより、ホンモノよりもよくできたつくりものの方が好きだからです。
全部よくできたつくりものであってほしい、というのが私の素直な希望です。

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