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文章1

好き好みは必ずあってそれがなにかと言われると明確な答えではないが、呼吸やテンポや言葉並びに惹かれやすいと感じる

自分に対しての文章にしても同じ事が言えるので自分好みの作りにはなってしまう。読んでて、なんか良いなと思える構成みたいなものは無意識のうちにしていると思う。予測がつく文体やコメントにはあまり面白味を感じない

あくまで自分主体で考えるとだが。


これは正であると言い切れることがあったとする。でもそれって他者から見たら違ったりするわけで。結論言うと人それぞれ違うんですよ、当たり前だけど。なのでそこまで考えだしたらキリがないと思いませんか。自分好みに作る術しか今は知りません。

例えるならばマイナー音楽好きな自分と、世間一般音楽が好きな友達と行くカラオケで相手のことを考えてあまり好きではない曲を歌ったはいいがあまり盛り上がらない展開。気も使うし、楽しくもないし、良い事ないなって短絡的に思うのです。それならば最低でも自分が楽しめるマイナー音楽を歌うというのがベスト(ベターか?)な一手だと思うわけです。


文章を書くぞとなったときって基本自分一人じゃないですか、自分の中にないものを書くのってなかなか大変じゃないですか、というか難しいと私個人は思っております。

注)あくまで個人の感想です。

最強の言葉を置いておく。世間一般の正解だけをつらつらと書き並べられる程の知識も文章力も備えておりませんので。私の用意した言葉たちに対して意見があるならば、私は〜と思うと言ってもらえたら良いかなと。〜はおかしい!とか言われたらすぐに消しますわよ。誰かを貶めるために作ってる訳ではないので悪しからず。


少し話を戻して自分の中にあるものしか書けないということで自分自身の知見を高める、経験するが必須になってくると思うのですがなかなか思うように増えはしないのですよ。普段通りの生活をしているとあまり脳みそを使わないのですね。仕事終わって疲れた頭や体を休息モードにしてしまってSNSやテレビやゲームなどに逃げる。

まず言っておくが逃げも大事なのです。ただ逃げだけに頼って思考停止になるのは怖いですね。

逃げの先にもねあるんですよ、ワクワクするものが。最近好みの文章を見つけたりとか、漫画を繰り返し見て感じることが増えたりね。そういったところからこのような文章が生まれてきたので感謝です。


なんで文章とか作るのという自問自答に対しては忘れるから記録しておく、の一点です。すぐ忘れるからすぐにねえ。

ここに到達する頃にはもうタイトルを忘れている


そうそう知見を高めるに関しては、下北沢の古本屋での他者の会話からふと思ったりした。本当に何を言ってるのか分からなかったことがあって、色々知りたいと思う反面でここまでなりたいとは思わないという面もありました。簡単に言えば頭でっかちの会話。私の文章をレベル1とすれば、あの人達の会話はレベル80くらい。

急にピタゴラスの定理みたいなのが当たり前のように出てくる。そんな可愛い言葉ですらない。そして当たり前に会話上に登場させてくるあたり、もしかしてお主周りから浮いておるな。もしくは周りがみな同じ界隈なのであろうな。



あくまで個人の感想ですが。

これまで経験上では頭でっかちの人は否定的な言葉を使いがち。いやそれは、とかまず否定してる。そしてそれに気付いてないし、それによって他者が傷つくなんて考えることは到底出来てない。

このことに関しては自分の意見がある人からすればよくある話だと勝手に思ってます、私も気持ちは分かります。なので反射的にいやそれは〜、と言ったら止まる意識は持ってる。無意識のうちに出てしまうので、自分の意思で跳ね返すしかないのですよね。共感共感。


纏まった文章を時間をかけて丁寧に整えて、というのが出来ない。その時の温度でしか作れないものがある。なので途中まででも一旦完成としてしまう。何かあったら編集してという流れを作りたいが、そこまでには至っていない。一旦完成に満足している。まあ今は良し。

書いて満足してる感がある。凄くある。


そうそう知見を高める、、、
また戻ってますが脳みそはいつもこんな感じ、

本を読みたいなと思うのが一つ、何でもいいが感じた考えた事を形に残すが一つ。まさに今やっている

音楽の歌詞を読み解いて、さらに曲を好きになるというのをやりたいな。ずっと聴いてるけど、これまた思考停止で聴いてる事が多い。


長文第一弾

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