【ヨタロのタワゴト】難しく考え過ぎてしまう自分をどうにかしたい

難しく考え過ぎてしまう自分をどうにかしたい。これは10数年来の僕のなやみかもしれません。

簡単なことを変に曲解してしまったり、簡単な事柄を人に説明しようとして、かえってこんがらがった話ぶりになったり。質問しようとして相手に上手く伝わらなかったり。

今日も辟易する出来事がありました。

相手にとってよき話者であろうとする前に、その会話において自分はどういう立場なのかを考えよ。

僕は現在、大学4年生でこの春には卒業を控えている身です。
間もなく手続き上正式に「修了」が確定するのですが、少し分からないところがあったので所属する学部の事務室に赴きました。

要は聞きたかったことは「①卒業見込みの表記が卒業確定に変わるのは3月の初旬という理解で正しいか。②卒業延期手続きの書類が郵送されて来なかったが大丈夫か。」この2点でした。

しかし一つ一つ事柄を丁寧に説明しようと努めたあまり、結局自分が何を聞きたかったのか訳が分からなくなってしまいました。

我ながら間抜けな話ぶりでした。何を言っているのかしっちゃかめっちゃかになって。

事務室の職員の方も慣れていらしたので、噛み砕いて聞き直してくれたことで事なきを得ましたが(ちなみに卒業は無事できるようです。良かった)、事務室を出た後も、この恥ずかしい出来事に思考が支配されてグチャグチャしてしまいました。

それで今に至ります。
頭がグチャグチャしてしまったらnoteに落とし込む、を密かにマイルールとしているんです。

質問は簡潔に。という言葉がある通り、これが唯一無二の正解です。質問は簡潔であるべきです。

しかし、僕には出来なかった。なぜか。

分析すれば次の2点が挙げられるでしょうか。

①そもそも自分も何を真に聞きたいのか明らかにしていなかった。

②相手に分かりやすく説明をしようとしてしまった。

①はアホらしいですが良くあることです。自分でも何を分かっていないのか、上手く言語化できない段階で相手に質問してしまっている。ときにはこういう見切り発車な行動も必要でしょうが、こと質問の場面においてはこれはよくありませんよね。

②は決して間違いではありません。相手に分かりやすく説明するために、一つ一つ要点を確認するような聞き方をするのは、よく取られる手法でしょう。

ですが、質問する場面では適しません。当たり前のことです。

分かりやすく説明するのは、相手が情報知識において自分を下回っているから、であって、

こちらが質問する立場(自分が情報知識において下回っている)である場合には、分かりやすく説明することは、相手にとって、不要な情報知識の開示です。釈迦に説法というやつです。

至極当たり前のことです。ではなぜ自分はこれに気づけなかったか。

相手に配慮しよう、自分をよく見せようという考えに頭が支配されていたからです。

相手にとってわかりやすい質問者であろう。明晰なところを見せてやろう。という配慮とも傲慢とも言える思考が脳内を支配していたのです。

この思考は完全に捨ててはいけないものです。ですが、この考えが何よりも優先されると、今日の僕みたいなことになります。

その場その場に適した話法は何なのか。これが人とと対話する上で、第1に考慮されるべき事柄です。

こちらが説明する側なら、分かりやすく教える事柄を一つ一つ丁寧に伝える(場合によっては簡潔に話して、仔細な情報を後付けして伝える方法もとられるでしょう)。

こちらが質問する側なら、何を真に聞きたいのか(疑問の核)を明らかにする。

自分の立場がどちらなのかを明らかにした上で、
さあどうすれば相手に誤解なく伝わるか、相手に感心してもらえる話者になれるか、というテクニックを考え始める。

これが正しい順序です。

難しく考えてしまう、という悩みに話を戻すと

難しく考えてしまう癖に話を戻すと、
案外問題の核は、

考えるべき「順番」を理解していない、

ということなのかもしれません。

本来簡単な事柄を難しく考えてしまうのは、その簡単な事柄へのアプローチの仕方、順番がおかしいのかもしれません。

相手に簡単に説明しようとして、話が難解になるのは、簡単に説明するための話の流れ、順番が
おかしいのかもしれません。

相手に質問しようとして、相手に上手く伝わらないのは、そもそも質問をする上で考慮すべき思考順序を勘違いしていたからです。


この「順番」は僕の悪癖を解決するためのキーワードになるのかもしれません。

ヨタロ

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